殭屍

1985年制作の香港映画『殭屍先生』は日本では『霊幻道士』というタイトルで公開されヒットしました。殭屍の呼び名を「キョンシー」などという日本人が呼びやすいものにしたのもヒットの要因だったのでしょう。

殭屍の読みは普通話だとjiang-shi、広東語だとgoeng-si。広東語読みをベースに清音に直したのが「キョンシー」です。

東映特撮Youtubeチャンネルで配信されている『じゃあまん探偵団魔隣組』には『瞬間キョンシー製造機』なるエピソードがあり、1980年代後半の日本でどれだけ「キョンシー」の認知度が高かったかがうかがわれます。

『殭屍先生』のヒットを受けて台湾で作られた『殭屍小子』は、日本で『幽幻道士』というタイトルでテレビ放映されてから『霊幻道士』以上の人気を得たために日本側が台湾の制作会社に続編の制作を依頼したほどでした。

現在では「キョンシー」のキャラクターは定着していて『邪神ちゃんドロップキック』にもキョンシーの姉妹が登場するし、日本ではクリスマス同様原義を失ってただのお祭り騒ぎとして定着したハロウィーンのコスプレネタの一つとしても人気です。

しかし、では「キョンシー」とはなんぞやと問われて答えられる日本人はどれぐらいいるのでしょうか?

今回は日本で「キョンシー」と呼ばれる殭屍とは何か?道教と葬式の関係などもとりまぜて解説して行こうと思います。

魂魄と殭屍

殭屍は清代に作られた比較的新しい存在です。妖怪ではないし幽霊とも違う、殭屍は殭屍だとしか言いようがないものです。

初出は清代に書かれた志怪小説集『子不語』に収録されている『掘塚奇報』という一編だとされます。

『掘塚奇報』はこんな話。

杭州で墓荒らしをしていた朱某という男は、狙った墓にどんな宝があるか扶乩=道教の神降ろし占いをしたところ、岳王、つまり岳飛の霊が降りてきて墓荒らしの盗賊をやめないなら斬り捨ててやるとのお告げがあったので足を洗っていました。しかし数年後再び扶乩をすると西湖水仙を名乗る神が降りてきて、保俶塔の下にある井戸の西には金持ちの墓があるから掘れば千金を得られるぞとお告げしたため、朱は仲間を集めて墓荒らしに行きます。墓について掘ってみると、そこには異常に大きな石の棺が埋まっており、数人がかりでも蓋を開けられません。そこで、呪文で棺を開けられる法力を持つ僧侶を連れていき、呪文を唱えさせると果たして石の蓋が開きました。その時、青く長い腕が伸びてきて僧侶を捕まえ、棺に引きずり込んで食べてしまいました。朱たちは慌てて逃げ出します。翌日、僧侶が帰ってこなかったため、朱が疑われて捕まり、朱は獄中で首をつって死にました。

その朱が、生前言い残したところによれば、墓をあばいて見た僵尸は一種類ではなく、紫僵、白僵、綠僵、毛僵などがいた。その中でも最もおかしかったのは、六和塔の西の墓にいたやつで、金の飾りをした棺の中にいた王者のような偉貌の僵尸だった。他の陵墓には大きな朱棺があって、中には宦官のような姿の銅人が4体跪いて首で棺を受け止め、手で捧げ持っていた云々。

僵は硬直する。尸は死体。僵尸とは死後硬直した死体を意味します。

このエピソードでは実は朱なにがしという墓荒らしの泥棒が、宝があるというお告げに乗って墓荒らしをしに行ったところ、その片棒を担いだ坊主が墓から現れたなにかに食われたというだけで、それが後に言う殭屍だったかどうかは定かではありません。僵尸について述べられているのは、朱が墓荒らしの経験の中で様々なタイプの死体を見たと言っていただけのこと。別にそれらに襲われたわけではなく、ただ死体としてそこにあったと言い残したに過ぎません。

