道教の神々:三官大帝

道教とは何か?道を体得して仙人になる教えである。ときっぱり言い切れるなら簡単なのだけれどそうはいきません。
まさに幸田露伴が『道教に就いて』で
神仙と道教者とは同じもので、神仙は即ち道教の成就者及第者のやうに思はれてゐるのが一般認識である。しかしこれも無批判に是認するのは危いことである。
と指摘した通りでして、確かに道教の中核には仙人を目指す神仙道の思想と、そこから発展した修行体系があるのは確かだとはいえ、じゃあ道教の信徒の全部が全部仙人を目指しているかってなるとそういうわけではありません。これは全ての仏教徒が仏陀なり阿羅漢なりをめざしているわけではないのと同じです。
神仙が道教の頂点というのなら、その裾野には、神仙のご利益に浴したいという、都合のいい神頼みだけする一般人もいます。裾野が広がる平野部には、なんとなく神様にお参りするけど道教の信徒とまではいかない層が大量にいるのです。そこらへんは、別に神道の信者ではないけれど神社に都合のいい願掛けに行く日本人と大して変わりません。
信仰は心の問題だけれど、宗教団体は商売です。商売としてシェアを広げるためには、裾野の一般人のニーズに応えなければなりません。その結果、道教は上は老荘思想の高尚な玄学を奉じつつ、下は現世利益を叶えるという矛盾した宗教になりました。ただまあこのへんは大乗仏教もたいしてかわりません。日本の仏教は上がなくただ商売だけを重んじる墓地分譲業か観光業なのでここにはあたりませんが。
さて人間が神様に願うご利益とは何でしょうか?商売繁盛、学業成就、子宝だの健康だのそれはもう多岐にわたるけれど、道教はそうした一般人の願いを元に、大雑把に3つのご利益を提示しました。即ち賜福、赦罪、解厄です。
そして、この3つのご利益を与えてくれる神として設定されたのが、上元天官賜福大帝、中元地官赦罪大帝、下元水官解厄大帝という三柱の神で、まとめて三官大帝、もしくは三元大帝と呼びます。
三官大帝
三官大帝は、1月15日の上元を誕生日とする上元大帝、7月15日の中元を誕生日とする中元大帝、10月15日の下元を誕生日とする下元大帝よりなり、現代の道教では上元大帝が天を司る天官、中元大帝が地を統べる地官、下元大帝が水を統べる水官として四御に次ぐ地位になっています。
道教の廟で玉皇大帝が祀られている場合、その神像の前に3尊の神像が祀られていることが多く、それはほぼ間違いなく三官大帝です。

玉皇大帝と三官大帝:新北市湧蓮寺
上元天官賜福大帝
まず、1月15日の上元を誕生日とする上元天官賜福大帝。正式な神名は「上元一品九炁天官賜福曜靈元陽大帝紫微帝君」です。つまり、四御の一柱である北極紫微大帝が三官大帝にも任命されています。これは別の神格だったものが後に習合した結果です。
北極紫微大帝についてはすでに詳しく解説しました。
上元天官大帝は天官と言う通り天を司ります。とはいえ、天界には天の皇帝である玉皇大帝がいるので、司ると言っても天界の支配者というわけではありません。
例えていうならば、玉皇大帝は天地水の三界全てを支配する世界のCEOで、天官大帝はその中の天部門の社長を任されているといったところでしょうか。
天官大帝の誕生日である1月15日の上元節には、地上の人々に福が与えられます。ただまあ、何が福なのかは人によるので、どんな福を賜るかは自分の解釈次第ということになります。
ソシャゲで言うならゲーム内で自由に使える石が配布される感じだと思います。
1月15日は元宵節でもあり、一般的には上元節は元宵節より影が薄くなっています。
中元地官赦罪大帝
7月15日の中元節を誕生日とするのが中元地官赦罪大帝です。正式な神名は「中元二品七炁地官赦罪洞靈清虛大帝青靈帝君」。
中元大帝の赦罪が与えられるのは地上の人々ではなく、地獄にいる罪人たちです。7月15日の中元節には、中元大帝の誕生日として恩赦が施され、地獄の釜の蓋が開かれて、罪を犯して地獄で刑に服する亡者が地上に戻ってくることができます。
中元節は現在では中国仏教で作られた盂蘭盆会と習合しており、地上に戻ってきた亡者を彼岸に導く済度の儀式が行われます。
下元水官解厄大帝
最後に10月15日の下元節を誕生日ぼするのが下元水官解厄大帝です。
そもそも「厄」とは何か?
