台湾の孤魂信仰と陰廟

前回『台湾道教と8+9』にて、中国とは少し違う台湾独特の道教信仰について述べました。

その流れで、今回は台湾の民間信仰で重要な位置を占める孤魂信仰、そして孤魂が祀られる陰廟について述べていこうと思います。

最初に明確にしておくと、孤魂信仰は正確には道教信仰とは異なる民間信仰です。むしろ儒教の要素が強いかもしれません。しかし、現代台湾では道教との習合が進み、道教的民間信仰の一部となっています。

台湾の孤魂信仰

まず孤魂とはなにかと言うと、戦争、疫病、災害などで横死し、かつ誰にも祀られることがなかった魂のことです。日本的に言えば無縁仏となります。そうした孤魂は、そのまま弔わずに放置すると厲鬼、つまり悪霊になってしまうと信じられていました。それを防ぐために孤魂をきちんと弔って厲鬼にならないでもらおうというのが孤魂信仰です。これは元々は福建や広東などからの移民が台湾に持ち込んだものだとも考えられています。

日本の統治によって衛生環境の改善と医療が普及する以前の台湾は、瘴癘の地と呼ばれる非常に疫病が多い島でした。マラリアをはじめ、ペスト、コレラ、赤痢等々がはびこる感染症の博覧会のような島だったのです。当然疫病が流行するたびに多数の死者が出ました。

また、中国からの移住者は首狩りの習慣があった原住民との抗争、移民同士でも違う出身地の集団での闘争など絶え間ない殺し合いを繰り返していました。

清朝は一応巡撫を置いて支配下においていたものの、それは鄭成功のような反乱分子を出さないようにするためであり、積極的に台湾の現状を改善するつもりなどありませんでした。日本の統治以前の台湾は『北斗の拳』の修羅の国のほうがまだましではないかと思える有様だったわけです。

疫病や抗争で死んだ人の中には、中国から単身渡ってきて身寄りがないような人がたくさんいました。迷信深い近代以前の人達には、そのような「孤魂」を放置するのは恐かったのだと思います。日本の場合は、怨霊によるタタリ(と思われる事象)が発生してから泥縄式に神として祀り上げてきましたが、台湾ではタタリが起こる前にどうにかしとけということで、予防的に孤魂が祀られるようになりました。

日本の怨霊信仰と異なるのは、日本の場合は菅原道真や崇神天皇、平将門のように明らかに朝廷に対して恨みを持って死んだ名がある人で、かつ死後に偶然タタリのような現象が起こった場合に怨霊扱いして神として祀るのに対して、台湾の孤魂信仰の場合は名もわからん人々の霊をひとまとめの神として祀るということです。

原住民の遺骨も孤魂の扱いに

近年の調査で孤魂として祀られている対象には原住民の遺骸も含まれていることがわかりました。中国からの移民が、農耕や建築などを行った時に土葬された平地原住民の遺骨が数多く掘り出されました。

現代人であっても、畑を耕したりして人骨が出てきたらやべえと思うだろうし、それが古代に死んだ人の遺骨だとわかっても、なんとなく不気味さを感じてしまうこともあるでしょう。魂の実在を信じる文化の中で生きてきた人ならなおさらです。

掘り起こしてしまったどこの誰かもわからない遺骨を放置しようものなら呪われるかもしれない。ゆえにそういう遺骨もまた孤魂として祀られた形跡が見られるようです。

孤魂信仰は儒教の亜流?

孤魂信仰は道教よりは儒教や儒教のベースとなった古代先祖祭祀の影響が強いように思えます。

人が死ぬと体から魂と魄が抜け出て、魂は天に魄は地に還るというのが、古代中国の特に北方での認識でした。そこから、魂を位牌に留め、魄を遺体に留めおいて、子孫が祭祀を絶やさなければ、いずれ魂は体に戻って魄と結合し、死者が蘇るという信仰ができました。その信仰を敷衍し、天子が先祖の祭祀を絶やさず、社会が固定的ヒエラルキーによって安定すれば世が治まるとしたのが儒教です。

中国では悪霊を厲鬼と呼びました。

すでに『礼記』祭法に厲鬼の祭祀が見えます。

王為群姓立七祀 曰司命 曰中溜 曰國門 曰國行 曰泰厲 曰戶 曰灶 王自為立七祀
諸侯為國立五祀 曰司命 曰中溜 曰國門 曰國行 曰公厲 諸侯自為立五祀
大夫立三祀 曰族厲 曰門 曰行

