鬼月到来、地獄から「好兄弟」がやってくる

今年の農暦7月1日は、2024年8月4日です。台湾では農暦7月の1ヶ月間が「鬼月」と呼ばれています。
これは台湾の民間風俗で、厳密には道教の行事とは言えないものの、道教も無関係ではありません。
「鬼月」とは何か?
農暦7月1日、厳密には子の刻からなので現在の24時制では前日の夜11時になると地獄の釜の蓋が開き、地獄の亡者が地上に戻ってくる月とされます。「鬼」は日本語で言う「オニ」。つまり角が生えて赤だったり青だったりの体をしたトラのパンツを履いた妖怪ではなく霊のことです。
農暦7月は陰界=地獄と、陽界=地上界が最も接近する月で、地獄にいる死者の霊「鬼」が地上に出てくるとされているため「鬼月」といいます。
地獄から戻って来る鬼は「孤魂野鬼」。つまり家族に正式に祀られることがなく地獄に落ちた霊、日本で言うなら無縁仏です。台湾の孤魂信仰では、ちゃんと祀られていない孤魂野鬼は悪霊になってしまうと考えます。悪霊ですから下手に怒らせると何をされるかわかりません。そこで台湾では彼らを「好兄弟」と呼んで、地上にいる(と信じられている)間丁寧にもてなし、また道教や仏教は彼らを救済する儀式を行います。
鬼月の由来
さてこの鬼月、実は明確な由来がわかっていません。中国南方で生まれた風習が移民とともにもたらされたとも、台湾で独自に生まれたともいわれています。
地獄の亡者が地上に戻ってくるとする設定は道教にあります。農暦7月15日の中元節がそれです。農暦7月15日は三官大帝の一柱・中元地官赦罪大帝青霊帝君のお誕生日です。中元大帝は地府を統治する最高責任者。そのお誕生日には恩赦として地府の蓋が開いて、死者の魂が地上に戻れます。
ただしそれは中元節1日に限ってのこと。7月まる1ヶ月の地上ヴァカンスを楽しめるというぬるいものではありません。ここが台湾の鬼月とまったく違う点です。
なお仏教の盂蘭盆会は日本の「お盆」とは異なり施餓鬼の一種なので、そもそも亡者が地上に戻るなんて設定はありません。
中国が由来とする説には、明の洪武帝・朱元璋が作ったのだとするものがあります。
朱元璋が即位するまで、7月は吉祥の月だった。しかし朱元璋はその吉祥を自分だけのものにするため、7月は不吉な鬼月だから、結婚式とかそういうおめでたい行事は行ってはいけないとしたとか。そしてそれを明の遺臣・鄭成功が台湾に持ち込んだのだと言います。
しかしこれはどうも眉唾ものの説です。だって、その目論見はともかく、朱元璋がそう定めたのなら史書に記録されるはずですから。
台湾で作られたとする説は、朱元璋由来説より信憑性があります。
日本統治以前の台湾では「分類械闘」と呼ばれる武力抗争が頻繁に行われていました。広東からの客家系移民と福建からの閩南系移民、同じ閩南系でも漳州出身者と泉州出身者、果ては同じ一族の中ででも、商売や土地、港の利権などを巡って殺し合いが行われています。これに比べれば、昭和に頻発していた日本のヤクザの抗争など子どもの喧嘩です。
原住民による「出草」もありました。これは一部を除いた原住民にあった首刈りの風習で、他の部族や漢人の移民が刈られました。
あるいは、日本の統治で衛生管理が行われる以前の台湾は「瘴癘の地」と呼ばれるほど疫病が蔓延する土地でした。
とにかく日本統治以前の台湾は、まるで修羅の国のように人がころころ死んでいたのです。中国からの移民第一世代は、中国で食い詰めて台湾に活路を求めた一人者が多かった。当然死んでも埋葬して祀ってくれる家族はいません。そうした「孤魂」が悪霊になるのを防ぐため、一つには有応公といった誰とはわからない孤魂をまとめて祀る信仰が行われるようになりました。また、仏教側では盂蘭盆会がある7月に、孤魂を済度するための「普渡」が行われるようになりました。