『広辞苑』には「くるしみ。わざわい。災難。」とあり、『漢字源』には「つかえて進退に窮するさま。不吉な回り合せ」とあります。
どれだけ真面目に生きていようと不幸な目にあうことはあります。それは常識で考えれば偶然の産物でしかないのだけれど、常識で考えられない人は偶然ではなく何らかの力が働いて「厄」が起こると考えます。そういう人は、壺だの印鑑だのを騙されて売りつけられたり、何の根拠もない厄年なんてものを気にして神社でお祓いなんぞを受けたりするわけです。
信者に高額の壺を買わせていたという宗教団体も、厄年にお祓いを受けさせようとする神社も、偶然を必然だと脅して商売にしている点では大して変わりません。
その点、10月15日には水官大帝のお誕生日だから厄が解いてもらえるよっていうのは、宗教としてだいぶ良心的ではないかと思います。
下元節は特に重なる祭りもなく、三元節の中では一番マイナーです。
三官
三官大帝の由来はどこにあるのでしょうか?
一説には東漢末にはすでに「三官」の信仰があったといいます。
『三国志』魏書張魯伝の裴松之註に『典略』からの引用として
作三通 其一上之天著山上 其一埋之地 其一沉之水 謂之三官手書
三通を作る。その1は上の天を山上に著し、その1は地に埋め、その1は水に沈める。これを三官の手書という。
とあって、天地水の三界を祀っていたことがうかがわれます。
『典略』は三国時代に記された魏の史書で、五斗米道の張脩がそのような儀式をしていたと記されていたというのです。『典略』は散逸しているため、本当にこうした記述があったのかは不明です。本当にそう記述されていたなら東漢末、仮に裴松之が引用だと言いながらも自分で作った文章だったとしても東晋のころには天地水の「三官」を祀る風習があったことがわかります。
三「官」ですから、単なる自然崇拝として行っていたのではなく、天地水を司る神を祀っていたものではないでしょうか。
では、当時からすでに「三官」の神は三元の神でもあったのか?
北朝の北周で作られた『無上秘要』には
玄中有三太空 即三官所治 上三官太玄之上玉虛太空之中 中三官治上清太空 下三官治於太極太空
玄中に3つの太空があり三官が治めている。上三官は太玄の上玉虚太空の中にあり、中三官は上清太空を治め、下三官は太極太空を治める
と、上中下の三官の神が記されます。またそれと同時に
太微中有三皇一帝 一曰皇君 二曰皇天 三曰皇老 此即三元之炁混沌之真 出入上清太素太和之宮
太微垣には三皇一帝がいる。皇君、皇天、皇老である。これはつまり三元の気であり混沌の真で、上清太素太和宮を出入りする
と、三元の気よりなる神も記されます。ここで言う三元は日付と結び付けられた三元とはまた違う概念です。その三元と三官の神とは別の存在と認識されていたことがわかります。
三元
一方で三元はいつごろ作られたものなのでしょうか?
