道教の神々:地蔵王菩薩

道教で信仰されている神々には5つほどパターンがあります。

1.道教オリジナルの神
2.中国神話の神
3.実在の(あるいは実在すると信じられている)人物の神格化
4.民間信仰から取り入れた神
5.仏教など他の宗教から取り入れた神

現在天帝として君臨する玉皇大帝、もともとは道教の最高神だった元始天尊などは道教オリジナル神。西王母や神農などは中国神話出身の神です。

老子を神格化した太上老君は道教が直接的に実在の人物を神格化した例です。老子の実在を疑う説もあるけれど、そこらへんは学者が考えることなのでここではどうでもいいです。

関聖帝君や顕聖二郎真君なども、実在する、或いは実在したと伝えられる人物を神格化した神ですが、こちらはまず民間での信仰が起こり、その高まりによって道教に取り入れられたパターンなので3とは若干違います。また、広東の山岳信仰から生まれた三山国王など人間の神格化ではない神を取り入れている例もあります。

そして仏教などから取り入れられた神々。その代表は観世音菩薩が道教に取り入れられた観音仏祖でしょう。仏教では菩薩と仏を混同することはありませんから、菩薩である観音に仏祖とつけるのは道教ならではです。もっとも、道教で信仰される仏教由来の神は主に民間信仰経由で取り入れられているので、大雑把には4に入れてもいいかもしれません。

今回は、観音仏祖とともに道教でも人気の仏教出身の神、地蔵菩薩が道教神化した地蔵王菩薩について考えていこうと思います。

もともとは女神だったお地蔵様

地蔵菩薩は、インド神話のプリティヴィーという地母神が仏教に取り入れられて作られたと言われます。プリティヴィーはバラモン教の最高神インドラや火神アグニのお母様で、日本神話で言えばイザナミのような立場ともいえます。

仏教では釈迦入滅後弥勒如来が降臨するまでの56億7000万年の間、衆生を救済する役割をもった菩薩とされました。まあ大変な役目を押し付けられたものです。

さて、女神をモデルに作られた地蔵菩薩はやはり女性でした。地蔵菩薩の本願、つまり地蔵菩薩がなにを目指す菩薩なのかを記した『地蔵菩薩本願経』にも明確に記されています。

『地蔵菩薩本願経』は、あるバラモンの女性が、邪教を信じたせいで地獄に落ちた母親を救うために供養するというストーリーで始まります。そして、

婆羅門女者即地藏菩薩是

このバラモンの女こそが地蔵菩薩である。

としています。

或いはまた、光目という女性が、地獄に堕ちた母親を救ってもらえるなら、

所有地獄及三惡道諸罪苦眾生 誓願救拔令離地獄惡趣畜生餓鬼等

全ての地獄及び三悪道にて諸罪に苦しむ衆生を救い、地獄道、畜生道、餓鬼道などから離れさせると誓願します。

と誓います。さらに

光目女者即地藏菩薩是

この光目という女性こそが地蔵菩薩である。

ともしています。

『地蔵菩薩本願経』は儒教の孝道に通じる思想があるため、中国で作られた偽経だという説もあるようです。

しかしまあ『地蔵菩薩本願経』が偽経であろうがなかろうが、中国でも地蔵信仰の初期では地蔵菩薩は女性がなったものだという認識があったことは確かです。

試しに「敦煌 地蔵」で画像を検索してみると、剃髪した僧形ではありつつも顔つきは女性に見える敦煌壁画がいくつか表示されます。

中国で地蔵信仰が広まったのは唐代、特に武周を挟んだ後だと考えられており、その頃には地蔵菩薩は女性だとされていた可能性が高いです。

中国で高まる地蔵人気

地蔵菩薩は経典にも女性がなったと記されているように、インド神話の女神がモデルという可能性は高く、インドで作られた菩薩であることは確かです。しかし地蔵信仰の人気が高まるのは、インドではなく中国でした。

『日・中地蔵信仰比較研究試論』にはこう記されています。

 概説的に地蔵信仰史を述べれば、地蔵菩薩の起源は、仏教発生の地、インドに求められる。が、現存する仏像や中国僧のインド旅行記から、古代インドにおいて、地蔵菩薩は信仰の対象ではなかったとされている。
 地蔵菩薩が信仰の対象となるのは、中国唐代においてであり、このことは、竜門石窟の仏像及び敦煌石窟の壁画から確認される。

『日・中地蔵信仰比較研究試論-地蔵説話にみられる冥府・地獄』清水邦彦
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/record/4427/files/6.pdf

