仙人になる方法:辟穀

日本だと仙人は「霞を食べて生きている」などと言ったりします。
何事も突き詰めずふわっとしたイメージで分かった気になる日本文化の面目躍如といったところです。
これはおそらく服気と辟穀をその内容を一切理解せず最大限適当に表現したものだと思われます。
辟穀とは
近年、ダイエット法や健康法として一部で「ファスティング」が注目されたことがあります。
要するに絶食、断食のことですが、有機栽培をオーガニックと言い換えたり、根拠をエビデンスと言い換えたり、日本語で言えば済むものをやたらとカタカナ語にしたがるアホは多いですね。
断食療法は免疫力を高めたり長寿遺伝子を活発化させるなど、それなりに効果があることがわかっています。
中国では断食や特定の食物を制限する食餌法が紀元前から行われており、道教が成立する以前から仙人になる方法の一つとして神仙道に取り入れられていました。
例えば『荘子』にはこうあります。
藐姑射之山 有神人居焉 肌膚若冰雪 淖約若處子 不食五穀 吸風飲露
藐姑射という山には神人がいる。肌は氷雪のようで乙女のような美しさだ。五穀を食べず風を吸って露を飲む。
五穀を食べずといっても、穀物だけでなく食べ物自体を食べないような表現です。
また『列仙伝』には、五穀を食べずに草花だけを食べる赤將子輿、食事をせずたまに黄精(百合根の一種)を食べるのみの修羊公、五色の香草を植えてその実を食べていたという園客などの仙人が登場します。
『列仙伝』には他に、好んで松の実を食していた偓佺、苣勝の実を食べていた老子の弟子関令尹、朮を好んだ涓子、桃やスモモの花を食べていた師門なども描かれています。これらははっきりとは五穀を避けていたとは書いてはいないものの、おそらくは五穀は食べずにそうした植物の実や花を食べていたという含意があると思われます。
これらの例は別に五穀を食べずにいたから仙人になったとしているわけではありません。『列仙伝』に記される神仙も、特殊な食をしていた人ばかりではなく、なんかよくわからないけれど長生きの仙人だったという人もいます。
しかし五穀を断ったりその上で特殊なもののみを摂取する辟穀は、仙人になる方法の一つだと認識されるようになっていきました。
そもそも五穀を断つという発想は、穀物が安定供給されなければ出てこない発想でしょう。
農業とともに流通が発展し、少なくとも富裕層は穀物をいつでも安定して食べられるようになった。そして飽食が生まれ、穀物を食べすぎると体が重くなる体験をするようになった。そこから逆に体を重くする穀物を断てば、身は軽くなって昇天できると考えられたものと思われます。
道教では、五穀を食べると腸内に便がたまり、そこから生まれる汚穢の気が成仙を妨げると考えます。
辟穀の種類
辟穀といってもむやみに食事を断つわけではありません。
伝統的には服気辟穀と服餌辟穀に分けられます。
服気辟穀は短期間行う辟穀です。例えば3日間などの区切りを設けて断食し、水だけ飲むことが許されます。同時に内丹法など気を練る鍛錬をして体に気血を巡らせることで食の不足を補います。
服餌辟穀は長期間の辟穀となります。五穀を断って、木の実や果物、あるいは特別な生薬だけを摂って生活します。
『列仙伝』で桂父が桂と葵を亀の脳で和えて服用していたとか、犢子が松の実や茯苓を服用していたというのも服餌辟穀に入ります。
葛洪などはなにがなんでも金丹を飲まないと不老不死になれないマンなので『抱朴子』では断穀だけでは長生は得られないので様々な薬の服用が必要になると説いています。
葛洪は『列仙伝』限界オタなので『列仙伝』で様々な仙人が生薬を服用していたのが正しいとしたのだと思います。
辟穀と三尸(三屍)説の結合
『抱朴子』にこんな記述があります。
