道教の神となった医師たち

道教が神として崇めるのは、神話に元から神として記される神々、星辰を神格化した神々、仏教由来の仏菩薩など様々。
それら雑多な神々の中には、過去の偉人が神格化された神様もいます。
実在の人物由来の神の多くは武将で、一部地域のインフラ整備などに力を尽くした役人や僧侶などが混じります。
そんな中、ごく少数ながら医神とされた実在の医師も存在します。
呉夲

保生大帝:台南市市仔頭福隆宮
呉夲(ごとう)は北宋のころ現在の福建省あたりで活躍した医師です。
13歳のころ父親が病気になるも、家が貧しく治療が受けられなかったため亡くなりました。そのため呉夲は医学を志したと伝えられています。
鍼灸や湯薬の技に優れ、生前から有名な医師だったといいます。
素食で生涯妻帯しなかったといいますから仏教徒だったかもしれません。ただの僧侶のコスプレをした葬式・墓地経営業者だから肉食も妻帯もする日本とは違い、中国では在家信者でも熱心な人は素食を通します。
その高い医術を惜しんだ地域住民が呉夲の死後神として祀り、呉夲に祈るだけで病気が治るという評判が立ってその信仰が広まりました。
また死んだのではなく羽化登仙したのだという伝説もあって、宋の歴代皇帝は大道真人や普佑真君など仙人を意味する号を追封しています。
明の成祖=永楽帝により萬壽無極保生大帝という神号に封じられ、それ以降は主に保生大帝と呼ばれます。
神となった呉夲には、後付で様々な伝説が作られました。
その中でも有名なのが宋仁宗の母君を治療した話です。
母の病気を知った仁宗は医師として名高い呉夲を呼び、治療をさせるまえにテストをしました。
まず呉夲を別室に控えさせ、ベッドの足に結んだ糸、猫の手に結んだ糸を渡して脈診をさせます。呉夲はいずれも糸を触っただけでそれがなにかを見抜きました。そして改めて母の腕に糸を結んで診させたところ、なんの病気かを見抜いて見事に治しました。

仁宗の母に結ばれた糸で脈を診る呉夲:高雄市城邑慈済宮
もちろんこれはただの伝説に過ぎません。中医学の脈診は、拍動の強弱や早さだけではなく、脈が深いか浅いか、どんな拍動の動きをするかなど様々な観点で行います。だからこれは実際の脉診を知らない素人が考え出したフィクションです。
ちなみにこのエピソードは日本で「おえんさまの糸脈」という話に丸パクリされています。野中婉なる女医が患者の腕に結んだ糸で脈診を行い、ある日誰かがいたずらで猫の手に糸を結んで渡したところ見事それを見抜いたというような内容です。野中婉自体は江戸時代に実在した医師です。江戸時代以降に作られた伝説ですから、当然元ネタは呉夲のほうです。
また、人食い虎がある日かんざしを挿した女性を食べたところ、そのかんざしが喉に刺さってしまったので、呉真人をたよってやってきたという話もあります。
呉夲はかんざしを抜いてやり、これからは人を食べてはいけないよと諭したところ、虎は感謝して呉夲に仕えるようになりました。

虎を治療する呉夲:台北市大龍峒保安宮
神様になってからは、玉皇大帝に宝剣を賜り、魔物を討伐に行く玄天上帝にその宝剣を貸すカタとして玄天上帝麾下の三十六神将を預かり、玄天上帝が宝剣を返してくれないのでそのまま三十六神将を配下にしているという話もあります。
華佗