つまり『掘塚奇報』で述べられているのは墓の中にいた人を食うなにかと、動かないただの死体であって、その両者はイコールではありません。

ただ、『子不語』にはもう一つ『南昌士人』という殭屍の誕生に関係ありそうな一編があります。

江南の南昌に、共に仲良く学ぶ老人と若者がいました。ある日老人のほうが脳卒中かなにかで突然死してしまい、老人の幽霊が若者のところに別れを告げに訪れるという話。その話の最後になんでかまったく関係ない「識者」が勝手に語りだします。

人之魂善而魄惡 人之魂靈而魄愚 其始來也 一靈不泯 魄附魂以行
其既去也 心事既畢 魂一散而魄滯 魂在則其人也 魂去則非其人也 世之移屍走影 皆魄為之 惟有道之人為能制魄

人の魂は善で魄は悪である。人の魂は聡く魄は愚かだ。人が生まれると霊魂が消えることはなく、魄は魂に從っていく。
だが人が死に、もう思い残すことがなければ、魂は散って魄が残る。魂があってこそその人なのであり、魂が去ったらもうその人とはいえない。世に死体が動き回ることがあるというのは魄がやっていることだ。道を得た人のみがこの魄を制御できる。

老人の魂は若者に別れを告げて思い残すことがなくなり、去っていったと言いたいのでしょうかね?

この謎の識者が言っているのは、三魂は人を健やかに保つもの、七魄は人を病気に導くものと考える道教の三魂七魄論と、魄は体を動かす気であるという清代医学の認識が根拠になっています。なのでこの識者はおそらく医学に通じた道士です。当時、医師を兼ねた道士はけして珍しい存在ではありませんでした。

『子不語』とほぼ同時期に作られた『閱微草堂筆記』には、現代の「殭屍」のイメージに近い僵尸が出てくるエピソードがあります。

胡宮山という医師は80歳を過ぎても敏捷で、素手で強盗を7~8人も倒してしまうような武術の達人です。そんな胡宮山でも、夜は一人では寝られません。それは若い頃に僵尸に襲われたことがあったからでした。

胡宮山が若いおり、僵尸に出会います。拳で打ってもまるで木や石のよう。そこで胡宮山は木の上に逃れます。僵尸は木のまわりをうろうろしたあとに木の幹に抱きつきました。胡宮山があらためて僵尸を見てみると、体は白い毛で覆われ、目は丹砂のように真っ赤。指は鉤爪のようで、口からのぞく歯は鋭利な刃物のよう。恐ろしさのあまり魂が抜ける思いでした。

また、胡宮山が山の宿で泊まった時、夜にぞわぞわするので目が醒めると、血腥い臭いの裸の女が抱きついていて、口から精気を吸われて気絶し、翌朝助けられたということもありました。

そりゃあそんな目にあえばどんな剛の者でも一人で寝たくはないでしょう。胡宮山が木に逃れたあとどうやって助かったかは書いてありません。

『閱微草堂筆記』には、ただの死体という意味でも「僵尸」が出てくるのですが、同時に人を襲うリビングデッドという意味でも「僵尸」が使われています。また、僵尸について説明する部分もあります。

董曲江曰 凡罪應戮尸者 雖葬多年 尸不朽 呂留良焚骨時 開其棺 貌如生 刃之尚有微血 蓋鬼神留屍伏誅也

乾隆年間の進士で詩人の董曲江が言うには、罪によって刑死した者は葬ってから長年経っても死体が朽ちることはない。明代の医師呂留良が骨を焼こうと棺を開くと、死体の顔は生きているようで、刃物で切るとわずかに血がでた。それは鬼神が死体に宿って罰しているからだ。

然此類皆不為祟 其為祟者曰僵尸 僵尸有二 其一新死未斂者忽躍起搏人 其一久葬不腐者 變形如魑魅 夜或出遊逢人即攫 或曰旱魃即此 莫能詳也

そのような者が全て祟られるのではないが、その中で祟られた者を僵尸と言う。僵尸には2種類ある。1つは死んだばかりでまだ棺に入れられていない死体が突然起き上がって人を襲う。1つは葬られて長く経っても腐らない死体がまるで魑魅のごとく変化して、夜に出歩いては人に会うとさらう。他に旱魃で死んだ人もそうなると言うがそれについては詳しくは知らない。