「三元」という言葉自体は、東晋に作られた『洞真太一帝君太丹隱書洞真玄經』に見えます。
人體體與神并 神去則死 神守則生 是以三元為道之始帝君之根
人体の体は神とともにあるものであり、神が去れば死に、神を守れば生きる。これをもって三元を道の始帝君の根本とする。
ただし、『洞真太一帝君太丹隱書洞真玄經』は体内に神をイメージする存思の書なので、ここで言う三元は体内の上元中元下元のことであって、現在に言う三元節とは関係ありません。
時代は下り南北朝になると、三元の神の名が出てきます。上述の『無上秘要』には『洞神經』からの引用として「上元神字威成」「中元神字?子」「下元神字命光子」が記されています。ただしこれも存思でイメージする体内神です。
南北朝のころに活躍した陶弘景が作った『真霊位業図』には「玉清上元宮四道君」「玉清中元宮紫清六道君」「玉清下元宮高清四元君」などの神名が見られます。『真霊位業図』では、存思法で作られた体内神のいくつかを天界の神として採用しているので、これも『洞神經』に記される上元中元下元の神を採用して神名を盛ったものかもしれません。
とりあえず現存する道教経典から推測すると、名前を持つ三元の神が作られたのは南北朝のころだと言ってよさそうです。
三官と三元の融合
では1月7月10月それぞれの15日を上元中元下元とする現在の三元はいつ考えられたのか?明確な時期は不明ながら、これも南北朝までは遡れるようです。
天地水の神である三官と、現在に通じる三元節としての三元が結び付けられたのもまた南北朝のころだと考えられます。
まず、東晋から南朝に至るいつかに作られたと言われている『太上洞玄靈寶三元品戒功德輕重經』には、現代の三官大帝につながる設定が記されています。
上元一品天官 元氣始凝三光開明 結青黃白之氣 置上元三宮 其第一宮名太玄都元陽七寶紫微宮則青元始陽之氣 總主上真自然玉虛高皇上帝 諸天帝王上聖大神
上元一品天官は元気が凝集しはじめた時に三光が明を開き、青・黄・白の気が結実したものが上元三宮に置かれたものである。その上元三宮の第一の宮は太玄都元陽七寶紫微宮で、天官はすなわち青元始陽の気である。上元三宮の総主は上真自然玉虚高皇上帝と諸天の帝王、上聖、大神である。
中元二品地官 元洞混靈之氣凝極黃之精 置中元三宮 其第一宮號洞空清靈宮則元洞混靈之氣 總主五帝五嶽諸真人及地上諸神仙已得道諸大神
中元二品地官は元洞混霊の気が凝集して極まった黄の精が中元三宮に置かれたものである。中元三宮の第一の宮は洞空清霊宮で、地官はすなわち元洞混霊の気である。中元三宮の総主は五帝五嶽の諸真人及び地上の諸神、神仙と道を得た諸大神である。
下元三品水官 洞元風澤之氣晨浩之精 置下元三宮 其第一宮號暘谷洞源宮 一曰青華方諸宮則洞元風澤之氣 總主水帝暘穀神王 九江水府河伯神仙諸真人 水中諸大神 已得道過去未得道及百姓子男女人仙簿錄籍
下元三品水官は洞元風沢の気、晨浩の精が下元三宮に置かれたものである。下元三宮の第一の宮は暘谷洞源宮で、青華方諸宮も言い、水官は洞元風沢の気である。下元三宮の総主は水帝暘穀神王、九江水府の河伯神仙諸真人、水中の諸大神、すでに道を得て過去にはまだ道を得ていなかった庶民の子女のうち仙人の名簿に記されている者である。
一応言っておくと「元気」は根本の気というような意味であって、日本語の「げんき」とは全く違います。
ここではすでに、三元と三官の神は結び付けられて同一の神となっています。また、上元一品天官は紫微宮にいるとされており、これが後に天官が紫微大帝になる根拠になっているようです。
ただし、この経典では三元の宮殿にはそれぞれ現在の三官大帝とは異なる神名の「総主」が挙げられているとともに、三官それぞれが単一ではなく神や仙人を数多く含む官職となっています。
