中秋節

本日は農暦8月15日の中秋節です。
いわゆる中秋の名月を愛でて月餅を食べる日で、ぶっちゃけそれほど濃厚に道教に関係があるわけではないけれど、うっすらとは関係があります。
中秋節と月の神話
中国には殷か周のころから王が月を祀る風習があったといいます。
そうした国の祭事ではなく民間で中秋の満月を愛でる習慣ができたのは晋代だと言われています。
それが8月15日に行う中秋節という節日になったのは、文化の爛熟期を迎える盛唐のころで、李白だの杜甫だのが中秋節にちなんだ詩を詠んでいます。
しかし、李白は明るく光る月を見ながら頭を垂れて故郷を思い、杜甫は科挙の合格を夢見つつ心が折れて、なんとも物悲しい情景ばかり描いています。
阿倍仲麻呂に三笠の山を思い起こさせた月は中秋の名月ではなかったようだけれど、古代の人にとって月には望郷の念を呼ぶ力があったのでしょうか?
中国に留学していたときも、台湾に住んでいたときも、月を見ても「ああ月だね」としか思わなかった私は詩人にはなれません。
さて、中国には月にまつわる神話や説話がいろいろあって、その中でも最も有名なのが「嫦娥月に逃げる」です。
『淮南子』に
譬若羿請不死之藥於西王母 姮娥竊以奔月
例えば羿(ゲイ)が西王母から不死の薬をいただき、嫦娥がそれを盗んで月に逃げたように。という記述があります。
羿は神話に出てくる弓の名手です。
帝堯の時代10の太陽が一度に登って地上が大変なことになりました。そこで堯は弓の名手の羿に命じて9つの太陽を射落とせさせました。まだ文字を持たなかった時代の旱魃の記憶が神話に反映されているようです。
そんな羿は、後に弟子の逢蒙(ホウモウ)に射殺されてしまいます。ゲイはホウモウに殺されます。
嫦娥は元々は姮娥とされ、古くは天帝俊の奥さんという設定でした。
それが後に羿の奥さんということになります。他に天帝の娘だとかいう設定もあります。
そして中秋節が一般化されるとともに、嫦娥の神話が中秋節に結び付けられました。
現在伝わっている大まかな内容はこうです。
昔々10個の太陽が登って地上は灼熱となり、民が困窮しました。
弓の名人羿は、民を救うために9つの太陽を矢で落とします。それで有名になった羿にはたくさんの弟子ができました。
ある日、崑崙山の西王母は羿に不老不死の薬を授けました。飲めば仙人となって天界に登ることができます。しかし羿は妻の嫦娥と別れたくなかったので、薬を飲まずにしまっておきました。
羿の弟子逢蒙は、羿がでかけた隙を狙って家に押しかけ、嫦娥に薬をよこせと迫ります。
嫦娥はこんな男に薬をやってはいけないと、不死の薬を自ら飲んでしまいました。
すると嫦娥は仙女となり、体が浮いて月に登ってしまいました。
それが8月15日のこと。
それを知った羿は悲しんで、8月15日には供え物をして嫦娥を想うようになりました。
てな具合です。
こちらの嫦娥は旦那さんが西王母からいただいた薬を悪漢から守ろうとした貞女として描かれています。
ところがそれとは違うパターンの話もあります。
まず、『淮南子』より200年以上後に漢朝の尚書張衡が著した『霊憲』にこんな一節があります。
羿請無死之藥於西王母 姮娥竊之以奔月 將往枚筮之於有黃 有黃占之曰 吉 翩翩歸妹 獨將西行 逢天晦芒 毋驚毋恐 後其大昌 姮娥遂託身於月 是爲蟾蠩
羿は西王母に無死の薬を請うた。嫦娥はそれを盗み月に逃げた。その前に占い師の有黄のところで占ってもらうと「吉です。帰妹の卦、一人西に行き暗黒に出会っても驚かず恐れずにいれば後によいことがあるでしょう」と出た。嫦娥は月に身を寄せた。それが蟾蠩である。
蟾蠩っていうのはガマガエルです。
余談ですが姮娥が嫦娥になったのは、西漢の文帝の諱が恒だったので、避諱として恒に似た姮が嫦になったなんて話があります。でも『霊憲』が記されたのは東漢で、文帝より後の時代にも姮娥が使われていたわけですから、その説は違うんじゃないかと思います。
中国では月にガマガエルがいるっていう話もあります。
こちらの話は、『淮南子』に記された嫦娥の話と月のガマガエルを結びつけたものでしょう。
で、そこからまた別の話も作られています。
