道教の最高神は?

多神教においては、最高神の位が後発の神格に入れ替わるという例があります。

例えば古代インドのバラモン教では、インドラが「神々の王」と呼ばれており、最高神の立場にいました。

一方、現在のヒンドゥー教の最高神の一柱であるシヴァは、存在自体はインダス文明まで遡れるとも考えられているものの、バラモン教ではルドラという暴風神に過ぎませんでした。

ところが後期バラモン教では徐々に創造神としての性格を付与され、そしてヒンドゥー教が成立する中で最高神となりました。

逆にインドラは立場が低くなって、四方を守る守護神になっています。

大乗仏教がヒンドゥー教の神々をパクって以降は、仏教の護法神群である天部の帝釈天になりました。


帝釈天立像:国立博物館

このような最高神の入れ替わりは、道教ではもっと激しく行われています。

道教の最高神の変遷

道教が成立する以前は、天地開闢の神である盤古や伏羲、女?、神農など三皇が神として崇められていました。これらは中国にそれぞれ存在した様々な民族が信仰する神々をまとめたものだともいわれます。

また、老子の思想と神話を合わせた黄老の学では、明確に「神」として祀っていたかどうかは不明ですが、黄帝と老子が崇められていたようです。


黄帝:台北市黄帝神宮

老子の神託により呪力を得たという張道陵が創始した五斗米道では、老子が太上老君として神格化され、最高神とされています。

そして5世紀になると『度人経』という内丹書に元始天尊の名前が登場しました。

6世紀には、茅山派道教の開祖陶弘景が、元始天尊、盤古と同一神である元始天王、太上大道君すなわち霊宝天尊などを最高神に据えました。

南北朝の時代になるとやっと元始天尊、道徳天尊=太上老君、霊宝天尊=太上大道君が三清として最高神にされます。

また、そうした流れとは別に「天」という概念も中国に入っていきます。

これはもともとは中央アジアの遊牧民が持っていた概念、もしくは信仰で、道教に限らず中国文化に見られる「天」はここからもたらされたものだと考えられています。

儒教ではその天の最高神、あるいは儒教的なヒエラルキーの最上位として、天の帝である「天帝」を設定し、そこに「昊天上帝」を据えました。

昊天上帝は夏の時代から信仰されてきた神だとも言われるものの、史記の神話には登場せず、『書経』など儒教経典にのみ記されている神なので、あるいはどこかの地方神であったかもしれません。

話を道教に戻すと、後漢のころから玉皇大帝の名前が見られるようになってきたと言われています。

その後、唐代もしくは宋代に成立した『玉皇経』という経典で、明妙楽国という架空の国の王子がその位を捨てて修行し、民衆を救済して諸天の主である玉皇大帝になったという設定が作られました。これは明らかにお釈迦様をパクった設定でしょう。

やがて玉皇大帝は三清を補佐する「四御」という地位に入れられました。

四御には他に紫微大帝、南極長生大帝、天皇大帝が入ります。

宋代に入ると玉皇大帝の人気が高まっていったようです。

『玉皇経』の作者が玉皇大帝と昊天上帝を同じものとして認識して玉皇大帝を天帝としたのかはわかりません。

あるいは昊天上帝とは別の神格のつもりだったのかもしれません。

ところが、道教の信者であった北宋の真宗が「太上開天執符御歴含真体道昊天玉皇上帝」と玉皇大帝と昊天上帝を完全に同一視した号を作り、最高神に据えました。


昊天金闕玉皇上帝:新北市石門金剛宮

道教側としてはこれは困ったことだったでしょう。

三清という最高神がありながら、皇帝が定めたことには従わなければならない。

そこで作り出されたのが、玉皇大帝は三清の化身の天尊神であるという設定です。

ということで、現在では道教の最高神は三清であるけれど、玉皇大帝も最高神であるというなんともあやふやな状態が続いています。

台湾の道教廟でも、玉皇大帝が上に、三清が下に据えられているところがあれば、その逆に三清が玉皇大帝より上に据えられているところもあります。