また『太上洞玄靈寶三元品戒功德輕重經』にはこんな記述もあります。
中元二品右宮名北酆宮 一號陰天宮 總主地上諸靈官 已得道過去及未得道學者百姓子男女人罪簿死籍
中元二品の右の宮は北酆宮もしくは陰天宮といい、総主は地上の諸霊官である。すでに道を得た、過去には道を得ていなかった庶民の子女の罪を記したノートと死籍がある。
北酆宮はおそらく死者の魂が向かう北陰酆都のことです。北陰酆都を統べる北陰酆都大帝は後に北極紫微大帝のアバターだという設定になります。
中元の宮の一つは地府にあり、人間の寿命を定める死生簿を管理している。これが後に中元節に地獄の亡者が地上に戻ってくるという設定につながっていると思われます。
さらに日付について
高皇玉帝 諸天大聖眾 十方諸天大神 無極太一 南極上真 妙行真人 諸天日月星宿 璇璣玉衡 無鞅數眾 一切尊神 常以正月十五日 七月十五日 十月十五日 一年三過 集校諸天已得道過去及未得道 百姓子男女人滅度生死功過簿錄
高皇玉帝、諸天大聖衆、十方諸天大神、無極太一、南極上真、妙行真人、諸天日月星宿と北斗の諸星、無数の仙人、一切の尊神はいつも1年に1月15日、7月15日、10月15日の3日に集まってすでに道を得た、過去には道を得ていなかった庶民の子女が煩悩を捨てたか否かや寿命や善行悪行を記したノートの校閲をする。
ここではまだ三官の神々はそれぞれ一柱の固定された人格神にはなっておらず、三元の日付はすでに決まっていたものの、それは三官の神の誕生日ではなくて、人間の寿命をチェックしに集まる日になっています。
同じ南北朝のいつどこで作られたか、『太上洞玄靈寶三元品戒功德輕重經』より古いか新しいかも不明の『太上洞玄靈寶三元玉京玄都大獻經』は、タイトルそのまんま三元の神について述べた経典で、三元についてこう記されます。
三元方欲顯明善惡之報 懲勸之妙法 故述上元中元下元 以曉之言一切眾生 生死命籍 善惡簿錄 普皆系在三元九府天地水三官 考校功過毫分無失
三元方は善悪の報いを明らかにしようとするもので、勧善懲悪の妙法である。故に上元、中元、下元を述べ、一切衆生に生死と善悪の記録が三元九府の天地水の三官に連なっており、功過については一切もらさず考慮されることをわからせる。
『太上洞玄靈寶三元品戒功德輕重經』と同じく、三元が人間の寿命を決める功過をチェックする日となっています。
善行を勧める思想はすでに東漢末の太平道や五斗米道にありました。これは于吉(干吉)の『太平清領書』の影響によると考えられます。
さらに、仏教が普及し因果応報の思想が広まるとともに、道教側もより善行を勧めるようになりました。「一切衆生」と仏教の用語をパクっているところからも、仏教の影響がうかがえます。
『太上洞玄靈寶三元玉京玄都大獻經』ではその流れを受けて功過、つまり善悪の行いは三元九府の天地水の三官にチェックされていてしっかり記録され、生死に影響するのだと言っています。
『太上洞玄靈寶三元玉京玄都大獻經』ではさらにこう述べます。
所言三元者 正月十五日為上元即天官檢勾 七月十五日為中元即地官檢勾 十月十五日為下元即水官檢勾 一切眾生皆是天地水三官之所統攝
三元とは、正月15日を上元すなわち天官の査察日とする。7月15日を中元すなわち地官の査察日とする。10月15日を下元すなわち水官の査察日とする。一切衆生は皆天地水三官によって統括されている。
ここに取り上げたこれらの経典はどちらも魏晋南北朝のころに盛んに作られた霊宝経です。三元と三官の神を結びつけたのは霊宝経を作った霊宝派道教で、彼らの間では三元とは人間の善悪を三官の神々がチェックする日だという共通認識があったことになります。
では唐代にはどうだったのか?