王は群姓=人民のために七つの祭祀を行う。司命神、中溜神、國門神、國行神、泰厲、戶神、灶神である。王はまた自らもこの七つの祭祀を行う。
諸侯は国のために五つの祭祀を行う。司命神、中溜神、國門神、國行神、公厲である。諸侯はまた自らもこの五つの祭祀を行う。
大夫は三つの祭祀を行う。族厲、門神、行神である。

『礼記』には泰厲、公厲、族厲がなんぞやという説明はありません。その時代には言わずもがなな存在だったためわざわざ説明しなかったのでしょう。

唐代に経書学者の孔穎達が、『礼記』の解説書『礼記正義』でこれについて説明しています。

曰泰厲者 謂古帝王無後者也 此鬼無所依歸 好為民作禍 故祀之也

「曰泰厲」とあるのは古代の帝王で跡継ぎがなかった者の霊である。この霊は帰するところがなければ民に禍を起こす。故にこれを祀るのである。

曰公厲者 謂古諸侯無後者 諸侯稱公其鬼為厲 故曰公厲

「曰公厲」とあるのは、古代の諸侯で跡継ぎがなかった者の霊である。諸侯は公と称する。それが霊となって害を為すので公厲と言う。

曰族厲者 謂古大夫無後者鬼也 族眾也 大夫眾多其鬼無後者眾 故言族厲

「曰族厲」とあるのは、古代の大夫で跡継ぎがなかった者の霊である。族は衆である。大夫は多く跡継ぎがない霊は衆をなす。ゆえに族厲と言う。

跡継ぎがないというのはつまり死者の魂を祭祀する者がいないということです。先祖祭祀が絶えただけでその霊は悪霊になってしまうというのだからやっかいです。

同じような認識は、例えば『春秋左伝』昭公七年にも見られます。

鬼有所歸 乃不為厲

霊に帰するところがあれば害はなさない。

この帰するところというのが、位牌と墓、そしてそれに対する祭祀です。

現代日本ですら、代々墓を継いで守っていかないと先祖が化けて出るなどと真顔で言ってしまう頭がアレな人がいますから、古代の人はそれはもう必死に先祖祭祀をしたことでしょう。こういう脅しで人の心理につけこむのがカルト宗教の手法です。だから儒教も、ほとんど儒教由来の要素でできている日本の葬式仏教もたいがいカルト宗教です。

こういう「祀らないとやばくね?」という心理から生まれたのが孤魂信仰だと思われます。

孤魂の神名

孤魂は祀られると神様になり神名がつけられます。ただし、例えば玉皇大帝とか中壇元帥のような固有名詞でも、城隍爺や福徳正神のような官職名でもなく、孤魂を祀ったことを示す神名がつけられるのです。

台湾では、有應公、聖公・聖媽、萬善爺、大眾爺・大眾媽、百姓公などの神名が付きます。公や爺は男性の霊、媽は女性の霊です。

台湾政府文化部(日本の文部科学省に相当)の台湾大百科全書にはこう説明されています。

有應公廟是現代臺灣民間對一般無祀祠的通稱,此名源自「有求必應」,《臺灣文化志》中卷:「相傳奉祀香火以慰藉其孤魂者,則祈願所求之事,必有所應。(因廟楣必揭掛「有需必應」之匾,故稱為有應公。)」

有應公廟は現代台湾の民間で無祀祠に対する一般的な通称である。この名称は「有求必應(求めれば必ず応じられる)」がもとになっている。『台湾文化志』中巻に「線香を捧げ孤魂を祀ることで、願い事には必ず応じられると伝えられる(廟には必ず「有需必應(求めれば必ず応じられる)」と掲げられた場所があるゆえに有應公と称せられる)」とある。

『台湾文化志』は日本時代に台湾をくまなく調査した民俗学者の伊能嘉矩が遺した調査を、伊能の死後柳田國男がまとめた大著です。伊能嘉矩は人類学者の鳥居龍蔵と並び称される偉大な学者ですね。『台湾文化志』は復刻版が出ているけどとてもお高いので原文にあたることはできません。