そのような孤魂や普渡が広まるとともに、道教の中元節が習合して、現在の「鬼月」になった。朱元璋が作ったというのより、こちらのほうがかなり説得力があります。
私個人としては台湾で発祥した文化とう説を推したいです。
鬼月の風習・禁忌
鬼月は農暦7月いっぱいという長期間にわたるものです。いわば1年で最大のお祭り期間ですので、様々な風習がつくられ、また禁忌も多いです。
まず、鬼月になると地獄から好兄弟と普度公が地上にやってきます。普度公は好兄弟を管理する神様。引率の先生のようなものです。地上ではこの好兄弟と普度公をもてなすため、寺廟や町中に祭壇が設けられ、そこに三牲、果物、飲料などが供されます。三牲は台湾では豚・鳥・魚の組み合わせが一般的なようです。また、好兄弟が地獄に戻っても地上のものを食べられるようにと、携帯に便利な乾物やお菓子なども捧げられます。現代ではカップ麺もありのようです。それと同時に、あの世の通貨である紙銭も供えられます。
肉や魚を食べてお土産を持って帰る。一部の不心得者が迷惑をかける。というと観光客と変わらない気がします。
鬼月の禁忌
鬼月はなんせ1ヶ月もの間好兄弟と過ごさねばならないので、やたら禁忌が多いです。そのほとんどが、好兄弟に祟られたり、取り憑かれたりするのを防ぐものです。ただこの禁忌にはある程度共通するものはあるものの統一された設定はなく、道教やら民間信仰やらで様々な禁忌を提示しています。ゆえにここではある程度広く言われているような代表的な禁忌をご紹介します。
1.夜に服を干してはいけない
夜に服を干しておくと、そのへんを徘徊する好兄弟を呼び寄せ、あるいは好兄弟がその服を着るようにとどまってしまうため。
2.家を買ってはいけない
鬼月は不吉な月なので、家を買うと家の風水に影響して住む人の運気を下げたり病気をもたらしたりするため。
3.夜に口笛を吹いてはいけない
夜に口笛を吹くと、好兄弟が呼ばれたと勘違いして寄ってくるため。
4.夜に撮影をしてはいけない
夜は特に陰気が満ちて好兄弟が活動的になるので、写真や動画を撮影すると好兄弟を写してしまう可能性があるため。
5.夜に爪を切ってはいけない
指先には霊気が集まるので、夜に爪を切ると爪に残った霊気を求めて好兄弟が寄ってくるため。
6.ベッドの近く、窓辺に風鈴を吊るしてはいけない
風鈴は陰気を集めるので好兄弟が好む環境を作ってしまうため。
7.水辺に近づいてはいけない
水中に潜む好兄弟に引きずり込まれてしまうため。
とまあこんな感じの禁忌が、少なくとも10個、多いのだと20個以上挙げられたりしています。おもしろいのだと鬼月には壁ドンしてはいけないなんてのもありました。壁は陰気が集まりやすく、好兄弟が出入りするところだからとのことですが、リアルに壁ドンするような男なんて実在するんですかね?
夜に口笛を吹くなとか爪を切るなっていうのは、日本でも昭和のころに夜に口笛を吹くとヘビが来る、夜に爪を切ると親の死に目にあえないなんて言って禁じていました。まあ好兄弟やヘビが来なくても夜に口笛なんか吹くなって話ですが。
好兄弟のゆくえは
鬼月の間、台湾各地では普渡の法会が行われます。これは好兄弟を地獄から救うためのものです。普渡が仏教を中心に行われるのに対し、道教側では、7月7日の七夕、7月15日の中元節などの祭りが行われます。七夕はともかく、中元節は地官大帝のお誕生日祝いなので、好兄弟の罪への赦しを求める意味もあります。
とりあえず地上の人間たちは好兄弟が救済されるようにがんばるわけです。
ところが鬼月の最終日には、好兄弟が地上にとどまらないように地獄へお帰りいただく儀式が行われます。つまり救済されない好兄弟もいっぱいいるということですね。