唐代に作られた『道門經法相承次序』を見てみるとまず三元についてこうあります。
原夫道家由肇 起自無先垂跡應感生乎妙一從乎妙一分為三元 又從三元變成三氣 又從三氣變生三才 三才既立萬物斯備
元は道家の思想から始まったことだが、まず無は仮の姿として妙一を生んだ。妙一は分かれて三元になった。三元は太初・太始・太素の三気となり、三気は天地人の三才になった。三才がすでに立ったからには万物が生まれる準備ができた。
これはつまり『老子』に言う
道生一 一生二 二生三 三生萬物
のことを三元の概念に当てはめているものだと思います。そして
三官亦謂三元 上元天官治陽元之士 中元地官治酆都山洞中 下元水官治九江洞室中
三官は三元とも言う。上元天官は陽元之士を治め、中元地官は酆都山洞中を治め、下元水官は九江洞室中を治める。
と、しています。これは『太上洞玄靈寶三元品戒功德輕重經』の設定を受け継いだものです。
また
常至三元八節諸是齋日
三元と立春、立夏、立秋、立冬、春分、夏至、秋分、冬至の八節はそれぞれ斎日である。
とも記されます。斎日は仏教からパクったもので、菜食し、心穏やかにおとなしく過ごす日のこと。これは三元には諸神が衆生の善悪を審査するから自重しておこうということです。つまりこちらも南北朝の霊宝経にある三元の設定を受け継いでいます。
複数の神が担当する官職というイメージだった三官が、上元、中元、下元それぞれ一柱ずつの神格に集約された「三官大帝」になったのはおそらく宋代です。宋代に作られたと考えられている『太上說玄天大聖真武本傳神呪妙經』には「上元宮主品加羅加羅賜福天官紫微大帝」の名が見られます。
作られたのが『太上說玄天大聖真武本傳神呪妙經』より前か後か不明ながら、多分宋代ぐらいにできたんじゃないかなと考えられている『太上元始天尊說三官寶號經』は、タイトルの通りただ元始天尊が三官の神名を述べるというだけの経典です。ここに
上元一品賜福天官紫微大帝 中元二品赦罪地官清虛大帝 下元三品解厄水官洞陰大官 三元主宰
と、三官大帝それぞれの神名が記されています。この経典によって三官大帝の正式な神名が決まったという可能性もなきにしもあらずです。
宋から元になるころに作られた『新編連相搜神廣記』には「三元大帝」の項があります。宋代に「三元主宰」となったことから、三官大帝ではなく三元大帝と呼ばれるようになっていたのかもしれません。
『新編連相搜神廣記』での三元大帝の説明はこうです。
每至三元日 三官考籍大千世界之内 十方国土之中 上至諸天神仙降之籍 星宿照臨国土分野之籍 中至人品考限之期 下至魚龍変化飛走萬類蠢動生化之期 並俟三官集聖之日 録奏分別隨業改形 隨福受报 隨刧轉輪 隨業生死善惡 隨縁無復差別宜
三元の日になると三官は考籍を行う。考籍の範囲は大千世界の内十方国土の中である。上は諸天の神仙が降臨した籍や、星宿が照らした国土のノートまで。中は人品が見極められるまで。下は魚や龍が変化して飛び立ち、よろずの生き物が蠢動する生化の時期、並びに三官が聖人を集める日までである。業に從って姿を改め、福に從って報いを受け、刧に從って転生し、業に従い善悪によって生死を定め、縁にしたがって無になるか再び生を得るかの区別を述べ記録する。
わりと意訳気味に訳したので正しいかどうか微妙なところですが、大意はあってると思うんですけど、つまりはこの時点でもまだ三元は人の行いによって三官大帝が寿命を決めるような日になっています。
『新編連相搜神廣記』の増補として明代に作られた『三教源流搜神大全』も同じ内容が記載されているので、明代までは三元=三官大帝の誕生日ではなかったことになります。
現在の三官大帝になるまで
三官の神々、あるいはそれが集約された三官大帝は、人間の善悪を審査する神だと考えられてきました。しかしその一方、宋代にすでに「上元宮主品加羅加羅賜福天官紫微大帝」の神名が作られていたことから、ただ人間の善悪を審査するだけではない職能も与えられていたことがわかります。