祀る者がいない死者の魂が悪霊になるのを予防するために祀り、神となった後はそのパワーがプラス方向に転化して願い事をなんでも叶えてくれるようになったということ。

さんざんいじめて死に追いやっておきながら、死後はタタリこわいやめてと神様にしてしまう自分勝手な日本の怨霊信仰よりはなんぼかましな気がします。

また、「萬善同歸(よろずの善は同じに帰する)」から萬善爺とも呼ばれます。本当に善人かどうかは不明だけれど、あなたは善人だったよねと名付けることで霊をなだめたのではないかと思います。

大眾爺とか百姓公はわかりやすいですね。百姓っていうのは日本語的な意味での農民のことではなく文字通りの百の姓の人々、つまり庶民を意味します。

孤魂と陰廟

孤魂を祀った廟は陰廟といいます。それに対して、天界から正式に名付けられた神名を持つ神様が祀られる廟は陽廟です。地府や地上の霊的空間など陰間を司る城隍廟や東嶽廟も、祀っているのは城隍爺や東嶽大帝など天界より官位や神名を賜った「正神」なので陽廟に分類されます。

大部分の陰廟で孤魂の神位は位牌として祀られています。


台北市迪化街聖公媽

あるいは墓碑をそのまま神位としてある廟もあります。


新北市擺接義塚大墓公

しかし、台湾の孤魂信仰は道教との習合が進んでおり、有應公の位牌とともに福徳正神や城隍爺麾下の七爺八爺の像が置かれた陰廟や、あるいは位牌ではなく神像が祀られたりしている陰廟もあります。


台北市萬華有應公廟

設定的にも、陰廟は正神の管理下にあるとされており、台湾道教の中に組み込まれてもいます。

また、台湾においては十分に祭祀を受けた孤魂が天からの綸旨を受けて正神に昇格するという設定もあるようです。

台北南部、萬華にある大衆爺廟は、その名の通り大衆爺、つまり孤魂を祀る廟ですが、位牌ではなく神像が置かれ、七爺八爺の像もあります。名称を知らずに入れば王爺千歳廟だと思わせられる内容です。これも、元々孤魂だった大衆爺が昇格して地上の霊界で瘟神や悪霊を征伐する王爺神に昇格した例ではないかと考えられます。


台北市大衆爺廟

新北市の文武大衆爺廟も、陰廟というよりは王爺千歳廟のような様相を呈しています。


新北市蘆洲文武大衆爺廟

王爺千歳信仰は、元々は疫病をもたらす瘟神信仰が発展し、逆に瘟神のパワーで瘟疫を防ごうというものです。悪霊になりかねなかった孤魂の大衆爺が、祀られることで悪霊を討つ王爺神になる流れもあっていいと思います。

特定の個人が祀られる陰廟

陰廟の多くは、身寄りがなく祭祀されることがない霊がひとまとめの神として祀られています。しかし、台湾にはいくつか特定の個人を祀った陰廟もあります。

まず、若くして死んだ女性を祀る姑娘廟です。台湾では嫁入り前に夭折した女性は子孫による祭祀を受けられないために孤魂になると考えられていました。どうやら近代化以前の台湾では、嫁入りせずに亡くなった女性は実家の墓に入れて供養することが許されていなかったようなのです。儒教的家父長制がいかに害悪かを示す事例の一つです。

若い女性の孤魂が悪霊にならないようにする方法は2つあり、1つは「冥婚」です。

台湾の都市伝説として、道端に赤い封筒が落ちているのを男性が拾ったら、亡くなった女性の霊と結婚させられるというものがあります。これが冥婚で、嫁ぎ先ができればその家の子孫の祭祀を受けられるというものです。

もう1つの方法が姑娘廟という陰廟を建てて祀ることです。

台北市中山区、日本人にも有名な小籠包の名店・京鼎楼のほど近くにある蘇姑娘廟もそんな姑娘廟で、清朝統治時代の末期に疫病で亡くなった蘇彩雲という女性が祀られています。蘇彩雲は金持ちのお嬢さんだったため、親が娘のために特に廟を建ててあげたようです。

蘇姑娘廟は歩道をまたぐ形で建っています。


台北市蘇姑娘廟

これは、戦後この廟を壊して自分の土地を拡張しようとした男性が大怪我をして、それが蘇姑娘のタタリだと信じられたため、そのままになっているものです。日本にも将門公の首塚を取り壊そうとしたら事故が多発したなんて話がありますが、その類のやつです。