死にたての死体が突然襲ってくるというのは、魂が抜けて魄だけが残り、理性がなくなったまま体が動くからでしょうね。

もう一つ殭屍のイメージ元とされているのが「殭屍」という術です。中国の中央から少し南に寄った湖南省西部の湘西地区に伝わるとされるもので、当地に住む少数民族・苗族の巫術と関係するとも言われます。

湘西は貧しく、四川や貴州に出稼ぎに行ったり、あるいは移民する人が多かったといいます。中国では誰かが亡くなった時は故郷に葬ってあげるべきだという考え方があったため、出稼ぎや移民した先で亡くなった人の遺体を湘西まで運搬する需要が生まれました

そこから生まれたのが「殭屍」の伝説です。四川から湘西へは、河川を利用した水上ルートで移動できました。しかし、死体を船に乗せると沈没するという迷信があったため、遺体の運搬に船を使えず、山間の陸路を移動しなければなりません。そのため、殭屍を行う殭屍匠は死体を並べ、鐘を打ち鳴らしながら行列を率いたといいます。その時死体はぴょんぴょんジャンプしながら移動したともいいます。

殭屍匠自体は実在したようです。よそでなくなった人を運ぶ仕事自体はあっても不思議ではありません。苗族に伝わる丹砂で死体をおおって腐りにくくする技術を使い運搬していたという説もあるようです。

中国のテレビ局が行った調査によると、殭屍匠は死体の頭と手足を切り落とし、植物で体を作って頭と手足をつけて黒い布を着せて運んでいたために、移動させるとぴょんぴょん跳ねるようにみえたというわりと眉唾ものの情報もありました。

『子不語』に出てくる棺の中にいて人をとって食う怪物。

『閱微草堂筆記』に出てくる鉤爪で牙を持つ僵尸や、生者の精気を吸ってくる化け物。それに突然起き上がって襲ってきたり、夜に人をさらう僵尸。

「殭屍」伝説のぴょんぴょんジャンプして移動する死体の行列。

こうしたイメージを総合することで、映画に出てくる殭屍が作られたのだと考えられます。

道教と葬式

『霊幻道士』は『殭屍先生』の邦題ですが、映画の中では道士が道教の符を使って殭屍を制したり道術で戦ったりしますから50%ぐらいは的はずれではない邦題だと言っていいでしょう。

殭屍の伝説をモデルにした殭屍の行列を率いて旅をする道士も出てきます。

しかしなんで道士なのでしょうか?道教といえば羽化登仙を目指す宗教であり、むしろ死を遠ざけようとするものなのに、なぜ殭屍というリビングデッドと関わるのか。

もちろんそれは映画だからで片付く話ではあります。とはいえ現実の道教とまったく関係ないかといえばそうでもありません。

一口に道教と言っても宗派は様々です。全真教や武当道のように出家主義をとり道士の修行を主とする宗派もあれば、正一道のように道士は出家せず、占いやお祓いなどによる信徒のお悩み解決を主とするものもあります。

これまで見てきた殭屍に関わる元ネタをよく見ると、その舞台は中国南方に偏っています。中国南方は正一道の勢力が強い地域です。

正一道は祈祷による除災や病気の平癒祈願などをなりわいとしてきました。本当に五斗米道の直系なのかは疑問があるにしろ、古来の方術の気風を残し、また中国各地にあった呪術や信仰も吸収しており、符籙も用いるなど、全真教に比べると格段に呪術性が強い宗派となっています。

修行による成仙を目指す高尚な宗教よりも、ふしぎな術で病気や悪運を払ってくれる宗教のほうが民衆受けがよかったという点では日本の神道と共通しています。

特に南方では妖怪や怪異には正一道の道士を頼るという認識もあっただろうと思います。

殭屍も、元々は湘西の一部に伝わる巫術だったものが、後に茅山派道教に吸収されました。茅山派道教は天師道から別れた上清派が元になっており、現在では正一道に吸収されています。ですから映画で道士が殭屍の行列を連れ歩くのも、映画オリジナルの設定とは言えません。

