仙人になる方法:房中術

仙人になるにはどうすればいいか?

そもそも仙人自体想像上の存在ですから、正解などありません。そのため、特に道教の勃興期である東漢末から魏晋南北朝時代ぐらいにかけて多種多様な方法が考案されました。

時代が下るにつれ、仏教という完成度の高い修行体系に対抗するために取捨選択され、現代にまで伝わるものは内丹や存思などの瞑想法が主になっています。

しかし、整理される以前の道教には、現代の常識から見るとそれってちょっとどうなの?というものもありました。房中術もその一つでしょう。

房中術とは

葛洪の『抱朴子』に曰く

服藥雖為長生之本 若能兼行氣者其益甚速 若不能得藥但行氣而盡其理者亦得數百歲 然又宜知房中之術 所以爾者不知陰陽之術屢為勞損則行氣難得力也

服薬は長生を得る本道だが、もしそれに行気を兼ねれば効果が早くなるし、もし金丹を得られなくても行気の理を知り尽くせば数百歳は得られる。そして房中術も知っておいたほうがいい。なぜならば陰陽の術を知らなければ損失が多く行気をしても力を得られないからだ

葛洪は『後漢書』に記される方士・左慈の道統を継ぎます。

左慈については、『後漢書』方術列伝にはマジックのような術で曹操を驚かせたエピソードが描かれてるのみですが、曹操の息子の曹丕が著した『典論』には「廬江の左慈は補導之術を知る」「左慈は房中の術を修める」とあります。補導の補は補精つまり房中術、導は導引など行気の術です。

葛洪にもその技術が伝わっていたのかもしれませんが、あくまで金丹こそが本道とする葛洪にとっては房中術はその補助的なものであったようです。

1973年、湖南省の馬王堆漢墓遺跡より『周易』や『老子』など現代に伝わる書の古い形のものから、現代では失われていたものまで多数の書籍が発見されました。その中に房中術の書も含まれ、紀元前の西漢のころにすでに房中術が行われていたことがわかりました。

房中術とは『抱朴子』に「陰陽の術」とあるように、男女が媾合して陰陽の気を交流させることで長生を得るための術です。

陰陽説では男を陽、女を陰に分けます。勘違いしてほしくないのは、陽が偉く陰がそれに従うというような、立場的な意味での上下の差はないということ。

陰陽に上下の差をつけるのは、孔丘のごとき本来転変して極まりない陰陽に固定的なヒエラルキーつけたアホの妄想です。

本来の陰陽説では、陰陽は対等のもので、互いに対立するとともに互いに支え合い、転変して平衡を保ちます。陰陽が転変しつつ平衡を保っている状態を太極と言います。

そこで、男女がまぐわい、陰気と陽気を巡らせて太極となればお互いに健康になれるとする発想のもと考え出されたのが房中術です。

房中術の内容

現存する房中術の書として最も古いのは、漢代に成立したと考えられている『素女経』です。

といっても中国では長い間『素女経』が散逸した状態でした。

それが現代でも残っているのは実は日本人のおかげ。平安時代の針博士・丹波康頼が、大陸伝来の様々な医学書をまとめた『医心方』に『素女経』も収録されていたからです。

漢代には、いわゆる「黄老の術」が流行して、黄帝に仮託した書籍が多数作られました。『素女経』は、主に黄帝が仙女の素女に房中術の要訣を教わるという形になっており、これも黄老学の流行に乗って作られたものと思われます。

『素女経』の冒頭でまず黄帝が聞きます「我は気が衰え和せず、心は楽しくなく、体は危うい。これはどうしたことだ?」

素女が答えます「人が衰えるのはみな陰陽交接の道を誤っているからです。女が男に勝ればそれは水が火を消すようなもの。この理屈を知って、鍋で五味を合わせてスープを作るように、陰陽の道を知ることができれば、五楽を得られるし、知らなければ寿命を全うできません」

そこで黄帝は、800年生きる仙人の彭祖のもとに仙女の采女をつかわせて延年益寿の法を尋ねさせました。

彭祖が曰く「精神をよく養い、衆薬を飲めば長生は得られる。だが、交接の道を知らなければ薬の効果もないだろう。男女が相成りてなお天地も相成る。天地が交われば終わりはなく、人が交接の道を失えば若死にする。陰陽の術を得るのが不死の道である」

『素女経』は『抱朴子』より古いので、冒頭に紹介した『抱朴子』の記述はこの『素女経』の部分をパクって盛ったのだと思われます。

また、この彭祖の言葉は同じく葛洪の『神仙伝』には多少改変した形でパクられています。

房中術の堕落と衰退

『素女経』の冒頭に「女が男に勝ればそれは水が火を消すようなもの」とありますが、これは男が女に勝れと言っているのではないことは、『素女経』の内容を読めばわかります。

『素女経』では、ただ男が女の陰の気を吸い取って健康になればいいとは言っていません。男性もちゃんと女性を愛撫して、女性が男性を受け入れる準備ができるまで待たなければならないと記してあり、そうすることで女性の五臓に気が充実するとしています。

例えば『玄女経』からの引用としてこうあります。

黄帝曰く「交接の時に女が喜ばず、男の方は男性器が勃起せずに小さいまま。これはどうしたことだ?」

これに玄女が答えて曰く「陰陽はお互いに感応するものです。故に陽は陰を得られなければ喜ばず、陰は陽を得られなければ立ちません。男が接しようとしても女が楽しまず、女が接しようとしても男が欲しがらない。これはお互いの心が不和なため、精気が反応しないためです。そんなときに無理やりしても愛楽は得られません。男が女を求め、女が男を求め、気持ちが合った時に心が喜ぶのです」

