道教は道家思想の宗教ではない

20世紀初頭における欧州での東洋学の泰斗アンリ・マスペロは、道教を「religion taoist」と表現しました。
マスペロのいくつかの論文をまとめた平凡社刊東洋文庫『道教』では、これを「道家的宗教」と訳しています。などというと私がいかにも原文にあたったかのようですが、単に『道教』の「道家的宗教」に「ルリジオン・タオイスト」とルビがふってあるだけのことです。
一般的に欧州では道家思想と道教が同一視されているといいます。それはマスペロからの影響も強いようです。
マスペロによる道家思想と道教の混同
マスペロが道家思想と道教を混同している部分は『道教』に散見されます。
老子とかれにもとづく学派、つまり荘子と列子の学派は、いろいろの精神的な術を発展させて、生の神秘体験をば、不死に到達するための最上の方法とした。
平凡社刊東洋文庫『道教』
まるで道教が老子や荘子から直線的に発生したかのような表現をしています。
またこんな一文もあります。
二世紀には、道家的宗教は庶民のあいだに非常に拡がっていた。一八四年に黄巾の乱が勃発した時、蜂起したのは数千人の錬金術師ではなく、まさしく中国の東北と中央の八州に住む全人民であった。
平凡社刊東洋文庫『道教』
張角が興した太平道が道家思想より生まれた宗教であるかのようです。
マスペロは
中国人もヨーロッパ人も、古代における道家の偉大な哲学者であった老子と荘子の天才に幻惑されて、道家的宗教のなかに、古代の巨匠たちの学説の、腐敗堕落した後裔しか見ようとしなかった。
平凡社刊東洋文庫『道教』
と書いています。
マスペロは道教とは道家思想が堕落したものではなく、農村での集団的信仰に対抗する個人的な信仰の姿であると喝破するのですが、しかしマスペロは逆に老子こそ道教の始祖であるとする道教側の主張に幻惑されているように見えます。
しかし本来道教と道家思想は別物です。老子が道教の始祖とされているのは、張道陵が五斗米道の権威付けとして老子を利用したからです。
太平道や五斗米道は原始道教集団とも言われ、特に五斗米道は天師道や正一道につながる教団ではあるものの、その活動目的は漢朝の腐敗により困窮した民衆の救済と、呪術的な病気の治療でした。東漢末時点のいわゆる「原始道教集団」には、神仙道を中核とした不老不死を目指す道教の姿は薄いです。
太平道の方はより呪術的性格が強い宗教でした。そこにある程度の方術の影響はあっても、道家思想の影響は見られません。
黄巾の乱を起こした太平道を「道家的宗教」とするのは現実的ではないように思います。
老子は不老不死を説いたか
老子は張道陵によって道教の始祖にすえられ、後に神格化されて太上老君として信仰されるようようになりました。
しかしそうなる以前に、すでに老子は長寿の人だったと考えられていました。
蓋老子百有六十餘歲 或言二百餘歲 以其修道而養壽也
老子は160歳を超えるとも200歳以上だとも言われている。その道を修めて寿命を養ったのだ。
と『史記・老子韓非列伝』に記されています。
老子は別に不老不死を説いてはいないけれど、老子が著したとされる『道徳経』には、解釈次第でそう受け取れるような部分もあります。
例えば
故從事於道者 道者同於道
道に従う者は、道の方もともにあろうとする。
老子の哲学の核心は「無為自然」です。無為はなにもしないことではなく、作為を捨てて天地の法則=道に従うことであり、道に従っていれば自ずから然るべきようになると説きます。
谷神不死
