仙人になる方法:存思

仙人になる方法として、まず仙人がくれる不老不死の薬が想定され、そしてその薬を自分で作ろうという外丹法が考えられました。
しかし外丹法では劇薬を使うという無茶をして死人がが相次いだため、呼吸と気のコントロールによって体内に金丹を作り出す内丹法が考え出されました。内丹法は全真教の出現によって一定の完成を見て、その技術や理論は現代の気功にも受け継がれています。
さて、そうした内面の気を練る技法と似ているようでまた違う技法も生み出されました。それが「存思」です。
存思は体内に神をイメージする
存思はまた存想とも呼ばれる功法は、非常にざっくり説明すればイメージトレーニングです。
静坐法の一種で、古くは太陽や月などをイメージし、後に神仙をイメージするようになりました。
『抱朴子』にはこんな一節があります。
或問曰 辟山川廟堂百鬼之法 抱朴子曰 道士常帶天水符 及上皇竹使符 老子左契 及守真一思三部將軍者 鬼不敢近人也
山川廟堂にて百鬼を避ける法を問われ、抱朴子が答えます。といっても抱朴子っていうのは葛洪のことなので自問自答している感じです。
道士は常に天水符、上皇竹使符、老子左契をたずさえ、三部将軍をただ念じれば鬼は人に近づこうとはしない。
『抱朴子』では道士は深山に分け入り金丹の材料を探すのだと説きました。そのため、山に入ってからの危険避ける符の書き方なども記してあります。
この問いは山の中の廟堂に入ったときに鬼、つまり死霊のたぐいを近づけさせない方法を聞いています。
それが、3種類の符を持っておくこと。左契というのは本来契約時に割符を半分ずつ持ってその証拠とするものです。ここでは符の半分の意味で、おそらくは老子の加護を祈願した御札を半分に割って、左半分を自分が持ち、その契約を確かなものにするためのものでしょう。
そして「三部将軍」を心に念じると死霊を避ける効果があると。
念じるというと日本の称名念仏のイメージから口に出して言葉を出すことだと勘違いする人もいるかもしれませんが、この場合は頭になんか強そうな将軍を思い浮かべて強くイメージを作るということです。
葛洪の立場は、不老不死の仙人になる方法は金丹を服用することというものですから、ここで言われている「守真一思三部將軍」は単に身を守るための方法で、これによって成仙するとは考えられていません。
ただこれは、左慈から続く道術の系譜の中に含まれる存思の原型のようなものだという気がします。
『黄庭外景経』に説かれる存思
葛洪が書いたのはおそらくは三国時代かそれ以前に行われていた古い存思の原型のようなもの。
しかし、すでに葛洪より以前に非常に発展した存思が考え出されていました。
それが記されているのが東晋に成立したと言われる『黄庭外景経』『黄庭内景経』です。
まず、多分先にできたんじゃないかという意見が多い『黄庭外景経』。こちらは三国時代に黄巾の乱を起こした太平道の影響を受けているという説もあります。
『黄庭外景経』ではまずこう打ち出します。
如子欲不死脩崑崙棄捐淫慾專守精
もし不死になって崑崙に永らえたいなら淫欲を捨て精を守ることに専念すべし。崑崙山は不老不死の西王母が住む仙境です。
ここに言われている精は、簡単に言えば生命力のようなもの。
「精気」というように気と一緒くたにされがちですが、精と気は厳密には違います。
中医学理論では精は気とは別ものです。
精は、両親から受け継いだ先天の精と、飲食物から吸収する後天の精があります。
精そのものにも、生殖や体を成長させる働きがあります。
また、精を原料にして血液や気が作られます。
陰陽説で言えば精は陰で気は陽となり、相互に補完し合う存在で、どちらかが尽きれば人間は死にます。
「精神」というように、精は神、つまり頭や心の働き、全ての生命活動の根本となります。
道教でもこの点についてはさほど変わらない認識です。
後の内丹法では「煉精化気」「煉気化神」「煉神還虚」という3段階の境地が考えられ、それは現代の気功にも受け継がれています。
内丹法よりも古く成立した『黄庭外景経』ではまず精を失わないことが重要視されました。
その方法として、呼吸を丹田に注ぎ、丹田の上にある黄庭にいる朱衣の人をイメージする、五臓の「宮室」に精を閉じ込めそこにいる神を養うなどといったことが示されています。
要するに呼吸法とイメージトレーニングの組み合わせで、後の内丹の基礎がここで作られたとも言えます。
『黄庭内景経』に説かれる存思
『黄庭内景経』のほうが『黄庭外外景経』より後に作られたと考えられる根拠の一つは、『黄庭外景経』で説かれた存思の方法がさらに詳細になっているからです。
黃庭內人服錦衣 紫華飛裙雲氣羅
中池內神服赤珠 丹錦雲袍帶虎符
肺神皓華字虛成 肝神龍煙字含明
このように、体各部の神、五臓の神などが事細かく記されています。
『黄庭外景経』では呼吸と精気の運用に付随していた各部の神々が、こちらでは細かく分けられることによってむしろイメージトレーニングのほうが重視されるようになったと考えてもいいでしょう。
『黄庭外景経』に説かれる丹田を意守する方法から座禅などを取り入れて発展していったのが内丹、体内の神々をイメージすることに特化していったのが存思ではないかと思われます。
道教とイメージトレーニング
黄庭経に説かれた存思から発展した文化が2つあります。
1つは書画、1つは盆栽です。
もともと書と道教は深い関係がありました。符を書くのに書法の技術は不可欠だったのです。
書聖として知られる王羲之は、自らも道教の修行を行ったことでも知られ、王羲之による『黄庭外景経』の写経も残っています。
そして、存思のイメージをしやすくするために、仙境などを描いた山水画が描かれるようになりました。
盆栽も同じです。盆栽が生まれたのは東晋のころで、黄庭経が作られた時代とほぼ一致します。
日本ではただのホビーとして楽しまれている盆栽も、もともとは蓬莱山などをイメージするジオラマとして作られました。
現代の道教廟にも、盆栽や天界ジオラマが展示されています。

台北市慈誠宮
このように、道教が生み出した存思は、頭でイメージするだけでは難しかったためか、ビジュアルイメージを作り出すという副産物も発展したのです。
おそらく浄土教の観想念仏も存思の影響として考えられました。
日本の平等院鳳凰堂も極楽浄土を観想するための念仏ジオラマです。