道教はまた葬式も扱っていました。

道教が生まれる以前には冠婚葬祭を専門に扱う職能集団がいました。それを「儒」と言います。

儒が持っていた礼法などを元に、周公旦オタの孔丘が周の政治サイコーというオタ特有の妄想から作り上げたのが儒教です。

漢代以降、儒教は国家の中枢に入り込み、国の祭礼に関わるようになっていきます。それに伴い、本来の儒と儒教は分離していきました。

もちろん民間でも冠婚葬祭の需要はあるわけですから、職能集団としての儒も存続していました。その一部は方士となって葬儀などを執り行っていたようです。東漢末ごろの太平道や五斗米道の勃興から形成されていった道教は、そうした民間に残った儒や、方士が行う葬儀の技法も吸収していったものと思われます。

宋代に道教の様々な儀式の方法や儀式で唱える呪文をまとめて成立した『無上黃籙大齋立成儀』には葬儀の時に唱える呪文も含まれています。例えば『投壇附薦狀式』では「靈寶大法司」に対して

欲乞附薦魂儀 遷升福境

この魂を福境に遷昇されんことを乞う。

と、亡くなった魂が福境に昇って行けますようにと願う呪文が記されています。福境っていうのはまあニュアンス的になんかいい感じのところに行けますようにってことだと思います。

これは、宋代には道教式の葬式が確立していたことを意味すると思われます。

明代になると、朱元璋が『大明玄教立成齋醮儀範』を作らせました。これには朱元璋本人が序文を寄せており、

若有喪事 非僧非道難以殯送 若不用此二家殯送則父母為子孫者是為不慈

もし喪に服すことがあり、僧侶か道士以外が葬儀を行ったならば、父母や子孫に対して慈愛がないということである。

としています。おそらく宋、元を通じて葬儀が仏教と道教の既得権益となっており、朱元璋は自分の治世になってもそれを保証したのです。

とにもかくにも、日本の仏教と同様中国でも仏教と道教は葬式を扱う専門業者の地位を時の権力に認められました。

そうした様々な要素により、清代に殭屍という中国版のリビングデッドが考えられたならば、道教が結び付けられるのは必然だったのです。

ゾンビィと混同される

ゾンビィは元々はブードゥーの信仰に伝わる生ける死体のこと。ゾンビパウダーなる特殊な粉を使って作られるのが元々の設定のようです。

調べてみるとゾンビ映画の起源は意外と古く、1932年の『White Zombie(邦題:恐怖城)』を嚆矢とします。しかし、現在のゾンビィのイメージを形作ったのは1968年の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』だというのが定説です。

『殭屍先生』では、殭屍に噛まれると噛まれた人も殭屍になるという設定が作られました。これは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で作られたゾンビィに噛まれるとゾンビィになるという設定を取り入れたものです。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の設定のさらに源流には吸血鬼があります。

『閱微草堂筆記』にある殭屍が刃のような牙を持っていたという描写も、殭屍が吸血鬼と結び付けられるきっかけになったかもしれません。

殭屍は元々は人が死ぬと魂魄が分離するという中国特有の認識から発し、先に魂が抜けて体に残った魄が体を動かす化け物として考え出されました。つまり基本的には死体が一定の条件を満たした時にだけ出現するものです。何らかの方法で意図的に作られるものではありませんでした。

そういう意味では、ゾンビパウダーで意図的に作られるというゾンビィと殭屍は異なります。ただ、そういう細かい設定は取っ払って、動き回る死体という大雑把な枠で言うならば、殭屍もまたゾンビィの中に入れてもいいのかもしれません。逆に言うとゾンビィもまた殭屍だと言えます。

実は現代中国ではゾンビィのことも「殭屍」と呼びます。

ゾンビィが時代の変遷によって多様化し、ウイルス感染でなるものだったり佐賀でアイドルだったりするのと同様、殭屍のイメージもゾンビィと混同されるに從ってそれなりに多様化してきています。

2013年に『殭屍先生』のリブート作として作られた『殭屍』に出てきた殭屍は、四つん這いで壁や天井を高速で移動する殭屍というよりはもやは『バイオハザード』のリッカーのごときクリーチャーになっています。

殭屍映画は現在でもたまに作られているので、いずれまたこれまでのイメージとは違う殭屍が登場するかもしれません。