道教の神々:顕聖二郎真君

道教において最高の英雄神といえば、やはり顕聖二郎真君でしょう。

『西遊記』では托塔李天王と中壇元帥の父子が二人がかりでもかなわなかった孫悟空を追い詰め、『封神演義』では太公望の助っ人として活躍しました。

しかし、二郎真君はもともとは四川の一地方神に過ぎませんでした。

二郎真君は誰?

二郎真君にはいくつかモデルとされる人物がいます。

まず戦国時代の建築家・李冰の次男。

李冰は次男とともに今の四川省成都市の川に都江堰を建設した人物です。

その功績により次男が神格化されたのが二郎真君だといいます。

しかし、名前も伝わっていない李冰の次男が、親の李冰を差し置いて神になったというのはちょっと信じがたい話です。

もう一つは隋代の道士趙昱。

趙昱は煬帝に召し出されて嘉州の太守となった人です。

嘉州の人々を苦しめる蛟を趙昱が退治したために、死後神格化されたといいます。

蛟は千年で龍になる、いわば龍の幼体です。

その蛟を退治したという話は、洪水を防いだなどの功績が寓話化されたものとも考えられます。

李冰とその次男にも、同様に蛟を退治したという伝説も作られています。

他にモデル候補としては、同じく蛟退治の伝説を持つ晋代の鄧遐がいます。

ただし、鄧遐は四川に隣接する湖北省の襄陽の太守だった人で、四川に近いとはいえ蛟退治の共通点だけで二郎真君と比定するのは強引だと思います。

もう一人、張仙という仙人がモデルという説もあります。これについては張仙自体がその正体に諸説あるので疑わしいです。

いずれにしても、二郎真君は治水の神様です。

まず先にモデルがいない治水を司る地方神がおり、そこに地元で治水に功があった人物があてはめられたという可能性もあります。

地方神から全国区の神へ

二郎真君の信仰は、交通網が整備された宋代に四川の外にも広まりました。

そしてやがて二郎真君の蛟退治などの民間劇が作られ、人気キャラになっていきます。

二郎真君が道教に取り入れられたのは、おそらく宋代ではないかと思われます。

宋の真宗は二郎真君を「清源妙道真君」に封じています。

北宋代にはすでに開封に「清源真君二郎神」の廟があったといいます。当時の首都開封に廟があったということは、すでに一部で信仰される地方神ではなく、全国区の神になっていたことを示していると思われます。

もともと民間信仰にあった神名が「二郎神」。

そこに「清源妙道真君」号を賜り、それがまじって二郎真君と呼ばれるようになったのでしょう。

元代に編まれた『新編連相捜神広記』にはそのまま「清源妙道真君」と記されており、隋の趙昱説をとっています。

『新編連相捜神広記』を種本として、神々や禅僧・菩薩等を増補した『三教源流搜神大全』も、まったく同じ内容で「清源妙道真君」としています。

『三教源流搜神大全』は元代に作られ始めて、明代に完成したというので、明代初期まではまだ四川出身の治水神として認識されていたものと思われます。

演劇と小説で設定を盛られる

元代には雑劇『二郎神醉射鎖魔鏡』が作られています。この劇では、最初に二郎神君が「姓趙名昱字從道」と名乗ります。そして、

灌江人民就與吾神立廟 奉天符牒玉帝敕 加吾神為灌江口二郎之位清源妙道真君 玉帝敕令著吾神鎮守西川

灌江の人々は我の廟を建てた。玉皇大帝の勅により、我は灌江口二郎となって清源妙道真君の位を得た。そして玉皇大帝は我を西川の鎮守とした。

で、この劇では二郎真君は哪吒と友達で、2人で酒を飲んでいて弓矢を射ることになり、題名の通り鎖魔鏡を射て壊してしまったら牛魔羅王の封印が解けてしまったから、2人で捕まえに行くという話になっています。

民間雑劇の主人公として採用されたということは、知名度が高く人気の神様だったのでしょう。

また、元代には『二郎神鎖齊天大聖』なる劇もあったようです。こちらは原典が見つからなかったので詳細は不明ですが、タイトルからだいたいの内容はわかります。

このように、元代の時点で二郎神が民間劇や講談などでかなりの人気キャラになっていたからこそ、明代に完成した『西遊記』では最強武神になっていたのだと思われます。

明代に作られた『清源妙道顕聖真君一了真人護国佑民忠孝二郎開山宝卷』では、二郎真君の出生譚が描かれました。

それによると、仙女の雲花女が礶州城の楊天佑という人物を見初めて自ら外界に降りて結婚しました。楊天佑がピロートークで雲花女のことを聞くと、家は玄府三宮で9人兄弟。お兄ちゃんは上から木徳真君、火徳真君、金徳真君、玄武将軍で、5番目のお兄ちゃんは中央で不動の無極真君だと明かします。そして生まれたのが楊二郎です。

