道教の神々:玄天上帝

日本のフィクションでもよく設定に使われる「四神」。これは中央の東西南北を守る守護獣です。
東の守護神青龍、西の守護神白虎、南の守護神朱雀、そして北の守護神玄武。
『ガメラ3』では玄武に比定されたガメラと朱雀に比定されたイリスが京都で戦います。
四神っていうのは中央に対して四方を向いて中央を守っているので、四神が中央に集まって戦うなんてことはありえないんですが、まあ外来文化をちゃんと理解しないことこそ日本文化の真髄なので仕方ないですね。
大雑把に言って飛鳥時代の後期に作られたと推測されている奈良県のキトラ古墳にも四神の絵が描かれていることは有名です。そこからも四神が非常に古い文化であることがわかります。
で、この四神の中で唯一人格神とされたのが玄武。
道教では玄天上帝という人型の神様になっています。
玄天上帝の設定
玄武から玄天上帝が作り出されたのはいつごろなのかよくわかりません。
ただ、遅くとも北宋の初期までには作られていたようです。なぜなら、北宋第三代皇帝真宗のときに、宋朝趙氏の祖先として趙玄朗という架空の人物が作られ、その避諱として玄天上帝が真武大帝という神名に変えられているからです。
もっとも、趙玄朗の避諱というのは一説に過ぎないです。
とはいえ、宋代以降玄天上帝もしくは真武大帝が登場する経典がいくつも作られていますから、玄天上帝が作られた時期が宋代より下ることはありません。
北宋に作られた『紫微玄都雷霆玉經』にはこんな一節があります。
北極紫微大帝統臨三界掌握五雷 天蓬君 天猷君 翊聖君 玄武君 分司領治
北極紫微大帝は三界を統べ、五雷を掌握する。天蓬君、天猷君、翊聖君、玄武君がその領地を分けて統治している。
ここに出てくる「玄武君」は、四神の玄武ではなくすでに人格神となった玄天上帝のことだと思われます。
玄天上帝の設定は『玄天大聖真武本傳神咒妙經』という経典に記されています。この経典は唐から宋のころに作られたと言われているようだけれど「真武」となっているから宋以降に作られたものと考えられます。
これによれば、南北朝の末に浄楽王国という国がありました。その国の皇后が太陽を飲み込む夢を見ると妊娠して、隋が建国された開皇元年に王子を生みました。しかし王子は家を捨てて修業のため武当山にこもってしまいます。42年の修行の末に白日昇天して天界に至り、天帝に玄武真人に封じられました。そして唐太宗治世下の貞観2年に「佑聖玄武靈應真君」に封じられたといいます。
途中まではお釈迦様の話のパクリです。
玄天上帝は玄武を元ネタにした神様なので、当然北方の守護神です。
ところが玄天上帝が生まれるより以前、すでに北方に一柱の神様がいる設定がありました。太陰水帝北陰天君、略称北帝です。
そこから、実は玄天上帝は北帝から分かたれた魂が人間界に生まれ変わり、後に神仙になった姿だという設定もできました。
玄天上帝の変遷
『紫微玄都雷霆玉經』では天蓬君、天猷君、翊聖君、玄武君が北極紫微大帝の元で領土を統治しているとされました。そこから、北極四聖という設定も作られています。
即ち天蓬大元帥、天猷副元帥、翊聖真君そして祐聖真君=玄天上帝です。
天蓬元帥っていうのは『西遊記』では猪八戒の転生前の姿ということになっています。
北極四聖は本来北極紫微大帝の配下の四柱という意味で、北極星を象徴するのは北極紫微大帝です。
ところが北極四聖に属するからか、後には「北極玄天上帝」とまるで玄天上帝が北極星を象徴するかのように呼ばれるようにもなっています。