第二之丹名曰神丹 亦曰神符 服之百日仙也 行度水火 以此丹塗足下 步行水上 服之三刀圭 三屍九蟲皆即消壞 百病皆愈也
第2の丹を神丹といい、また神符という。服用すれば100日で仙人になれ、水の中も火の中も自在に行けるしこの丹薬を足の裏に塗れば水上を歩ける。神丹を三刀圭分飲めば体内の三尸九無視は即消え去り、百病気がみな治る。
刀圭は薬をはかる器具です。
又言身中有三屍 三屍之為物 雖無形而實魂靈鬼神之屬也 欲使人早死 此屍當得作鬼 自放縱游行 享人祭酹 是以每到庚申之日 輒上天白司命 道人所為過失
体の中には三尸がいるという。三尸とは無形で霊魂鬼神に属するものであり、人を早死にさせようとする。人が死霊になってしまえば自由に動けるようになり、供物を味わえるようになるからだ。庚申の日ごとに天に登って司命神にその人の過失を告げ口する。
三尸と庚申信仰については別に書くつもりなのでここでは簡単に説明すると、体の中には三尸という寄生体がいて、こいつがいると人は病気になったり早死にしたりします。
それがのちに辟穀と結合して、穀物の気が三尸を養い育ててしまうので、辟穀をすれば三尸を体から除けると考えられるようになりました。
こちらの場合辟穀で積極的に仙人に近づこうというのではなく、三尸をなくすことで早死にを避けたいという、いささか切実な目的になっています。
中医学に辟穀の発想はない
「中医学」とは厳密には中華人民共和国成立後にそれまでの伝統医学を体系的にまとめた医学を指しますが、ここでは便宜的にその元となる伝統医学も指すこととします。
以前日本人道教研究家が書いたものに『黄帝内経』が「道教医学」だとしてあるのを見て盛大に吹き出したことがあります。
確かに、時代が下るにつれて例えば唐代に『千金要方』を著した孫思邈のように、道士と医師を兼ねた人も出てくるし、医学の方にもある程度道教思想が流入してきます。
しかし、基本的には医学と道教はまったくの別物です。
『黄帝内経霊枢経』平人絶穀ではこう説きます。
胃滿則腸虛 腸滿則胃虛 更虛更滿 故氣得上下 五藏安定 血脈和利 精神乃居 故神者 水谷之精氣也
胃が満ちれば腸が虚になり、腸が満ちれば胃が虚になる。このように虚と満が繰り返されると気の上下移動が生じ、五臓は安定して血脈の流れがよくなり、精神は乱れることはない。故に神とは水谷の精気である。
中医学では、人間の体は気機=気の昇降出入が滞りなく行われることで正常に働くと考えます。
ここでは食事をすることで胃が満ち、それが腸に降りていくことで気の上下が行われると説いています。気の上下は必ずしも胃と腸での食物の移動だけで生じるわけではないけれど、重要な要素であることには違いありません。
中医学で言う「神」とは神様のことではなく、生命活動全体を指します。生命力とは少し違うけれど、とりあえず生命力のようなものと思ってもらってもいいでしょう。
その神を生み出すのは水谷=飲食物が持つエッセンスである。
絶食は後天の気の供給源を断つものだからよろしくない。
というのが中医学の考え方ですね。
人間は両親から受け継いだ根本的な生命力=先天の気と、飲食物から得られるエネルギー=後天の気がによって生きています。
先天の気は人それぞれに生まれた時に最大レベルが決まっており、生きているだけ減っていきます。
だから後天の気で補充しなければなりません。後天の気はどれだけ摂っても先天の気の最大レベルを増やすことはできないけれど、減った分を補うことができます。
しかし後天の気の補充がなければ先天の気が尽きて死ぬだけです。
食べすぎはよくないにしても、飲食をしないで長生を得るというのは中医学の理論ではありえないこと。
ここに、フィクションの仙人を目指す道教と、現実の人間の健康を担う医学の違いがあります。
『黄帝内経』や『八十一難経』で解説される医学は「道教医学」などではありません。