嫦娥は羿が西王母からもらった不老不死の薬を盗み、独り占めしようとして月に逃げた。しかしそれがバレて罰としてガマガエルにされてしまった。
こっちのバージョンだと嫦娥は悪妻ですね。多分こっちのほうが古くて、後に中秋節と結び付けられたときに、女神がガマガエルになったじゃあんまりだってことになって、逢蒙から薬を守ってやむなく月に昇ったということになったのだと思います。
それとは逆に、9つの太陽を射落とした羿が弓の名人ともてはやされて鼻が高くなり、尊大な人間になってしまったため、嫦娥はこんなのを不死にしてはいけないと薬を飲んでしまったというバージョンもあります。
さて、日本では月で兎が餅をついているなんて言われます。その元ネタも中国にあります。
西漢の劉向撰と言われる『五經通義』に
月中有免與蟾樵何 月陰也端幹陽也
月にうさぎと蟾樵がいるのはなぜか、それは月が陰で端幹が陽だからだ。
蟾樵と端幹はなんのことやらわからなかったのですが、これを引用したとする『藝文類聚』では
五經通義曰 月中有兔與蟾蜍何 月陰也蟾蜍陽也
となっているので、どっちも蟾蜍のことだと考えていいのかもしれません。
漢代から月にはガマガエルの他にうさぎもいると考えられていたことがわかります。
時代が下って『旧唐書』志第十三暦二にはこうあります。
月欲有蝕 先月形搖振 狀若驚懼 月兔及側月色黃如有憂狀
月が月蝕になろうとしたときは、まず月の形が揺れてまるで驚き恐れているようになる。月兎と月の側面は憂いたように黄色くなる。
ここで言っている月兎は月に住むうさぎさんのことではなく、月に現れているうさぎに見える模様のことだと思われます。
この月兎は、もともとはなんで月にいるのかの理由付けはされていませんでした。しかし後に道教の説話として理由付けの話が作られました。
まず、嫦娥はひきがえるではなくうさぎに変えられたというバージョン。
嫦娥は不老不死の薬を盗んで月に逃げたけれど、天帝の怒りを受けてうさぎに変えられ、不老不死の薬を作るために材料を搗いているといった話です。
仏教説話からのパクリバージョンもあります。
3人の仙人が年寄りに化けて、狐、猿、うさぎに食べ物を恵んでほしいと頼みました。狐と猿は食べ物を持ってきて食べさせてあげました。しかしうさぎは食べ物を手に入れられませんでした。そこでうさぎは「私を食べて」と自ら火の中に飛び込んで死にました。その犠牲の心に感じ入った仙人は、うさぎを玉兎という神獣にして月の宮に送りました。玉兎はそこで嫦娥を手伝って不老不死の薬を作るために材料を搗いているのです。
これはインドの『ジャータカ』にある説話の丸パクリで、原典では仙人ではなく帝釈天でした。
こちらの嫦娥はおそらく薬を奪われないために仕方なく飲んだほうだと思われます。
いずれにしても、月のうさぎは杵をもって薬を搗いているのです。
それが日本ではもちを搗いていることになっているけれど、これもまあ日本独特の外来文化をちゃんと理解しないまま取り入れる風習ゆえでしょう。
道教での中秋節
道教はだいたい神話の神は取り入れていきますから、嫦娥も道教の神様になっています。
道教での嫦娥には太陰星君という神名がついています。女性の守り神として、女性の良縁や仕事運などを司るとされます。
太陰星君は月の女神で、多くは太陽神の太陽星君(太陽帝君)と対で祀られています。ただ、どうも太陽星君の奥さんということにはなっていないようです。

太陽帝君と太陰星君:基隆市代明宮
太陰星君は嫦娥なので、月と地上に別れたとはいえ羿の奥さんですから、他人の奥さんにしてしまうわけにはいかなかったのでしょう。
また、羿は余分な太陽を射落としたほうですから太陽神にはできなかったのだと思います。
道教では中秋節に太陰星君のお祭りが行われます。
中秋節の風習
中秋節には月餅を食べる。これはマストです。

月餅(ヤマザキのやつ)
月餅は古代からあったなんて情報もあるけれど、これは典拠が見つからなかったので不明。
『洛中見聞』に晩唐の皇帝僖宗が進士に中秋節のプレゼントとして月餅を贈ったと記されているとあるけれど、その『洛中見聞』の原文が見つからなかったのでほんとかどうかはわかりません。wikiに典拠として記されている書籍を探してみると実際には記載されていなかったなんてことはざらにあります。