要するにキャラ設定したもののインドでは人気がでなかったキャラが、中国に伝わってバズったということですね。地獄に堕ちた母親を娘が救うという親孝行ストーリーは中国人ウケがよかったのかもしれません。

中国では地蔵人気の高まりとともに、地蔵を主人公とした偽経も作られていきました。『地蔵菩薩本願経』のように、内容的にもしかしたら偽経かもしれないというのではなく、明確に中国で作られた地蔵経典です。

そんな偽経の中には道教色が強いものもありました。

 先行研究はいずれもこの『地蔵大道心駆策法』を中国撰述とするが、その根拠として、この経典が極めて道教的な内容を豊富に含んでいる点も挙げている。例えば尹富氏はこの経典が「神咒的な行法の中に多くの道教的な書符厭勝之法」を含んでいるため、「中国国内の偽撰であることは疑い無い」としている(「書符厭勝之法」とは護符を書いてまじないによって悪鬼や災難を除く行法)。

『地蔵大道心駆策法』における鬼 伊藤真
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=12988&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

『地蔵大道心駆策法』は、地蔵菩薩が諸国を遊行して衆生を教化しているとき、毘富羅山という山のふもとに住む長者が悪鬼に精気を奪われていたので、この悪鬼を払う方法を世尊に教えてもらうというストーリー。地蔵菩薩の本願は悪趣に堕ちた衆生を救うことだったはずですが、それが拡大解釈されて通りすがりに困っている人を助けるラノベ主人公みたいになっています。

世尊=お釈迦様は地蔵菩薩に悪鬼を払う呪文の他、霊を呼んだり使役できる符、つまりお札の書き方なども教えます。ここらへんは確かに道教的発想です。

『地蔵大道心駆策法』はおそらく仏教側が地蔵信仰人気に乗っかるために庶民に馴染みがある道教の術を取り入れて作ったものでしょう。ここから、これが作られたと考えられている唐代には、すでに地蔵菩薩が道教と結びつく下地ができていたことがうかがわれます。

十王信仰と地蔵信仰の融合

人は死ぬとどうなるのか?古代中国では、死者の魂は天に登っていくとか、逆に地下世界に行くといったいくつかの死後の世界が考えられました。

道教では人は死ぬと地府に行く方が採用されます。天界に行くのは基本的には成仙したか神になった者だけです。

この死者の魂は地府に行くという基本設定に、仏教がもたらした地獄の概念が習合します。

そして、地府には生前罪を犯した魂が裁かれる10の裁判所(正確には9の裁判所と最終的に転生先を決める事務所)と、罪に応じた18箇所の地獄があるという設定が生まれました。それぞれの裁判所および転生手続きを担当する10人の閻羅王も考えられています。10人の閻羅王は十殿閻羅、あるいは十王などと呼ばれ、もともと中国の地府の主であった泰山府君や、仏教由来の閻魔王などが含まれます。

この十王の信仰に地蔵信仰が融合しました。

まず仏教側が十王信仰をパクり『地藏菩薩發心因緣十王經』という経典を作りました。これも中国で作られた地蔵経典の一つではありますが、成都慈恩寺の藏川という僧侶が述べたと中国制であることを明らかにしているので、偽経というくくりに入れていいのかどうかはわかりません。ただ、藏川が実在するのかどうかは不明です。

『地藏菩薩發心因緣十王經』には阿頼耶識を説く部分があるので唯識派の人が作ったのかもしれないけれど、単に単語だけを借りてきただけかもしれません。

『地藏菩薩發心因緣十王經』では、十王それぞれが仏菩薩、明王などのアバターだという設定が説かれました。日本でも仏教勢力は日本の神々は仏教の仏菩薩や明王、天部のアバターだとする本地垂迹を言い張ってますけど、それと似たような発想です。ちなみにアバターっていうのはバラモン教やヒンドゥー教で神の化身を表すアヴァターラが語源です。

その中で、第5殿を担当する閻魔王國が地蔵菩薩の化身とされました。

地蔵菩薩から地蔵王菩薩へ

偽経、もしくは中国オリジナル創作経典まで作って行われた地蔵菩薩キャンペーンもあいまって、地蔵菩薩は一般人にも非常に人気の「神」となりました。神と仏や菩薩との区別がつかないのは日本人とご同様です。日本人は菩薩像どころか阿修羅像まで仏像って呼びますよね。