しかし雲花女はある日突然いなくなってしまいました。成長した二郎が西王母のところへ行って母の行方を聞くと雲花女は太山のふもとに押し込まれていました。そこで二郎は斧でオラァと山を割って母を救い出すのでした。

ヒロインお母さんか。機甲界ガリアンかよ。

おそらく二郎真君の神名に「顕聖」がついたのはこの『二郎宝卷』が初出ではないかと思います。

そして『西遊記』では顕聖二郎真君として登場することになりました。二郎顕聖真君になっている部分もあります。

ここで二郎真君は、玉皇大帝の甥だとされました。

孫悟空が天界で大暴れし、哪吒と托塔李天王の親子でもかなわない。そんなとき観音菩薩が玉皇大帝に、あのお猿さんを捕まえられる神がおりますよとアドバイスしました。玉皇大帝がそれはだれかと尋ねると、菩薩は

乃陛下令甥顯聖二郎真君

陛下の甥御さんの顕聖二郎真君ですよ。

と申し上げるのでした。そこで二郎真君が孫悟空討伐に向かうことになります。

花果山水簾洞に悟空を捕まえにいった二郎真君は、迎えでた悟空にむかって「敕封昭惠靈顯王二郎」と名乗りました。それを聞いた悟空はこう言います。

大聖道 我記得當年玉帝妹子思凡下界配合楊君生一男子 曾使斧劈桃山的是你麼

斉天大聖が言った「確か玉皇大帝の妹が外界に降りて楊家の男と結婚し、男児を生んだといったな。昔斧で桃山を割ったというのはおまえか」

『二郎宝卷』では聖二郎真君の母は玉皇大帝の妹とは書いてありません。しかし、5番目のお兄ちゃんが中央で不動の無極真君だと言っています。天界の中央で不動の神と言ったら玉皇大帝しかないという解釈で、玉皇大帝の妹ということになったのだと思われます。

ここで二郎真君が玉皇大帝の甥だと確定しました。『西遊記』が道教経典ではなく娯楽小説であっても関係ありません。道教というのは孫悟空ですら神として祀ってしまうような宗教です。

天帝の甥ですからかなり位が高いです。ただの地方の治水の神が、えらい出世を果たしてしまったわけです。

玉皇大帝の甥という設定は、二郎真君を主人公とした井上祐美子の小説『長安異神伝』でも利用され、神と人の間の立場に悩む青年像が描かれました。

『西遊記』での二郎真君は三尖両刃槍を持ち、鷹犬を連れていて、巨大化する能力も付けられました。

おそらく『西遊記』より後に成立したと考えられる『封神演義』では、楊戩(ようせん)という名前になっています。

実は『封神演義』では楊?は二郎真君とは呼ばれていません。

ただ、初登場の「四天王遇丙靈公」の回に

楊戩曾過九轉煉元功 七十二變化 無窮妙道 肉身成聖 封清源妙道真君

「楊戩はかつて九転煉元功、72の変化と無窮の妙道を得、肉体は成聖しており清源妙道真君に封じられている」

とあります。

清源妙道真君は宋真宗が二郎真君を封じた神号です。

それに加えて三尖刀で戦い楊姓を持つ。

明確に二郎真君とはしていなくても、いくつかの状況証拠から楊戩が二郎真君であると考えられているのです。現在では二郎真君=楊戩が定着しています。

『西遊記』までは楊二郎とされて名前が明らかになっていませんでした。「二郎」は中国語では一般名詞で次男という意味。名前ではありません。「○郎」はその家での男子の序列を表します。

八幡太郎義家といえば、八幡神社で元服した源家長男の義家という意味だし、源九郎義経といえば源家の九男である義経という意味で、かつては日本でも中国語と同じ使い方をされていました。

名前がはっきりしていないものだから、「戩」という名前を勝手に付けたものと思われます。ついでにお供の鷹犬にも哮天犬という名前がつけられました。

ちなみに、歴史上同姓同名の楊戩が北宋に実在し『宋史』に人の顔色を伺うのに長けるなどと記されています。各地の節度使 —地方の軍司令— を歴任して後、皇帝を補佐する太傅に任じられ、重税を課して民衆を苦しめたといいます。よほど評判が悪かったらしく『水滸伝』には「四姦」の一人として登場しています。

しかし史実の楊戩は当然『封神演義』の楊戩ではなく、単に同姓同名なだけでしょう。

二郎真君は額に第3の目=慧眼を持ち、三尖両刃刀を武器として、神獣・哮天犬を連れているイメージが一般的で、実際の道教廟にも神像が祀られていることがあります。


向かって左から斉天大聖、西王母、顕聖二郎真君:台北市萬華興龍宮

それは『西遊記』や『封神演義』で確立されたイメージが実際の信仰にも反映されたものです。

玄天上帝の信仰では、玄天上帝配下の三十六天将に組み入れられ、その場合は楊元帥と呼ばれます。


高雄市左営龍虎塔

四川の片隅で信仰されていたご当地神は、こうして天界を代表する最強武神へとなったのでした。

道教の神々

Posted by 森 玄通