道教の神々:城隍爺

台湾には「北城隍中媽祖南王爺」という言葉があります。

台湾北部では城隍爺、中部では天上聖母、南部では王爺千歳の信仰が盛んという意味です。

これを言葉通りに受け取って、王爺廟は北部にはほとんどないなんて嘘っぱちを書いている日本の道教研究者もいるのだけれど、もちろんそんなことはなく、この言葉は単に程度を表しただけで、台湾北部でも王爺千歳信仰は行われているし、南部にも城隍廟があります。天上聖母に至っては、地区の区別なく信仰されていると言っていいでしょう。

今回取り上げるのは城隍爺。非常に大雑把に言えば都市の守り神です。

城隍爺は役職のようなもの

中国語では「城」は城郭ではなく都市を意味します。「城隍」はその都市を取り囲む堀のこと。「爺」は神様への尊称です。

城隍爺はもともとはお堀を守る神様でした。それが時代とともに加護の範囲が広まり、城市全体の守り神となりました。

農村の守り神から発展した土地公=福徳正神とは異なり、城隍爺は城壁に囲まれた都市が形成されてから作り出された神格です。

古代中国には、その土地出身の英雄豪傑を都市の守り神として祀る風習があったようです。そのように各地で祀られていた都市の守り神が、城隍爺という神格が生まれ、広まった時に統合されていったのでしょう。

福徳正神同様、城隍爺は固有の一柱を指した神名ではなく、都市の守護神に与えられた役職のようなものです。

清代に蒲松齢が著した短編小説集『聊斎志異』には『考城隍』という一編があります。作者の蒲松齢の姉の夫の祖父、つまり赤の他人に宋公という人がいました。宋公が病気で寝ていると役人がやってきて試験を受けろと言って宋公を連れ出します。連れられていくとそこは宮殿で、そこには偉い役人たちが居並んでいてその中には関聖帝君などがいました。宋公が試験を受けると、河南に城隍の欠員があるからそこで城隍になるように言われます。

しかし宋公には年老いた母がいたため、母が寿命を全うするまで猶予がほしいと申し出ます。その孝心に免じて猶予が与えられ、その9年後に母が亡くなると同時に宋公も身罷って城隍神になったというような内容。

こうして見ると、清代に至っては城隍爺は英雄豪傑でなくても天界の試験に合格すれば任命されるものだと認識されていたことがうかがわれます。

城隍爺の役割

城隍爺は都市の守り神です。その具体的な役割としては、福を招き災いを遠ざける、荒天の時には天候をよくし、日照りの時には雨を降らせるといったもの。

宋代に『日本刀歌』を詠んだ欧陽脩は『祭城隍文』に

雨之害物多矣 而城者神之所職 不敢及他

雨には害が多いが、それは城の神の職掌ゆえにあえてその職掌に干渉しようとは思わない

と書いています。これは、城内の建設が滞るので雨を止めてほしいと城隍爺に祈願する文章です。

人の力ではどうにもできない天候を、なんとか自分たちに都合よくコントロールしてほしいと神に願うのは中国でも日本でも変わらないのでしょう。

明代以降、城隍爺が都市の守り神として固定的な地位になると、そうしたなんとなく都市を守るといった職能に加え、現実の都市の管理者である巡撫と同様の役割を持たされることになりました。

特に重要なのは法の執行です。

巡撫が現実世界で人間の犯罪者を裁き治安を維持する役割をもつように、城隍爺もその都市の霊的空間で、死者を裁き、悪霊を捕らえて処断します。

そのため、城隍配下には陰陽司を筆頭とした司法に携わる神々がいます。


城隍爺配下の司法神:高雄市旧城城隍廟

城隍爺のランク

城隍爺は祀られる都市の規模によってランク分けされています。

最も位が高いのが京都城隍。京都は固有名詞ではなく首都を表す一般名詞です。北京や台北などそれぞれの国の首都を守護する城隍爺が京都城隍に封じられます。

次に龍興之地城隍。龍興之地とは、その王朝が始まった土地、もしくは王朝を建てた人の出身地や蜂起した場所です。例えば漢なら劉邦が白蛇を斬ったという河南省の芒碭山、唐なら李淵が挙兵した晋陽が龍興之地です。

以下府、州、県に合わせ府城隍、州城隍、県城隍となります。

台湾の城隍爺

台湾にも城隍爺の信仰は伝わっており、各地に城隍廟が建てられています。

ただし、台湾の場合は城隍爺には2つのパターンがあります。

1つは中国からの移民が中国にある城隍廟から城隍爺を将来したパターン。

有名な迪化街の霞海城隍廟などがこれに当たります。ここに祀られる城隍爺は、福建省から将来されました。


台北市霞海城隍廟

もう1つは台湾で独自に城隍廟が建てられたパターン。中国から分霊を受けたのではない城隍です。

例えば台南市の全臺首邑縣城隍廟などがこれに当たります。


台南市全臺首邑縣城隍廟

台湾では、城隍爺の信仰は、霊的空間の守護という点で共通する王爺千歳信仰と一部習合しました。

台湾の城隍爺は、配下に八家将と呼ばれる捕吏の軍団を従えます。八家将には、台湾で特に人気が高い謝將軍、范將軍も含まれます。八家将の役割は瘟神や悪霊などを捕らえることです。

この八家将は、台南で五福大帝を祀る白龍庵が起源と言われています。五福大帝は五福王爺とも呼ばれる王爺神です。つまり王爺千歳信仰から城隍爺信仰に取り入れられたということです。もっともこれはあくまで一説なので、城隍爺配下だった八家将が王爺千歳の下にも組み込まれた可能性もあります。


台南市全台白龍庵:左右に並ぶのが八家将

なんとなくのイメージで例えるなら、城隍爺が岡っ引きを配下に置く町奉行の大岡越前守、王爺千歳が町奉行に属さない独立治安部隊である火付盗賊改方の長谷川平蔵という感じの違いかなと思います。

台湾の城隍廟には大きなそろばんが掲げられていることがあります。これはおそらく城隍爺が死者の功過を計算し、一般死霊として地府に送るか罪人として地獄行きにするかを判断するためのものと思われます。


新竹市新竹都城隍廟

道教世界では天界に行くのは神として祀られた人か羽化登仙して仙人になった人のみなので、それ以外の死者の魂はみんな地府へ送られ、その中の罪人は地府の中の地獄に送られて罪に応じた責め苦を与えられます。

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Posted by 森 玄通