高雄市左営元帝廟
現在に伝わる玄天上帝の姿は、右手に剣を持ち、左手で剣印を結び、足元に亀と蛇を踏んづけています。

新北市石門四面仏金剛宮
これは元代に作られたという『玄天上帝啓聖録』に見られる設定です。
この経典では、まず玄天上帝は先天始気であり太極の別体だとされました。そして上三皇の時には太始真人、中三皇の時には太初真人、下三皇の時には太素真人として地上に降り、黄帝の時代に太陽の精気をともなって浄楽国の王子として生まれたとされました。
上三皇中三皇下三皇っていうのは三皇五帝以前にも三皇がいたとする道教の独自設定です。
初期設定では隋のころに生まれたとされていた玄天上帝が、黄帝のころに生まれたことになっています。
王子として生まれながらも道を志して修行をし、羽化昇天したという流れは同じで、その後豐乾大天帝という神様に「北方黑馳裘角斷魔雄劍」というかっこいい銘の剣を授けられました。この豐乾大天帝はよくわからない神様で、玄天上帝に剣を授けるためだけに登場します。
そんでまあ各時代にいろんなところを巡って魔物やらなんやらを退治していきます。そんな流れの中で、魔王が化けた亀と蛇を神威で調伏して両足で踏んづけました。
亀と蛇は本来の玄武の姿ですね。
日本だと玄武は亀っていうことになっているけれど、正しくは亀と蛇の合成獣です。
四神はもともとは北極星を中心とした四方の星宿に当てはめられていました。北方の玄武七宿は亀の形なのだけれど、その亀にまとわりつくように蛇の形の星々があったために、四神の中で玄武だけが2種類の動物が使われています。
なんで玄武が人格神になったかはよくわかりません。ただ、想像するにそれだけ中国人にとって北というのは恐ろしい方角だったのでしょう。
特に北方からの脅威にさらされ続けた宋代に人気が上がったというのもわかります。
『西遊記』の後、玄天上帝を主人公にした『北遊記』が作られました。ついでに言うと八仙が主人公の『東遊記』、華光大帝が主人公の『南遊記』も作られています。
『北遊記』では、玉皇大帝が接天樹という輝く木が欲しくなるのだけれど、その木は劉天君という人物の家に代々伝わるもので、劉家の子孫にしか受け継がれず、動かすと輝きが失われてしまうと聞かされて、じゃあ劉家の子になったるわと3つある魂の一つを劉天君の子として転生させるという非常にくだらない理由で玄天上帝が生まれます。
妙楽天尊という神様を師として修行をした玄天上帝は成道して玉皇大帝に拝謁し、金闕化身蕩魔天尊という神号を賜り、三十六員天将を配下に持つに至りました。
この三十六員天将が三十六位神将として現実の玄天上帝の廟にも祀られています。この三十六位神将には顕聖二郎真君やら中壇元帥やら錚々たる神様が入っています。
三十六位神将はまた三十六の天罡星に対応します。

三十六位神将:台北市玄天宮
天罡とはもともと北斗七星の柄の部分にあたるわずか3つの星のことでした。それが後世北斗七星には三十六の天罡星と七十二の地煞星が属するという設定ができました。合わせると108になるので、仏教に言う煩悩の数から作られたものだと思われます。
それを利用して作られた小説が『水滸伝』です。天罡星地煞星はもともと道教にあった思想であり、『水滸伝』で作られたわけではありません。
『北遊記』では玄天上帝の剣は七星剣とされました。小説にするにあたって「北方黑馳裘角斷魔雄劍」では長すぎたのでしょう。
道教が小説の設定の影響を受けるのはよくあることで、玄天上帝についても剣に星のマークがついている像が見られます。

