道教的死後の世界

中医学では「気」は人体を構成する最小限の物質だと考えます。

人体は気で構成され、気の働きによって動く。だとすれば命が尽きれば気は肉体に留まらず散じて、気で作られていた肉体もいずれは分解されて消えてなくなる。

生きている人間の健康を保ち、病気を治すためにある中医学にとって、死後人間がどうなるかなどどうでもいいことでした。

死後どうなるかをあれこれ想像して設定を作り、あたかもそれが現実であるかのように信じさせるのは宗教の役割です。

道教にももちろん死後の世界の設定があります。

儒教が考える人間の死後

道教が考える死後の世界を見る前に、まず儒教側が考える死後の世界にちらっと触れようと思います。

日本では儒教は道徳の教えで宗教ではないと言いはる人がいますが、儒教も立派な宗教です。商にあった先祖崇拝と、商を滅ぼした周が持っていた天の崇拝が融合し、天意をうけた天子が先祖祭祀を絶やさないことが国家を安寧にするとする思想が儒教です。

そもそも「儒」とは古代中国で葬儀の職能を持つ集団を指す言葉でした。

古代中国には地域によっていくつかの死生観がありました。

その一つに人が死ぬと魂魄が別れ、魂は天に登り魄は地に帰るというものがあります。

そして誰かが、だったら魂がまた肉体に戻れば生き返るんじゃね?と考えつきました。

そのため、まず魄が地面に帰っていってしまわないように死体を棺に入れて、土に埋めて保存する。これが墓です。

一方、魂のほうが天に登って散ってしまうと困るから魂の居場所を作っておく。これが位牌です。


位牌:台北市孔子廟

王侯貴族の場合、さらに遺体が腐敗しないように金属や玉で包み込みました。もちろん実際にはそんな効果はないのだけれど、古代中国人は金属や玉で遺体を包めば、金属や玉のように保たれるものだと信じられていたのです。

そして、子孫が先祖祭祀を怠らなければいずれ魂は肉体にもどり、魄と一体となって蘇ると考えました。

五経の一つ『礼記』に

及其死也 升屋而號告曰 皋某復 然後飯腥而苴孰 故天望而地藏也 體魄則降 知氣在上

人が死んだら屋根に登って「○○さんや戻っておいで」と泣き叫び、それから遺体の口に食べ物を含ませる。天を望んで地面に遺体を葬るのは、魄は地に降り魂は天に登るからだ。

とあるのはそのことです。

こうした死生観のもと葬儀の形式を整えたのが「儒」で、そこからさらに為政者が先祖祭祀などの礼を欠かさなければ和が保たれ国が安泰だとしたのが儒教です。

日本で儒教が宗教ではないとされているのは、単に日本人が儒教の中核となるこうした宗教儀礼をスルーして都合のよいところだけつまんでいるからに過ぎません。

日本人が仏教のものだと思っている位牌や墓、葬式などのほとんどは、中国仏教が儒教からパクったもので仏教とは関係ありません。ただの小さな木の板に魂がこもるなどというインチキな宗教詐欺にお高い金を払うのはやめたほうがよろしいでしょう。

道教が考える死後の世界

儒教は死後にまた復活したいという切実というより図々しい死生観を拡大解釈して、仁義や忠孝、為政者のあり方等を説きました。

しかし、道教はまったく違う死生観を採用しました。

泰山信仰

中国に5つの霊峰「五嶽」があります。東嶽泰山・南嶽衡山・西嶽華山・北嶽恆山そして中嶽嵩山です。

その一つ泰山は、上は天界下は地府に通じると言われます。地府とは地底世界のことで、死後の魂は泰山に集まってから地府に行くと考えられました。

これはまだ仏教伝来以前の死生観で、ゆえに地府はただ死者の魂が還る場所であって、地獄に入れられるとかそういう設定はありません。

五嶽にはそれぞれ神様がいます。五嶽の神のうち泰山を司るのが泰山府君です。

泰山府君の信仰は日本にも伝わって、安倍晴明がパクりました。

後に道教もこの信仰をパクり、泰山府君は地府の主催者である東嶽大帝となりました。


東嶽大帝:新北市石門金剛宮

酆都

泰山信仰より後に、もう一つの地府への入り口「酆都」が考えられました。

晋代から南北朝ぐらいの間に作られたと考えられる『北帝伏魔神咒妙經』に酆都が描かれています。

それによれば、天界の真北に五氣玄天洞陰朔單欝絶之國があり、人が死ぬとその国の下にある酆都羅山のさらに下、水中にある大洞陰景天國に転生するとか。大洞陰景天國は太陰水帝北陰天君が治め、東斗・西斗・南斗・北斗の神の補佐を受け五嶽府君や二十四治陰官を部下に持つとあります。

