道教の神になってしまった仏僧たち

道教には様々な神々がいます。
中国神話由来の神、儒教や仏教など他の信仰から取り入れた神、民間の土着信仰から取り入れた神、そして道教が発展していく中で独自に考えられた神など。
日本で台湾の道教廟を紹介した記事(専門的なものではなく観光情報など)を見ると、道教、仏教、儒教の3つの宗教が集まっていて云々と書いてあることがありますが、観世音菩薩だろうが孔丘が神格化された至聖先師だろうが、それは仏教や儒教の神として祀られているのではなく、道教に取り入れられた道教の神としての姿です。
ピンとこない人のためにもうちょっと付け加えると、日本の柴又帝釈天がバラモン教信仰ではなくあくまでインドラを取り入れた仏教信仰であり、銭洗弁財天宇賀福神社がヒンドゥー教信仰ではなくサラスヴァティーをパクった神道信仰であるというのと同じことです。
そうして道教に取り入れられた民間信仰の神々には、仏教の僧侶も数人います。
民間信仰と道教には境目はほとんどない
道教に取り入れられた仏教の僧侶を紹介する前に、まず民間信仰と道教ははっきり峻別できるものなのかを考えます。
最近は日本で道教関連の本が出版されることはあまりないし、出版されたとしても読む気はないのでどうか知りませんが、昔出版された日本の研究者による道教の本を見ると「民衆道教」「成立道教」という言葉が出てくることがあります。
これは、大雑把に言えば民間と道観での道教信仰は違うので分けて考えますよということのようです。
日本人は小籠湯包と生煎包のようなまったく違うものを小籠包とひとくくりにしても気にしないくせに、百合とレズビアンという同じものを表した言葉は違うものだとか言い出すのでもうわけがわかりません。
では、実際の道教にはそんな違いはあるのか?実は日本人にもこの分け方に異を唱える人もいます。
窪徳忠は『道教の神々』でこう言っています。
私自身の約二十年におよぶ経験からすれば、調査をすればするほど両者(引用者注:民衆道教と成立道教)の境目がわからなくなった。だから、そんなことをいうのは調査経験のない人で、いわば机上の空論にすぎないわけである。
『道教の神々 (講談社学術文庫)』窪徳忠著・講談社文庫刊
私自身もこの考えには賛成です。
加えて言うならば、民間信仰と道教の境目だってどこにあるのかわかりません。
中国の廟についてはほとんど行ったことがないのでわかりませんが、台湾の場合指南宮のような大きな廟にだって民間信仰からもってきた神様は祀られるし、街角の小さな廟だって近所の兼業道士が管理をして儀式やお祭りを行います。
どの廟が民間信仰で、どの廟が道教かなんて区別はつかないし、区別する必要もありません。
だから、それは民間信仰で道教ではないなどと机上の空論を振り回すのはやめたほうがよかろうと思います。
清水祖師
道教の神になった仏僧の一人目は清水祖師です。