同じく宋代には『九天應元雷聲普化天尊玉樞寶經』が作られており、この経典には
上請天官解天戹 地官解地息 水官解水戹
天上の天官に天の厄を解き、地官に地の厄を解き、水官に水の厄を解いていただけるように請う。
三官大帝に善悪の審査以外に与えられた初期の属性は三柱とも解厄だったようです。
時代は飛んで明代に作られた『太上三元賜福赦罪解厄消災延生保命妙經』には、「賜福天官曜靈元陽大帝紫微帝君」「赦罪地官洞靈清虛大帝青靈帝君」「解厄水官金靈洞陰大帝暘谷帝君」と、現在の三官大帝の賜福、赦罪、解厄の属性が与えられいます。
しかし日付については7月15日についてしか触れられていません。
於是地官 至七月十五日即與獄囚地獄受苦眾生除罪簿滅惡根削死名
地官は7月15日になると獄囚と地獄で苦しみを受ける衆生の罪を除き、悪の根を滅して、生死簿から名を削る。
中元節には地官大帝が地獄の亡者を救ってくれるのだという信仰はすでに明代にはできていたことがわかります。ただ、それが地官大帝の誕生日だとは書いてありません。
三元節が三官大帝の誕生日になったのはいつごろかというと、どうも清代に出版された『歴代神仙通鑑』にその元ネタがあるようです。
元始復飛身到太虛極處 取始陽九堯 在九土洞陰 取清虛七仙 更於洞陰風澤中取晨浩五惻 總吸入口中與三焦合於一處 九九之期 覺其中融會貫通結成靈胎聖體 正當春一月月望之霄 原從口中吐出嬰孩 相好光明 又於秋一月望日冬一月望夜 復吐出二子 是為上中下三元
元始天王はまた太虚の極みへと身を飛ばし、始陽九気を取った。九土洞陰では清虚の七気を取り、さらに洞陰風澤の中から晨浩五気を取って、それらの気を口から吸って三焦で一つに合わせた。81期を過ぎると、その中からそれぞれの気が混じり合ってできた聖体を形作る霊胎ができたのを感じた。そして春1月の望月の宵に口から赤ん坊を吐き出した。それはまるで光のようだった。また秋1月の望月と冬1月の望月の夜に2人の子を吐き出した。これが上中下の三元となった。
『歴代神仙通鑑』では他の部分で元始天尊ではなく元始天王の名がいくつも出てくるので、ここでも元始天王としています。ただし、本来別の神格だった元始天尊と元始天王は混同されている場合もあるので、もしかしたら作者は元始天尊のつもりで元始天王と書いていたかもしれません。現代では元始天尊が三官大帝を生んだと解釈されています。
とにかく元始天王が始陽九気、清虚七気、晨浩五気を吸い込むと、三焦で一つに合わさってから3人の子として生まれたとなっています。三焦は中医学の用語で、人間の胴体を上焦、中焦、下焦に分ける考え方の総称です。つまりは体の中ってことです。元始天王は男神のはずだけど、気を吸って孕んでしまったのですね。オメガバースの原点がここにあったと言っていいでしょう。
月望は月が望月になったということで要するに15日です。春1月は当然正月、秋1月は秋のひと月目、つまり7月、冬1月は10月。三元節のそれぞれの日に三官大帝が生まれたという物語がここで始めて記されたわけです。
『歴代神仙通鑑』は別名『歴代神仙演義』ともいい、実際のところ道教経典というより現実の歴史と神仙の世界をリンクさせた小説です。元始天王が三官大帝を生んだというのは、当時民間にすでにあった説話かもしれないけれど、作者の創作だという可能性も大いにあります。
中国人っていうのは現実とフィクションの区別がつかないんですよ。現在の道教では孫悟空や月下老人など小説で作られたキャラクターも神として祀られているし、『封神演義』で作られた設定が神の設定の中にまじり込んでいることもあります。ましてやこの場合、三官大帝や三元節はすでに社会に存在して認知されていましたから、そこに小説を元ネタにした神様の誕生日の設定が加わったところでたいしたことではありません。
ということで現在の道教では、三元節にそれぞれ三官大帝の誕生日を祝う儀式が行われています。こういうところも道教のおもしろい部分だと思います。