この酆都羅山が後に酆都となり、太陰水帝北陰天君は酆都北陰大帝となりました。


?都大帝:台南市東嶽殿

時代的にも、転生するという記述からもすでに仏教の影響を受けていることがわかります。

大洞陰景天國には三十六獄五十里獄があって、六天異鬼惡神が罪人の魂を鉄棒銅槌で責め立てています。

仏教の影響を受けたことで、単なる魂が還る場所だった地府は、悪業を持った魂を罰する地獄へとなりました。

十殿閻羅

中国への仏教の流入で、地獄の概念と地獄の支配者閻魔王が知られることになります。

そして『地藏菩薩發心因緣十王經』が作られました。これは地蔵菩薩が地獄に堕ちた魂を救おうと誓を立てるという内容の偽経です。

この経典で「閻魔王十大王」という10の地獄を管理する閻魔の大王という設定ができました。

この経典での閻魔王十大王は以下の通り。それぞれは如来や菩薩、明王の化身ということになっています。

1.秦広王=不動明王

2.初江王=釋迦如来

3.宋帝王=文殊菩薩

4.五官王=普賢菩薩

5.閻魔王=地藏菩薩

6.変成王=彌勒菩薩

7.太山王=薬師如来

8.平等王=観世音菩薩

9.都市王=阿閦如来

10.五道転輪王=阿弥陀如来

阿閦(あしゅく)如来は主に密教で信仰される仏です。

この設定は日本にも伝わってきていて、例えば横浜の伊勢佐木町七丁目、伊勢佐木町商店街のかなり端っこの地元民しかいかないような区画にある子育地蔵尊には、地蔵菩薩の周りに十王が祀られています。

で、道教はこの十王の設定をまるっとパクり「十殿閻羅」とました。道教での設定は一部名前と受け持つ地獄が変わっています。

第一殿・秦広王

第二殿・楚江王

第三殿・宋帝王

第四殿・五官王

第五殿・森羅王(閻羅王)

第六殿・卞城王

第七殿・泰山王

第八殿・都市王

第九殿・平等王

第十殿・転輪王



十殿閻羅:新竹市東寧宮

第七殿の泰山王は、東嶽大帝の化身という設定です。

地府に送られた魂は、まず第一殿・秦広王のところで生前罪がなかったかを審問されます。そこで罪があったと分かると、罪状に合わせた地獄に送られます。

そして第十殿・転輪王のところで犯した罪にふさわしい転生先に転生させられます。転生先はだいたい虫とか爬虫類とか両生類ですね。テンプレ異世界に転生できるなんてことはありえません。

地府の主催者が多すぎてよくわからない

さてさて、道教では元から中国の一地方にあった泰山信仰や、仏教から伝わった地獄など、いろんな死後の世界を取り入れました。その結果、誰が本当の支配者かわからなくなっています。

まず、十王は東嶽大帝の部下にあたります。東嶽大帝自身も泰山王というアバターとして十王に加わっています。

『北帝伏魔神咒妙經』では泰山府君つまり東嶽大帝の主であった太陰水帝北陰天君は、酆都大帝となって逆に東嶽大帝の配下として補佐する役割になりました。

実は道教には地蔵菩薩も、民間信仰経由で地蔵王菩薩という名前で取り入れられています。


地蔵王菩薩:台北市地蔵王廟

地蔵菩薩は民間信仰では「幽冥教主」とも呼ばれ、冥界の主とされました。

さてじゃあ地府の主である東嶽大帝の立場はどうなるのかと?

その妥協案としてなのか、地蔵王菩薩は東嶽大帝を支援しつつ亡者を救済する立場とされました。

言ってみれば東嶽大帝がCEO、酆都大帝が社長、地蔵王菩薩が顧問といったところでしょう。

でまあこれで収まればよかったんですけれど、もう一柱、中元地官大帝という神様がいるんですよね。

中元地官大帝は地府の統治者なので、その誕生日である農暦7月15日には恩赦によって地獄の亡者が地上に戻れます。これが中元節です。

東嶽大帝以下は地府の現場で働いていて、地官大帝は天界で地府を統治しているという感じ。

地官大帝を含む三官大帝は玉皇大帝の御前にあって朝政を補佐する立場だからとても偉いので、当然地官大帝も東嶽大帝よりは偉いはずです。

まあ言ってみれば会長的な立場ですかね?

とまあ、道教はいろんな系統の死後の世界観を取り入れてきたゆえに、地府はこのように無駄に肥大化した組織になってしまいました。

地府=地獄なのか?

仏教の場合地獄は六道輪廻の一つなので、その世界には地獄しかありません。

ところが道教の場合、まず単に死んだ人の魂が行く地府という場所があり、そこに仏教の地獄をパクったためによくわからなくなりました。

秦広王によって罪がないとされた魂はどうなるのか?

日本では閻魔大王の審問を受けて善人だと判断されると天国に行けるというふわっとした認識になっています。

でも、道教の場合天界に行けるのは修行して成仙した仙人か、祀られて神様になった偉人ぐらいのものです。

一般の死者の魂は善人だろうが天界には行けません。とすると、おそらく地府で一般亡者として生活するのか?

確かに『聊斎志異』なんかでは死んだ人がふらっと地上に戻って生活するような話もあるので、地獄に送られた人以外は意外と自由に出入り可能なのかもしれません。

その場合、地府の中に地獄があって、地上の監獄のように隔離されていることになります。

でもその場合転生は?

地獄に入れられた亡者は最終的には転輪王によって転生させられます。人間に転生するわけではないけれど、六道輪廻の流れに入れば何度目かの転生で人間になることもあるでしょう。人間になれれば心を入れ替えて修行して、成仏なり成仙なりできる可能性もあります。

ところが地獄に送られなかった一般亡者が地府で生活するなら、転生することはかないません。それとも一般亡者も地府での寿命があり、いずれ転生するのでしょうか?

そこらへんの設定がどうなっているのかさっぱりわからないです。設定は作るけれど整合性を詰めないのが道教のダメなところでありおもしろいところでもあります。