谷神とは万物を生み出す道の表れの一つで、つまり道とは窮まりがなく不死のものであると言っているわけです。その道と完全に一体になれば、寿命もなくなり不死になれる。と道教は解釈しました。
実際、丹薬を飲む、内丹を修行するなどした結果として「寿命を天地と同じくする」とした表現は道教経典によく見られます。
知人者智 自知者明 勝人者有力 自勝者強 知足者富 強行者有志 不失其所者久 死而不亡者壽
智とは人を知ることである。明とは自らを知ることである。他者に勝つのは力があるからだが、本当の強さは自らに勝つことである。富とは足るを知ることであり、自らに勝とうとする者には志がある。それを失わない者の命は久しく、死してなお失われないことこそが寿である。
ここらへんは老子の主題とちょっと外れる気がするのでもしかしたら後世にどこかからもってきたものかもしれないですけど、「死而不亡者壽」を曲解すると死して後に羽化登仙する尸解仙になるのかなとも思います。
同じ知足を説いたものでも、より老子らしい表現もあります。
知足不辱 知止不殆 可以長久
足るを知れば辱めを受けることはなく、止まることを知ればあやういことはなく長らえることができる。
栄辱は表裏一体で、国の要職にでもつこうものなら身はあやうくなるというのは後の荘子にも見られる考え方です。
「強行」より「知止」のほうが老子らしいように思えます。が、それはそれとして、名声を求めたりしなければ寿命を全うできると説いたこの一節も、曲解すると不老長生という解釈にもなりえます。
老子にとって大切なのは、孔丘やその弟子たちのように為政者に理想を説いて身を危うくすることではなく、権力からは一歩引いて自らの命を全うすることでした。
ただ、だからといって道教のように死を逃れたいと考えたりはしていません。
出生入死 生之徒十有三 死之徒十有三 人之生動之死地亦十有三 夫何故 以其生生之厚 蓋聞善攝生者 陸行不遇兕虎 入軍不被甲兵 兕無所投其角 虎無所措其爪 兵無所容其刃 夫何故 以其無死地
人は生まれい出て死に入る。寿命を全うできるのは10人のうち3人しかおらず、夭逝するのは10人のうち3人だ。生を得ながら自ら死地に向かう者も10人に3人いる。どうしてそうなるのか?それは生へ執着するからだ。よく命を保つ者は、陸を行ってもサイやトラに出会わず、軍に入っても戦争で死ぬことはない。サイはその角を突き立てられず、トラの爪も届かず、敵兵の刃も体を傷つけない。だからこそ死地に入ることはないのだと聞く。
命に執着する者ほど死は近づき、寿命を全うできるのは無為自然にして道と一体となっているからだということですね。無理に寿命を伸ばそうとするとかえって早死する。それは、不老長生を求めて水銀を飲み、寿命を縮めることになった帝王を見ればわかります。
民之輕死 以其求生之厚 是以輕死 夫唯無以生為者 是賢於貴生
民がその死を軽んじるのは、生に執着するためで、だから死を軽んじるのだ。生に執着せず無為自然にある者のみが、生を(無駄に)尊ぶ者より賢いと言われる。
この部分は「以其上求生之厚」として、民の上に立つ為政者が生に執着するから、民の命が軽くなるのだとする解釈もあります。しかし私は「上」をつけず、民自らが生に執着するとしたほうが、上に挙げた一文と通じると思うので、このように解釈しています。
もちろん命を尊ぶのは大切なことではあるけれど、それは無理に寿命を伸ばそうとすることではない。
ここにおいて、老子の思想が道教とは相容れないものであることがわかります。
荘子は生と死は等しいと説いた