地蔵信仰における仏教と民間信仰の違いは那辺にあるかといえば、仏教側のがあくまで地蔵を衆生を救済する菩薩として功徳を説いて仏教信仰に引き寄せようとしているのに対し、民間信仰では地蔵を道教や土着神などと区別せずに祀ってその御利益を期待するといったところでしょうか。

しかし中国では民間信仰は多分に道教的要素を含んでおり、民間信仰に取り入れられた時点でもう片足を道教に突っ込んでいると言っても過言ではありません。

さて民間信仰での地蔵信仰では、『地蔵菩薩本願経』で地蔵菩薩の本願として説かれる悪趣、つまり地獄道、餓鬼道、畜生道に堕ちた亡者の救済が期待されました。ここらへんは仏教勢力のキャンペーンの成果といえます。

ただし、民間信仰では地蔵菩薩の立場は若干変えられて、十王たちの上に立ち、地獄の亡者を救済する「幽冥教主」という設定になりました。この設定は日本にも伝わっていて、例えば横浜のイセザキモールのはずれにある一六子育て地蔵尊には、本尊の地蔵菩薩の他に十王の像も祀られています。

地蔵菩薩が地蔵王菩薩となったのはこの民間信仰に取り入れられてからのようです。

道仏戦隊十王者の上に立つ王者の中の王者「ジュウオウクシティガルバ」ということで王がつけられたのかもしれません。本尊覚醒して「このわしを、なめるなよ!」と啖呵を切って悪鬼羅刹をしばき倒す姿が思い浮かびます。

おそらく本来の女性だったという設定はここでは忘れ去られていて、男性に寄ったイメージに変化していたと思われます。日本の地蔵像にあまり女性的なイメージがないのも、中国で男性寄りのイメージに変化してから伝わったからではないかと思います。


東京都 深川永代寺

日本に伝わった地蔵菩薩はまた日本土着の道祖神の信仰と習合して、道祖神としても祀られるようになります。「お地蔵さん」の像が通り沿いに置かれていることが多いのはそのためです。

道教神地蔵王菩薩

中国の民間信仰と道教の境界線は非常にあいまいです。民間信仰は道教の要素が強いし、道教にも民間信仰が影響を与えています。民間信仰=道教とするのはいささか乱暴ではあるけれど、民間信仰の神はそのまま道教に吸い上げられることが多いのも確かです。

では道教側が「地蔵王」菩薩を道教の神と扱うようになったのはいつか?

一応の目安として『三教源流捜神大全』が挙げられます。『三教源流捜神大全』は書名の通り三教、つまり道教、儒教、仏教の神や仏などを記したいわば神様辞典です。中には仏僧なども多数収録されていて、道教神ばかりが並んでいるわけではないのだけれど、しかしこれは道教側が三教合一を標榜して作ったものなので、儒教も仏教も道教に属するものなんやでという意図が込められています。

この中に「地蔵王菩薩」も収録されています。

地蔵王菩薩
職掌幽冥教主十地閻君率朝賀成禮

幽冥教主を職掌し、十地閻君を率いて朝賀し礼を成す。

仏教の菩薩というよりは、民間信仰で作られた「幽冥教主」として取り入れられたことが明確にわかります。朝賀というのは当然地上の朝廷ではなく、玉皇大帝の朝廷を賀して臣礼をとったということで、ここにおいて地蔵王菩薩は道教の神とされたわけです。

この『三教源流捜神大全』は、元代に作られた『捜神広記』の増補版として明代に成立しました。地蔵王菩薩の項目は『捜神広記』にはなく、『三教源流捜神大全』で増補された部分なので、地蔵王菩薩は元から明に至る時代に民間信仰から道教に取り入れられたという推測も一応成り立つと思います。

とはいえ『捜神広記』にも、当時道教で信仰されていた全ての神が網羅されているわけではないので、明代以前にもすでに地蔵王菩薩が道教の神とされていた可能性も十分にあります。

道教での地蔵王菩薩像には、霊獣「諦聴(たいちょう)」に乗っているものもよく見られます。


霊獣諦聴に乗る地蔵王菩薩:新竹市東寧宮

諦聴は虎の頭にサイの角と犬の耳が生え、体は龍で尾っぽは獅子、そこに麒麟の足がつくという合体超獣ジャンボキングみたいなキメラです。

諦聴とは本来は諦(あき)らかに聴く。つまり仏法をしっかりと集中して聞くという意味の仏教用語ですが、民間の地蔵王菩薩信仰ではなぜか地蔵王菩薩が乗る霊獣の名前となりました。

道教の神々

Posted by 森 玄通