仙人になる方法:全真教の登場と内丹法の完成

唐代に危険な水銀を含む丹薬を飲む外丹法は廃れていき、自らの体内に呼吸法やイメージトレーニングによって丹薬と同じものを作り出す内丹法が注目されるようになります。
五代十国を経て北宋になると、内丹法が広まるとともに、その思想や技法も研究され、完成に近づいていきました。
そして、南宋・金の時代になると、内丹法を修行の中心においた全真教が生まれます。
呂洞賓は実在の人物か?
さて全真教の話に移る前に、全真教にとって非常に重要な仙人・呂洞賓について考察してみようと思います。
呂洞賓は、全真教では内丹法の始祖ともされる人物です。
呂洞賓は道教では実在の人物とされます。
『宋史』列伝の隠士を列記した「隱逸」に、関西の隠士呂洞賓は剣術を修め、100歳でも童顔で飛ぶように数百里歩いた。世間では神仙と思われていたと記録されています。
ただまあ、正史の記録とはいえこれは単にそんなふうに言われていた人がいたよという程度のもの。道教オタの徽宗が呂洞賓を「妙道真君」に封じているため、一応触れときましたよぐらいのものでしょう。
本文も「世以為神仙」。以為は間違って思い込んでいたという意味なので、『宋史』を編纂したトクト的には本物の神仙ではないという認識だったようです。
実際のところ呂洞賓については、今の山西省のあたりの河中府の人で、唐代の礼部尚書呂渭の第四子だとか、2度の進士試験に落第しただとか妙にリアリティがある記録があるものの、しかしそれ自体怪しい記録だったりします。ちなみに呂渭自体は実在の人物だけれど、姓が同じなので利用されただけだと思われます。
もしかしたら、モデルになった道士がいたのかも、ぐらいの可能性はあります。
王重陽全真教を立教する
陝西省の省都西安市の隣に咸陽という街があります。
咸陽は戦国時代に秦の拠点となり、始皇帝が阿房宮を建てた非常に古い街です。
日本から空路西安に行くときは、咸陽の空港で降りてから移動します。
その咸陽に北宋のころ生まれた王中孚なる人物がいます。
咸陽は彼が生まれた後に女真族の金の領土となりました。
王中孚は金国の科挙を受けて落第し、武挙に合格するも辺境の木っ端役人にされたので仕事をやめ、酒に溺れる日々を送りました。
48歳になるまで20年近く飲んだくれの毎日だったというからろくなもんじゃありません。
しかし、48歳の時にある道士と出会い、道教の修行を志しました。この道士が呂洞賓だということになっています。
ここらへんの流れは、進士に落ちた呂洞賓が酒を飲んでいると仙人の鍾離権と出会い、仙人を志したという伝説と酷似しています。
呂洞賓の伝説からこの話を作ったのか、はたまたこの出会いは本当にあり、そこから呂洞賓が鍾離権と出会った伝説が作られたのか、それともどちらも元ネタの『枕中記』にあるお話をパクったものなのかは不明です。
とにかく王中孚はなんやかや修行して得道します。呂洞賓の弟弟子にあたる劉海蟾より「仙酌」を受けたなんて話もあります。仙酌というのはよくわからないです。おそらく鍾離権の道統を継ぐ門人として認められ、盃をいただいたようなことでしょう。なお劉海蟾も実在したか不明の人物です。
劉海蟾は日本では蝦蟇仙人として知られます。
しばらく終南山で布教したのち、蓬莱に赴くといって東を目指し道号を重陽と名乗りました。
現在の山東省に至り、当地の富豪馬鈺と孫富春を弟子にします。後に馬鈺は丹陽子、孫富春は清靜散人と名乗って全真七真に列せられます。
王重陽は馬鈺より全真という名の庵を提供され、ここを拠点に布教を始めたことで全真教が立教されました。
王重陽による内丹法の完成
王重陽は全真教に禅宗の思想や修行、儒教などを取り入れ、三教合一を提唱しました。
特に禅宗からは出家主義を導入し、直弟子は出家させています。夫婦だった馬丹陽と孫不二も別れて出家しています。
外丹については「學道之人不可不通」この道を学ぶならば通らないわけにはいかないとしながらも「不可執著」と戒めています。
そして打座、つまり座禅によって「脱殼登真」つまり羽化登仙を目指すとしています。
しかし打座といっても禅宗の座禅をそのまま行ったわけではないようです。
王重陽はしきりに『黄帝陰符経』を引用しており、外丹の理論を内丹に応用して、座禅とは違う独自の内丹術を生み出そうとしていたことがうかがわれます。『黄帝陰符経』を内丹に応用するのはおそらく王重陽以前から内丹家が行っていたと思われます。
「本來真性喚金丹」人が持つ真性こそ金丹であると唱えており、禅宗に言う「一切衆生悉有仏性」人が備える仏性が、体内に宿る金丹であるとして、修行により人の真性を悟って金丹を生み出し仙人になることを目指しました。
王重陽が生まれるより100年ほど前に記された張伯端の内丹書『悟真篇』では、人は本来長生の薬を持ち、陰陽の気を合わせれば丹は自ずから満ちるもので、どうして薬草を求めたり焼いたりする必要があるかと説きます。
王重陽の理論は『悟真篇』の思想に禅を結びつけて進化させたものだと言えます。
その内丹の技法は、現代の気功の一つ内養功に共通するところが多いです。
王重陽の内丹理論の中核となるのが「性命双修」。王重陽は性とは神、命とは気であると説明しています。ここで言う神とは「神様」のことではなく、精神、意識を指します。
内丹術から現代気功に受け継がれた要訣に「調身」「調息」「調心」があります。簡単に言えば、姿勢・呼吸・意識を正しく整えるという意味であり、これがまさに「性命双修」のことです。
すでに王重陽の時代に内丹術が一定の完成を見ていたと言ってもいいでしょう。