聖人による無為自然の国家統治を説いた老子に対し、荘子は無為自然を個人が道に従い天命に安んじる生き方に落とし込みました。
天命とは大いなる道が人に与えた命運であり、それに逆らわず従って生きることこそ道と一体化すること。そうした意味で万物はみな等しいのだという斉物論が荘子の思想の柱となっており、斉物論は後に中国禅に受け継がれて、人の妄想によって起こる分別の否定となりました。
その文脈で荘子は生と死をも等しいものと考えました。
こんな一節があります。
雖然方生方死 方死方生 方可方不可 方不可方可 因是因非 因非因是 是以聖人不由而照之于天
生まれるとは死ぬことであり、死ぬこととは生まれることである。可は不可であり、不可は可である。是は非であり非は是であると言うのだが、聖人はそのような判断にとらわれず、天に照らされるままである。
生とか死とか、よしとかダメとか、そんなものは人間の小さな分別に過ぎない。聖人はそんな分別は気にしないで天、つまり道が示すままにまかせるのだといった感じの意味です。
ゆえに荘子は死に対して淡白です。
老聃死 秦失弔之三號而出 弟子曰非夫子之友邪 曰然 然則弔焉若此可乎 曰然始也吾以為其人也而今非也 向吾入而弔焉 有老者哭之 如哭其子 少者哭之 如哭其母 彼其所以會之 必有不蘄言而言 不蘄哭而哭者 是遁天倍情 忘其所受 古者謂之遁天之刑 適來夫子時也 適去夫子順也 安時而處順 哀樂不能入也 古者謂是帝之縣解
老聃が死に、秦失は弔いに行って3度泣いてから退出した。弟子が秦失に、あなたは夫子の友達ではないのですかと問うと、秦失はそうだよと答えた。それで弟子は友達ならそんな弔いでいいのですかと問うた。そこで秦失は、老聃を人と思っていたが今はそう思ってはいない。この弔いの場に入ると、老人は子を亡くしたように泣き若者は母が死んだように泣いている。彼らがこうして集まっているのは、きっと老聃が弔ってほしいと言ってもいないのに弔い、泣いてほしいと求めてもいないのに泣いているのだろう。これは天の法則から逃れ道理に背き、天から受けた命を忘れる行為で、昔の人はこれを遁天之刑と言った。夫子は天の命にかなった時にこの世に生まれ、そして天命にかなった時にこの世から去った。時に安んじ従っていれば、そこに悲しいとか楽しいといった感情が入ることはない。昔の人はこれを天帝による開放だと言ったのだ。
老聃とは老子のこと。老子が死んだ時にその友人の秦失が葬式に行き、いちおう形ばかりの作法としてえーんえーんえーんと3回泣いて出ていこうとしたら、老子のか秦失のかはわからないけれどどっちかの弟子に、そんなあっさりした弔いでいいのですかと詰問されたという場面です。
それに対して秦失は、老子は天が与えた生まれるべきときに生まれ、死ぬべき時に死んだのだから、それをことさら嘆き悲しむ必要はないと諭しました。
現代日本にもこの秦失の考え方に反発する人もいると思います。しかしそれは、人は生まれれば必ず死ぬという天の道理に逆らう行為です。
予惡乎知說生之非惑邪 予惡乎知惡死之非弱喪而不知歸者邪 麗之姬艾封人之子也 晉國之始得之也涕泣沾襟 及其至於王所與王同筐床食芻豢而後悔其泣也 予惡乎知夫死者不悔其始之蘄生乎
生を喜ぶことが惑いではないと言い切れるだろうか?死を恐れることが、若くして故郷を離れた者が帰郷することを忘れたことではないと言い切れるだろうか?艾の封人の子、麗の姫は、晋国に連れて行かれた時はじめは涙で袖を濡らしたものだが、王とともに贅沢をするようになってからは泣いたことを後悔した。ならば、死者が生を願ったことを後悔してないと言い切れるだろうか?