林森北路の路地に建つ台北新福宮は、元は新丁公廟という陰廟でした。主祭神の新丁公は、清代に発生した械闘で亡くなった鄭新登という人物の神格化です。

械闘で死んだ鄭新登の遺体が川に流されてどこかに流れ着き、心ある人が埋葬をしてあげた。後にそれを知った家族が埋葬しなおそうとその場所を掘ると香炉が出てきた。家族が香炉を祀っていると、ある男がその香炉を疑わしい態度で見た。するとその男の首が曲がったまま治らなくなってしまった。そこで廟を建て、香炉を祀ると首が治った。という胡散臭すぎる創建秘話があります。

戦後に福徳正神と合祀され、現在の台北新福宮となっています。おそらくその時についでに正神に格上げされたのでしょう。新丁公も位牌ではなく神像が祀られています。


台北市台北新福宮

台南市の飛虎将軍廟もおそらくは孤魂信仰の影響で建てられた廟です。

太平洋戦争末の台湾沖航空戦にて、ゼロ戦で出撃した杉浦茂峰兵曹長は現在の台南市郊外上空で機体に被弾。しかし、そのまま脱出すると機体が農村に墜落して被害を及ぼす恐れがあったため、なんとか人がいない畑までゼロ戦を操縦しました。しかしそのせいで脱出が間に合わずに散華されました。杉浦兵曹長は死後に少尉に昇進しています。

それから20年以上経ったころ、杉浦少尉の犠牲によって助かった村の人々が同時多発的に枕元に白い軍服を来た日本軍人が立つという夢を見るようになりました。村に祀られる保生大帝にお伺いを立てると、それは戦時に村で亡くなった日本軍人だという。そこで村では杉浦少尉のために祠を建ててお祀りし、後に廟が建てられて飛虎将軍という神として祀られ今に至ります。


台南市飛虎将軍廟

実際には杉浦少尉の葬儀は行われています。しかし村の人々はそんなことは知りません。孤魂信仰を信じて生きる人達の中では、村を救って死んだ日本軍人の霊を祀らぬままに放置すればいずれ厲鬼なってしまうという恐れがあったのでしょう。

飛虎将軍という将軍位の神名がついていることから、村を救った英雄への感謝が表れているのは確かなことだと思います。しかし、その根底に孤魂信仰がなければ、わざわざ廟まで建てて祀ることはなかったはずです。

孤魂信仰と中元普渡の習合

台湾は農暦7月を「鬼月」とします。農暦7月になると地獄の釜の蓋が開き、地獄から亡者が地上に戻ってくると信じられています。これは、農暦7月15日の中元節の影響です。

もともと道教では地府を司る地官大帝の誕生日である農暦7月15日には、地官大帝の恩赦により地府の亡者が地上に帰ることができるとしていました。台湾ではなぜかそれが農暦7月のまるまる一ヶ月間に拡大されています。

台湾では地獄から戻ってくる亡者は亡者と呼ぶと失礼だからと「好兄弟」と呼びます。そして好兄弟がタタリをなさないように、街のあちこちに供え物をしてもてなします。

農暦7月15日は仏教の施餓鬼を行う盂蘭盆会でもありますから、台湾では中元節と盂蘭盆会は習合しており、好兄弟が再び地獄へ戻らないように供養する「中元普渡」の法要が行われます。

現在ではさらに孤魂信仰も集合して、陰廟でも孤魂を供養する中元普渡法要が行われます。

しかし、鬼月の最終日には、地上に亡者が残らないように地獄へ送り返す儀式も行われるので、中元普渡法要に効果がないんじゃないかとおも思うけれど、そこらへんの矛盾は気にしてはいけないのでしょう。

陰廟はむやみに参拝してはいけない?

私自信は陰廟だろうが気軽に入って参拝し、撮影などもしていますが、台湾では陰廟はむやみに参拝してはいけないといわれています。

「有求必應」、願い事をすれば必ず応じられるとする有應公だけれど、願いがかなったときにそれに応じたお返しをしないとタタリがある。だから気軽にお願いごとをしてはいけないということのようです。

もし願いがかなったら、廟になにか奉納したり、廟の修復を負担したりなどすれば許されるみたいです。

私は基本参拝は地域の信仰に対する敬意として行うだけで、お願い事とかしないので、気軽に陰廟を参拝しても無事でいるのかもしれません。