7つの星がついた七星剣:高雄市玄天廟北極亭
三十六位神将にはまた別の民間伝承もあります。
玄天上帝が魔物や妖怪を討伐しに行く時に、医神の保生大帝のところに剣を借りに行きました。保生大帝は玉皇大帝から宝剣を賜っていたのです。
しかし、保生大帝はこの宝剣をたいそう気に入っており、貸そうとはしません。
そこで、玄天上帝は宝剣を借りるカタとして、三十六位神将を保生大帝に預けると申し出ました。
保生大帝はやむなく剣だけ貸して鞘は手元に残しました。鞘ごと貸さなければ返してもらえると思ったのです。
この宝剣は果たしてすごい切れ味で玄天上帝はことごとく魔物を斬り伏せます。
しかし玄天上帝はこの宝剣にすっかり魅了され、魔物の討伐が終わった後も剣を返そうとしませんでした。
そのため保生大帝のもとには三十六位神将が留まったままになりました。
ということで、実際保生大帝の廟に行くと三十六位神将も祀られています。
しかし本来玄天上帝の剣は天帝から直接賜ったものなんですけどね。
玄天上帝にとっても保生大帝にとってもとんだ風評被害ではないかと思います。
玄天上帝の信仰
元代に張三丰なる道士が現在の湖北省にある武当山で武当派道教を興しました。
張三丰は『明史』列伝方伎に記録されており、後に太極拳の創始者ともされました。
『明史』に記されている内容は伝説じみていて、実在も疑われているとはいえ、武当派道教自体は現在でも武当山にありますから、単にその創始者としての張三丰は実在したと考えてもいいでしょう。
玄天上帝は、関連経典では武当山で修行し、成仙したという設定になっています。そのため、武当派道教では玄天上帝が主祭神とされました。
しかし武当派道教はその時点では地方のマイナー信仰で、元末にはもう衰退していきました。
明代になると大きな転機が訪れます。
朱元璋が明朝を打ち立てた後、朱元璋の股肱の臣である劉基が、朱元璋が玄天上帝の転生者だと言い出しました。転生したら朱元璋だった件と言い出しました。
貧民出身の朱元璋の権威をどうにか高めたいという意図もあったかもしれません。
朱元璋は玄天上帝を明朝の守護神とし、荒れ果てていた廟を再建して衰退していた武当派道教を復興しました。
あるいはこれは朱元璋がもともと玄天上帝を信仰していた可能性を示すかもしれません。
玄天上帝の信仰は武当派道教に限られず、中国の江南地方 — 東シナ海寄りの中国東南地方 — にも伝わっていました。
江南地方に広がる茅山宗などでは、玄天上帝は「蕩魔天尊真武帝君」とされ、伏魔大帝関聖帝君、駆魔真君鍾馗帝君とともに三伏魔帝君として護法神にしていました。
朱元璋は江南地方に入る現在の安徽省出身ですから、こうした江南道教の信仰にも触れていたものと思われます。
これはまた、白蓮教への牽制の意味もあったかもしれません。
朱元璋は白蓮教を母体とした紅巾の乱に参加して皇帝にまで上り詰めました。
紅巾の乱はモンゴルによる支配を転覆しようという目的は確かにあったにしろ、その根底には弥勒信仰による下生思想があります。これは、弥勒如来が現世に降臨するために、世界を理想の世界にしなければならないという、現代人から見ると中二病としか思えない考え方です。
朱元璋はこの乱に乗って皇帝になった人ですから、そのやっかいさをよく理解しており、皇帝になってからは白蓮教を弾圧しました。
そのための宗教的権威として、玄天上帝の蕩魔のパワーをかざす必要があったのでしょう。
これを期に、玄天上帝の信仰は確固たるものになりました。
台湾での玄天上帝信仰
現在は台湾でも玄天上帝が広く信仰されています。
ただその経路は不明です。台湾にも茅山宗の系統が見られるので、そちらから伝わったのか、それとも鄭成功の軍勢が台南に蟠踞したときに、明朝の守護神としての玄天上帝を奉じたのかはわかりません。
台湾に武当派道教は伝わってはいないはずではあるものの、三伏魔帝君として祀られている廟が見当たらない点、そして特に南部に玄天上帝の廟が多い点などから判断して、鄭成功が台南に逃げ込んだときに伝えられた可能性のほうが高いように思います。
台湾の道教廟には「黒令旗」が掲げられていることが多く、その中には玄天上帝を示すものもあります。

台南市全台白龍庵
この黒令旗は星が7つ並べてあるので玄天上帝の七星剣を表しているものと思われます。
黒令旗は軍旗であり、そこに軍隊が駐留していることを示します。
玄天上帝の黒令旗は、玄天上帝麾下の神兵がここに駐留しているぞと威を示すことで、魔物を遠ざける魔除けの意味を持ちます。






