道教の神々:福徳正神

台湾は数%の原住民と80%以上の移民の子孫から成る国です。

正確に言えば、80%以上の内訳は、は対岸の福建や広東から渡ってきた漢族系移民と、平地に住んでいた平埔族各族との混血の子孫です。

あと残り10%ほどは、戦後に台湾に渡った国府軍の敗残兵や国民党員とその子孫、新住民と呼ばれる世界各国からの移住者などです。

というわけで、台湾文化は様々な国の文化が入り混じったものになってはいるけれど、割合としては中国由来の成分が多く、それゆえ道教文化が社会に根づいています。

しかし、福建や広東からの移民が多かったとはいえその範囲は広く、道教文化だけ取り出しても多様性があり、祀る神も多岐にわたります。

そんな中でも最大公約数的に宗派を超えて祀られる神様もいます。

その代表といえるのが土地公=福徳正神です。

台湾で最多の廟はおそらく福徳正神廟

台湾政府の調査によれば、2019年時点で台湾国内にある宗教建築物は15,175箇所。そのうち仏道寺廟つまり仏教と道教が習合した寺廟は12,279座、その中で道教のみの宮廟は9,684座。

さすがに主祭神の内訳まではデータがないようですが、実際台湾各地の廟をめぐった経験から言うと、おそらく最も多いのが福徳正神を主祭神とする土地公廟です。

特に土地公信仰が強いと言われる桃園市には、市内だけで300座以上の土地公廟があるといいます。

また、土地公廟以外の廟の大多数に福徳正神も祀られています。

土地公廟に福徳正神以外の神様が祀られていないことはあっても、福徳正神が祀られていない廟はほとんどありません。

それだけ人気なのは、やはり福徳正神が民衆と近いところにいる神様だからではないかと思われます。

福徳正神は、もともとその村落にそれぞれいる土地神ですから、媽祖や関聖帝君のような偉い神様よりも馴染みやすい感覚があるのでしょう。

TVアニメ『猫神やおよろず』のOP曲『神サマといっしょ』に「何でもおしゃべりしてきた一番目の友達」という歌詞がありますが、そんな気安さが福徳正神にはあるのかもしれません。

『西遊記』では斉天大聖に頭が上がらない土地公だけれど、庶民にとっては身近で大切な存在なのです。

福徳正神

土地公の信仰は非常に古く、もともとは道教の神ではありませんでした。

桃園市の桃園土地公文化館にあった説明によると、農村で安定した収穫を得るために地の神として祀ったのがその現形で、最初は石を置いて祀っていいたのが、石を組み合わせた原始的な祠となり、やがて小さな祠が建てられ、それが道教に取り入れられた結果、道教様式の廟が建てられるようになったようです。


桃園市桃園土地公文化館

土地公の信仰は、台湾同様福建文化の影響を受けた沖縄にも伝わっており、那覇市には初期の土地公信仰を想像させられる土帝君祠があります。


那覇市金萬宮土帝君祠

元々は祠の中の石だけを置いてお参りの目印としていたのかもしれません。

道教に取り入れられた土地公には、福徳正神という神名がつけられました。

この神名の由来としてこんな伝説が作られています。

周の大夫張福徳は税官として非常に清廉で民を愛し善政を敷いていた。その張福徳が102歳で亡くなった後任の税官は張福徳とは逆に財を貪り民を苦しめた。民は張福徳の善政を懐かしみ、ある農民が農地に3つの石組みを置いて張福徳を祀ったところご利益があった。そこで人々は資金を出し合って改めて張福徳を福徳正神として祀った。

張福徳の誕生日は2月2日と設定されていて、その日には土地公のお祭りが行われます。

沖縄でも農暦2月2日には土帝君をお参りする風習があるようです。

勢理客区には、数々の伝統文化が残されている。農業の神として中国大陸から伝わったといわれている土帝君が祀られている場所があり、フトゥキアタイ(司祭者)として任命を受けた住民が土帝君周辺の清掃活動やお供え物をしている。毎年旧暦2月2日には土帝君祭を行い、17種ほどの品を添え住民達が参列する。

https://www.pref.okinawa.jp/site/norin/muradukuri/kassei/press/documents/240129.pdf

福徳正神は虎を乗騎にしているという設定もあり、土地公廟には虎爺を祀っているところもあります。


虎爺:台北市松山福徳宮

福徳正神の職能

福徳正神はもともとは農村の土地神ですから、その土地を守り、土地に恵みをもたらすとともに、その村を守護するのが本来の職能です。

社稷を守るとは国や領地を守ることを意味しますが、もともと社は土地神を祀る廟、稷は五穀の神を祀る廟を意味し、社稷とは土地と収穫を守護する神を祀ることでした。

農村が開発され、町になっても福徳正神はそのまま祀られ続けます。しかし、住民が農民から町人へと変わっていくと、土地公に対する祈願も土地を守る職能より財運を高めてほしいという要求に変わっていきます。

そうした変遷を経て、現在では財神としての性格も付与されています。

このへんは、本来五穀豊穣の神の稲荷神が、江戸時代に商売繁盛のご利益も持つようになっていったのと似ています。

要するに神とは祈る側の都合によって設定が変わるものなのです。

また、福徳正神が城隍爺の配下の神だという設定も生まれました。

城隍爺は城市、つまり都市の守護神で、福徳正神は城隍爺が守る城市の中の各地域や村落の守護神です。

いわば城隍爺が都道府県の知事で、福徳正神が市長さんとか村長さんといった立場になります。現実の日本の政治機構では、市長や村長は別に知事さんの配下にあるわけではないけれど、まあイメージ的にはそんな感じぐらいという比喩なので発狂しないように。

ちなみに城隍爺も福徳正神も、ただ一柱の神がアバターとして各地にいるのではなく、それぞれの土地にそれぞれの城隍爺や福徳正神がいるという設定です。

蒲松齢の『聊斎志異』には、城隍爺に選ばれ神界につれていかれたが、母の寿命まで待ってほしいと懇願する人の話があります。

台湾では城隍爺には霊界裁判官の職能も与えられています。配下に捕吏を置いて地上で悪さをする悪鬼や瘟神を捕らえさせ、配下の検察団とともに裁判を行うのです。

この影響で、城隍爺の配下の福徳正神にも、似たような職能が付与されており、土地公廟に城隍爺配下の捕吏の像が祀られていることもあります。


中央に福徳正神左右に本来は城隍爺配下の七爺八爺:台北市福興宮

道教の神々

Posted by 森 玄通