麗の姫とは春秋時代の晋の献公に寵された驪姫のこと。驪姫っていうのは固有名詞ではなく驪戎族の姫という意味です。中国の史書には、妲己のような例外を除いて普通は女性の固有名詞は記されません。
この驪姫は驪戎が晋に敗れたために献上された人質なので、最初はその境遇に嘆きます。芻豢っていうのは家畜の肉のことで、まあ贅沢の象徴といったところ。最初は嘆いていた驪姫さんも、美人だった故に献公の寵愛を受け、贅沢をするようになって、あれ?なんで嘆いていたんだろうと後悔します。
それと同じように、死とは故郷に帰るようなものじゃないか、生前必死に生きようとしていたことを死者が後悔していないとどうして言えるのかというわけです。
死んだこともないやつが、なんで死という生者には必ず訪れる自然の法則を恐れるのかと突きつけます。
荘子外篇にはもっと強烈な一節があります。
莊子之楚 見空髑髏 髐然有形 撽以馬捶 因而問之曰 夫子貪生失理 而為此乎 將子有亡國之事斧鉞之誅 而為此乎 將子有不善之行 愧遺父母妻子之醜 而為此乎 將子有凍餒之患 而為此乎 將子之春秋故及此乎 於是語卒 援髑髏枕而臥
夜半髑髏見夢曰子之談者似辯士 視子所言皆生人之累也 死則無此矣 子欲聞死之說乎 莊子曰然 髑髏曰死無君於上 無臣於下 亦無四時之事 從然以天地為春秋 雖南面王樂 不能過也 莊子不信曰吾使司命復生子形 為子骨肉肌膚 反子父母妻子閭里知識 子欲之乎 髑髏深?蹙?曰 吾安能棄南面王樂而復為人間之勞乎
長いので大雑把に訳します。
荘子が楚に行くと髑髏があったので、馬のムチでぺちぺち叩いて、あんたは生を貪って道理を失いそうなったのかい、それとも亡国の憂き目にあって誅殺されたのかい?などといろいろ問いかけたあげく髑髏を枕に寝てしまいました。
するとその夜髑髏の人が荘子の夢に現れて、まるで弁士のようによく喋る人だね。あんたが言ったことは人の世の苦しみにすぎないのさ。死んでしまったら君臣の上下などなく、四季の変化に煩わされることもなく、天地とともに時を過ごすことができる。王者にだってこんなに楽しく過ごせはしないねと言いました。
荘子はそれを信じられず、司命神に言って生き返らせてやると言ったらそうしてほしいかい?と聞くと、髑髏は顔をしかめて、王者にまさる楽しみを捨てて人の世に復活したいとは思えないねと答えました。
せっかく死んだあとに安らぎを得られたのに、なんで生き返りたいなどと思うものかという髑髏の言葉は、生きることこそ至上とする価値観への強烈なカウンターとなっています。
こうしたことから、荘子は生より死を肯定しているなんていう的はずれな解説をした本を立ち読みしたことがありますが、決してそうではありません。
吾生也有涯 而知也无涯 以有涯隨无涯殆已 已而為知者 殆而已矣 為善无近名 為惡无近刑 緣督以為經 可以保身 可以全生 可以養親 可以盡年
我が生には果てがあるが、知には果てはない。果てがあるものをもって果てがないものに従おうとするのは危ういことだ。だから知を追い求めるのは危ういことだ。それは善をなして名声を得たり、悪をなして刑に処されるようなものだ。天地を統べる道に従えば身は保たれて生を全うでき、精神を養って寿命を享受できるだろう。
荘子は道と一体化した真人の知こそ真知であるとしています。それは無為自然にして天地に従うことであり、それ以外の知識を限り有る命で追い求めるのは命を縮めることであると言っています。名声を得るのも刑罰を受けるのも、荘子にとっては等しく寿命を短くすることです。
荘子は老子と同様に天に従い寿命を全うすることを大切にしています。それこそ天命に安んじることです。
荘子にとっては生にこだわって無理に長生きしようとすることも、生を軽んじて死に急ぐことも、どちらも天命に逆らう行為なのです。
道家思想と道教は相反するものである
老子も荘子も、道に逆らって命を短くするのことも、生に執着して生きようとすることも否定しました。
一方、道教はとにかく長生きしたい。なんなら死にたくないという神仙道が中核となる宗教です。
老荘思想は天命に従うものであり、道教は天命に逆らうものです。
だから、両者はまったく相反する存在だと言っていいでしょう。道教は決して「道家的宗教」ではありません。
道教はその成立期以来老子を利用し、その思想を都合よく捻じ曲げてきました。
死をタブー視しない荘子は、当初老子ほど重視されていなかったけれど、唐代に荘子が「南華真人」に封じられて以降は書物のほうの『荘子』も南華真経として道教に吸収されました。
老荘思想は道教とは相反するものだけれど、道教は老荘思想を吸収し、都合のいいように歪曲して利用しています。
そこは区別して考えるべきではないかと思います。
一つだけ道教のそのやり方をプラス評価するところがあるとすれば、それはもし道教が老荘思想を経典として取り入れてこなければ、老子や荘子の思想が現代まで伝えられてこなかったかもしれないということですかね。