つまり、女性を男性の性のはけ口として利用するのではなく、女性の方にも求める気持ちがなければ意味がない。その上で、女性も男性と交われば健康になれると説いているのです。

古代の房中術は思想として男女平等でした。

ただ、『素女経』に説かれるような非常に抑制的な性交が本当に守られたかというとそんなことはありません。

王侯貴族はともかく、道教教団で行われた房中術は単なる乱交パーティーに成り下がり、仏教などからは格好の批判の的となりました。

南北朝のころに作られたと考えられている『正一法文天師教戒科經』では

人頭蟲心房室不節縱恣淫情

人の頭で虫の心の者どもが、房事に節制をもたず淫らな行いを好き勝手にして

と、当時の教団の堕落が糾弾されています。

そのように堕落していく中、教団の内容を見直して、倫理観の立て直しを行ったのが、北の寇謙之と南の陸修静です。

寇謙之は太上老君に道を授かったと称して新天師道を興し、最終的には北魏世祖の師となって新天師道を北魏の国教にまで押し上げました。

北魏の史書『魏書』釋老志には、寇謙之が嵩岳で修行中に天上より降臨した太上老君と相まみえる神秘体験が記されています。太上老君は寇謙之に『雲中音誦新科之誡』20巻を授け、こう告げます。

吾此經誡自天地開闢已來不傳於世今運數應出
汝宣吾新科清整道教 除去三張偽法 租米錢稅及男女合氣之術
大道清虛豈有斯事 專以禮度為首而加之以服食閉練

我(註:太上老君)はこの經誡を天地開闢以来世に伝えることはなかったが、今命数の定まりにより出すことにした
汝(註:寇謙之)この新科によって道教を清めて整理し、三張の偽法と租米の税と男女合気の術を除け
大道は清虚でありそのようなものはあるべきではない
これからは礼儀と節度を重視し、そこに服食と閉練を加えるがよかろう

もちろんこれは寇謙之の自称です。南北朝のころは天師道は各地に分裂してそれぞれ勝手に活動を行っていました。張道陵の直系天師が存在したかどうかすらわかりません。

そこで寇謙之は老子の神格化たる太上老君のお告げを受けたと称して張氏ではない自分が天師を名乗る正当性をでっちあげたものと思われます。

その上で三張、つまり張道陵・張衡・張魯の教えを偽法として退け、五斗米道と呼ばれた以来の米の徴収、そして当時の道教が堕落した最大の原因である「男女合氣之術」房中術を排除しました。

寇謙之は儒教と道教の兼修も推進しており、儒教的な礼や節制を課すことで道教教団の綱紀を粛清するとともに、服食=仙丹や霊芝などの摂取と、閉練=呼吸法による気の鍛錬を主な修行としました。

陸修靜は寇謙之より40年以上遅れて南朝劉宋に生まれた人物です。寇謙之ほどドラスティックな改革は行ってはおらず、また寇謙之とは逆に三張を「三師」と崇めてはいたものの、清虚を好んで五斗米道の原点に立ち返り、信者に罪の懺悔を行わせて善行を勧めていました。

道教は寇謙之や陸修靜の出現を境にただの乱交集団から脱することになります。結局のところ房中術は倫理的にも衰退せざるを得なかったのです。

それに伴い体内に神をイメージする存思、存思を突き詰めていくことでいわば無我の境地に至る坐忘、そして危険な丹薬の服用を捨てて体内に丹薬を錬成していく内丹の術などが行われるようになっていきました。

内丹の術が確立されていく過程で、陰陽の気を交流させるために男女が交わる必要がないという理論も確立されています。

医学分野ではすでに『黄帝内経』が成立した漢代より、人間は単体で陰陽の気を併せ持つ太極だと考えられていました。男女を陰陽に分けるのは、単に男女を対比するとそうなるというだけの話で、男性単体、女性単体で見ればそれぞれ太極なのです。

後の道士には医師を兼ねた人もいますから、やっと道教の側にもそうした医学理論が伝わったのでしょう。

こうして房中術はいらんものとして廃れていきました。

儒教的価値観による誤った房中術

時代の流れの中で房中術は廃れていきます。とはいえ廃れたといってもなくなったわけではなく、一部でその研究は続いていました。

しかし、それは『素女経』が提示した男女平等を旨とする房中術とは変質していました。

例えば明代に著された『純陽演正孚佑帝君既濟真經』では

敵者女人也

などとして

坎離交媾采真陰以補真陽

坎離交媾つまり男女が交わって女性の真陰を奪い真陽を補う方法が説かれました。

こうした房中術は「御女採戦」男性が女性を征服して気を奪う戦いの法と呼ばれます。

すでに男だけが健康になれればいい、女は敵でその気を奪えばいいという、房中術の本質から逸脱したものへと堕しています。

これは、孔丘の学が一般にまで広まったことで男尊女卑の気風が定着したためでしょう。

道教にも明代には儒仏道の三教合一によって儒教的な価値観が深く根を下ろしていましたので、もはや古代の房中術にあった男女平等の精神は失われていたのです。

聞くところによると毛沢東も処女と性交することで気を奪う房中術を行っていたと言います。孔丘の男尊女卑の思想が混ざったために、房中術はそのような生にすがるジジイたちの情けない妄想セックス健康法へとなってしまったのですね。

仙術

Posted by 森 玄通