華佗仙師:台北市艋舺龍山寺
華佗は三国時代の医師です。
正史『三国志』魏書華佗伝には湯薬、鍼灸の術に優れ、鍼でも薬でも治せないものは麻沸散を飲ませて患部を切り開き、腸を洗い流したりしたと記されます。この経口麻酔薬は、江戸時代に日本の華岡青洲が再現に成功するまでは、史書の中だけの存在でした。
華佗は評判を聞いた曹操に召し出され、鍼で頭痛とめまいの治療を行いました。
しかし曹操の持病を治すには時間がかかるとわかった華佗は、妻が病気だからと故郷へ帰ってしまいました。
曹操が何度呼び出しても華佗が戻ってこないので調べさせると、妻の病気は偽りだったため、捕らえさせて処刑してしまいます。
しかし子の曹沖が病気になると、華佗を殺してしまったために我が子が死んでしまうと後悔しました。
『三国演義』では毒矢を受けた関羽の腕を切り開いて毒を取り除いたというエピソードがあります。しかし現実にはおそらく関羽と会ったことはないでしょう。
『三国志』の時点ですでに養生術に通暁し、華佗が生きた当時は彼が100歳を超えていたと考える人もいたとありますから、あるいは死んだのではなく羽化登仙したのだと考える人もいたのかもしれません。
後に道教で青囊濟世華真人という神様にされました。
とはいえ保生大帝のような派手な伝説は作られていません。
孫思邈

天醫真人:台南市開基玉皇宮
孫思邈は南北朝から唐にかけて生きた医師です。
孫思邈が著した『千金要方』『千金翼方』は、後の中医学に絶大な影響を与えました。特に医薬に精通し「薬王」と称されます。
また、医師であると同時に道士でもあり、医薬の知識は長生術の方面にも活かされ、錬丹術や房中術にも通じていたようです。
『新唐書』には、隋の文帝、唐の太宗に召し出されて官位を授けようとされるも固辞したとあります。特に太宗は孫思邈を「有道者」と称賛したといいます。
『新唐書』では方技伝ではなく隠逸伝に記されているので、方術を操る方士ではなく、道を得た隠者だと見られていたのかもしれません。
死後は陝西省の五台山に葬られて薬王廟が建てられ信仰されました。五台山は薬王山と呼ばれるようになっています。
宋の徽宗は孫思邈を妙應真人に封じています。宋代には仙人になったと考えられていたことがわかります。
後に天醫妙應孫真人として信仰されるようになりました。
台湾では、私が巡った範囲では台北には天醫真人を祀った廟は見られず、台南のいくつかの廟で祀られていました。
一部保生大帝が呉夲ではなく孫思邈だとする説もあり、そちらの説では虎の喉のかんざしをとってやったのも孫思邈だとされます。
扁鵲

盧府千歳:新北市板橋慈恵宮
扁鵲は『史記』『韓非子』などに記述があるものの、その記述に記された時代に大きな開きがあるため、実在を疑われることもある人物です。しかし、2018年に中国の研究チームが戦国時代のものと思われる竹簡に扁鵲の実在を証明する記述を発見したと発表しています。
『史記』には長桑君なる人物に秘伝の医術を伝えられたとあります。長桑君は扁鵲に医術を伝えるとこつ然と消えたとされているため、あるいは神仙が医術を伝えたと匂わせているのかもしれません。
至今天下言脈者 由扁鵲也
今の天下に至り脈を言う者は扁鵲に由来する。つまり今(『史記』が記された漢代)に脈診を論じる者は扁鵲の後継者であるということで、そのために『八十一難経』が扁鵲の著だともされますが、もちろん『八十一難経』は扁鵲よりかなり後代に作られた書物です。
扁鵲が神様として信仰されるようになるのは宋代になってから。仁宗が扁鵲を医神として祀り神号を与えたことによります。
とはいえ、一般での信仰はこれまで見てきた医神よりは盛んではありません。
台湾では、新北市の板橋慈恵宮に祀られる「盧府千歳」が「盧医扁鵲」だとなっています。
王爺千歳は瘟神を征伐する役割の神々なので、名医の扁鵲もその中に入れられているのでしょう。
「盧」は盧国のこと。『列子』などに扁鵲が盧国で医師をしていたと記されているためです。
ただし、通常王爺千歳はそのモデルとなった人物の姓+府+千歳・王爺という構成で神名が付けられているため、「盧府千歳」は扁鵲ではなく、他の盧姓の人物だという可能性もあります。