月餅という名称が蘇軾の詩『留別廉守』にあるという説もあります。
編萑以苴豬 瑾塗以塗之
小餅如嚼月 中有酥與飴
懸知合浦人 長誦東坡詩
好在真一酒 為我醉宗資
萑を編んで豚肉を包み泥を塗る
小餅はまるで月を食べるようだ 中には酥と飴が入っている
合浦の人を思い 東坡の詩を長誦する
丁度真一酒がある これは宗資に酔うためのものだ
最初の段は草で豚肉を包んで泥を塗り、それを焼くのかなと思います。蘇軾は東坡肉を開発した豚肉好きとして知られます。
でまあ、この小餅が月を食べているようだって言うことから丸い月のような餅だと考えられます。餅っていうのは「もち」ではなく小麦粉を練って焼いたものです。日本人は月のうさぎが搗いているのが薬なのも、餅が小麦粉を原料とする食べ物だということも理解できていませんでした。
この詩に小餅が月のようだと詠んであるので、それが合わさって「月餅」という呼び名ができたという説になっています。
合浦は蘇軾が晩年に流された僻地です。
真一酒は蘇軾が自分で醸造したお酒の名前。
最後の「為我醉宗資」は正直よくわかりません。「宗資」で調べたら漢の名臣と出ました。宗資さんに憧れて酒に酔っ払って宗資さんのことを思っていたのかもしれないし。他の意味があるかもしれません。
まあそんなのは別にいいんだよ。
とにかく蘇軾が生きた宋代には、流されたど田舎でも食べられるぐらい月餅が普及していたんだと思います。
月餅については明の建国秘話みたいな伝説があります。
元の転覆を図る朱元璋は、漢人の家々に中秋節の日に蜂起を促すメッセージを仕込んだ月餅を配り、それを見た漢人たちが一斉に蜂起してモンゴル人を北へ追い出した。てな感じの話です。
そんなわけあるか!
どんだけ大量に月餅を用意したんだよって話ですわ。そもそも紅巾の乱はある日突然一斉蜂起が起こったってものではないし。紅巾の乱が起こった時は朱元璋はただの坊主だったし。
話は嘘っぱちだとしてもそんな伝説が作られるぐらいには中秋節には月餅という風習が広く一般化していたことを現しているとも解釈できます。
中秋節は中国以外の国々でも行われています。
日本では十五夜の名称で親しまれ、団子を食べる習慣がありますが、これ実際やってる家ってどれだけあるんですかね?
子供のころに団子を食べることはあったけれど、三方に団子をピラミッド状に並べて月に供えるなんてことはやったことはありません。
日本ではもともと貴族の遊びとして月見があり、平安時代に朝貢使が中秋節の風習を伝えてからそれを真似して8月15日に行うようになったようです。
台湾でも中国と同様月餅はマストで、端午節のときの粽子と同様に月餅の贈答用セットが売られます。ハーゲンダッツやゴディバまでオリジナル月餅を出して中秋節商戦に乗っかってますから、台湾人の月餅熱は中国人より熱いかもしれません。
また、現在の台湾では中秋節といえば路上焼き肉が定番です。これは1980年代に台湾の醤油メーカーが中秋節に家族で焼き肉をしようというコピーの焼肉のタレのCMを打ったことがきっかけだと言われています。
台湾でロケが行われた映画『ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE』は2015年の中秋節の日が出発日に当たっていて、路上焼き肉を楽しむ家族の姿が映されています。
しかし今年は武漢肺炎のせいで各自治体が公園や河川敷での野外バーベキューや焼き肉を禁じています。
ベトナムの中秋節は秋の収穫祭と習合され、月の下で五穀豊穣を感謝する祭りが行われるようです。また、子供がおもちゃをプレゼントしてもらえる日にもなっているとのことです。
農暦は太陰暦をベースにした太陰太陽暦です。朔日は必ず新月だけれど、15日は必ずしも満月になるとは限りません。例えば昨年の中秋節は月齢は14日で、満月はその翌日でした。
しかし今年の中秋節は満月と重なっているうえに晴れています。まんまるお月さまを眺めながら、月餅なりお団子なりを楽しめるでしょう