清水祖師:台北市清水巖祖師廟
清水祖師は、北宋のころ福建にいた普足禅師が神格化された姿。
福建の安渓で雨乞いをしたところ験があり、農民に引き止められてその地で庵を結んだとされます。
禅僧が雨乞いなんていう祈祷師や密教僧のようなことをするのかなとも思いますが、日照りの時に気候を見て、天候が変わるのに合わせて経を読むぐらいのことはしたかもしれません。
普足はまた、お金を集めて橋をかけたり道路の整備をするなど公共事業を行う他、医療知識もあって周辺地域での病気の治療を行うなど、社会貢献につとめたため非常に尊崇を受けました。
普足の死後、地域の人々はストゥーパを建て、普足の像を作って祀りました。このストゥーパは、もちろん日本式の安っぽい木の板ではなく石塔です。あんな木の板をストゥーパ代わりに墓に立てて金を取る宗教は仏教ではありません。
普足はやがて地域の守り神として信仰されるようになり、普足が生前庵を結んでいた清水巌から、清水祖師と呼ばれるようになります。
安渓からは数多くの移民が台湾に渡っており、そうした移民の一部が清水祖師の信仰を台湾にもたらしました。
現在では、中国よりも台湾のほうが清水祖師への信仰が盛んです。
済公活仏
済公は普足よりすこし時代が降った南宋のころの人物で、生前の法号は道済。尊崇を集め道済公と呼ばれるようになったのち、済公になったのではないかと思われます。
済公は一休和尚の先輩にあたります。それは、臨済宗の禅僧であるとともに、風狂僧でもあったという点でです。
風狂は禅宗での僧のありようの一つです。
禅では固定観念を嫌います。臨済宗で行われる禅問答も固定観念を捨て去るためのものです。
例えば『金剛般若経』では「仏法とは即ち仏法にあらず」等とひたすら否定を重ねて仏教に関する固定的なイメージを脱却しようとします。
そこから『臨済録』の「逢佛殺佛 逢祖殺祖 逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母」仏に逢えば仏を殺す、祖師に逢ったら祖師を殺す、羅漢に逢ったら羅漢を殺す、父母に逢ったら父母を殺すという一見過激な思想を生みますが、これは成仏のためには心の中に仏や祖師などといった寄る辺を作らず捨て去って、自らの中に仏性を見ろということです。
風狂はそうした思想から生まれ、あえて戒律を守らず、戒律を守らないところに悟りを求める禅の形です。
済公は生前中国各地を放浪し、戒律を破って肉食や飲酒も行いました。
本来の原始仏教では、自ら殺したり自分のために生き物を殺されたものを食べるのは禁じられていたけれど、特に肉食を禁じていません。
原始仏典の『スッタニパータ』では、肉食をするのが「なまぐさ」ではなく、生き物を殺したり、盗んだり、嘘をついたりすることが「なまぐさ」であると説いています。
とはいえ中国仏教では肉食は禁じられていたので、中国で仏僧が肉食をすればそれはやはり破戒です。
しかし済公はすでに死後の直後から達磨や布袋に並ぶと称賛されており、ただの破戒僧ではなく確かに高い境地に至っていたのではないかと思われます。
ただ、済公が道教の神になるのは明代以降です。
明代以降、済公がを主人公とする小説が複数作られました。特に清代に書かれた『済公全伝』では済公は神通力を持ち、権力に阿らず悪を挫くヒーローとして描かれ人気を博します。
そこから民間で人気が高まって神様として信仰されるようになり、それが道教にも取り入れられました。
済公は台湾でも人気の神様です。しかし、それは非常に下世話な理由によります。
済公の信仰は清仏戦争のときに清の兵士が台湾にもたらしたといいます。
1980年代になると大家楽、六合彩といった香港発のロト方式の宝くじが台湾でも販売されるようになりました。
台湾人はくじが当たるように神様に祈願に行こうとしましたが、そんなことで祈願をしたらかえって神様の不興を買うのではないかと考えます。
でも、戒律にとらわれない済公なら大丈夫なんじゃね?ということになり、やにわに済公の人気が高まりました。
現在でも台湾の様々な廟で済公の神像が見られます。

済公:台北市聖済宮
布袋和尚(弥勒)
布袋和尚は五代のころの人物で、法号は契此。布袋をかついで乞食行を行っていたことから布袋和尚と呼ばれます。布袋を背負っていた和尚さんだから布袋和尚なんで、それをただ布袋と呼んでは意味が通りません。
日本ではタピオカを原料としたタピオカパールを加えたタピオカパールドリンクを「タピオカ」と呼ぶノリで布袋と呼ばれていますが。
『宋高僧伝』には「体は太ってしかめっ面に太鼓腹、言葉にはとらわれがなく好きなところで寝起きした」と記されます。
彌勒真彌勒 化身千百億 時時示時人 時人自不識
死に際して真の弥勒は千百億の化身を持ち、時々の時代の人の前に現れるが、人々はそれを知ることがないという偈が残されたとされ、そこから、それは布袋和尚が自らもその弥勒の化身だったと示したのだと解釈されるようになります。
現在では布袋和尚の像を指して弥勒と呼ぶこともあります。
弥勒の化身という認識ですから、布袋和尚はまず仏教で信仰されるようになります。
その像は『宋高僧伝』の記述から太鼓腹に作られますが、しかめっ面は顔をくしゃっとした笑顔のイメージとされました。
民間では満面の笑みで太鼓腹、そして中身が詰まった布袋を持つ像は富貴の象徴のように受け取られ、財神として信仰されるようになります。
台湾では清水祖師や済公と比べて道教の廟に祀られる例は少ないものの、道教廟ではやはり財神として祀られています。

布袋和尚:台北市艋舺興龍宮
また、台湾の街角にあるロトショップにも、金色に塗られた布袋和尚の像が置かれているのがよく見られます。






