青山靈安尊王と艋舺青山王祭

台北で最もはやく漢人の入植が始まった古い街が、台北市の南西部に位置する艋舺です。
古い街だけあって艋舺には古い道教廟も数多く残っています。
その中でも特に篤い信仰を集めているのが、艋舺龍山寺と艋舺青山宮です。
本日11月27日は農暦10月23日。青山宮に祀られる青山靈安尊王の誕生日で、その前の農暦10月20日から22日までは艋舺地区で、台北では最大のお祭り「艋舺青山王祭」が行われていました。
青山靈安尊王
中国に、山に霊性を認め、山岳自体を信仰の対象とする山岳信仰がありました。
日本の場合は、山は神様が降り立つ依代という認識になっていきましたが、中国では道教や民間信仰によって、その山の守り神として人格神が設定されるようになっていきます。
その代表と言えるのが泰山府君などの五岳神です。
青山靈安尊王もそのような信仰からうまれました。
靈安尊王は、元々は、福建の三邑にある青山の守り神でした。そのため青山王という別名も持ちます。
三国時代呉の将軍だった張滾。あるいは五代十国時代の?国の将軍張悃が神様になったものだとも言います。元々は単に「青山の神様」として信仰されていた山神様に、後付で歴史上の人物の由来を付け足したものと思われます。
福建の一地方の山神様が台湾に将来されたのは19世紀のこと。
1854年に台湾に疫病が発生します。
そこでに住んでいた三邑出身の移民たちが、故郷から靈安尊王の分霊を受け、疫病退散を祈願しました。
1854年はまだ清朝統治時代。台湾は瘴癘の地と呼ばれ、疫病の宝庫でした。
台湾の衛生環境が向上し、疫病が減っていくのは日本統治時代に入ってからです。
日本統治時代になってから設置された台湾地方病及伝染病調査委員会の幹事で、ドイツのロベルト・コッホ研究所で細菌学の研究をした高木友枝は、台湾人は疫病が感染性疾患ではなく神仏の祟りだと考えていたと指摘しています。
その認識はちょっと間違っていて、台湾人も疫病を病気であるという認識自体は持っていました。ただ、それをもたらすのが天界より遣わされた瘟神だと思っていたのです。
だからその解決法として医学ではなく神様に頼りました。
もっともそういう日本人も、明治以前は似たようなものだし、現在に至っても病気平癒を願って神社や寺で祈祷を受けたりする人もいますからあまりバカにできるものでもありません。
ともかく靈安尊王をお迎えしてからしばらくすると、疫病が収まりました。艋舺ではそれが靈安尊王のおかげということになっています。
人は偶然のことでも自らが起こした行動のおかげだと思いたがるものなのでしょう。
青山宮の創建にはちょっとした伝説があります。靈安尊王をお招きして神像を運んでいたところ、艋舺のある地点で神像を動かせなくなりました。そこでその場所に祠を建て、靈安尊王をお祀りしたのが、現在の青山宮だと言います。
??青山王祭
台湾ではその後も疫病が発生し、それが収まったときには靈安尊王のおかげだと言われるようになりました。
台北では主に艋舺で靈安尊王への信仰が高まります。
最初は三邑出身移民たちが靈安尊王の誕生日である10月23日にお祭りをするようになり、徐々に規模が大きくなっていきました。
青山王祭は、台湾で広まった靈安尊王への信仰から生まれた台湾独自のお祭りです。
昭和の皇民化運動による台湾の民衆信仰への抑圧や、蒋氏独裁政権での戒厳令などを乗り越え、現在では台北で最も盛大なお祭りとなっています。
艋舺青山王祭は4日間にわたって行われます。
農暦10月20日21日は暗訪夜巡。靈安尊王の神像をお神輿に乗せ、艋舺中でパレードが行われます。
このパレードが非常に長く、一晩中続きます。
そして誕生日前日の10月22日は正日と呼ばれ日巡平安繞境が行われます。午前中に靈安尊王が青山宮を出駕し、夜までかけてパレードが行われるのです。
暗訪夜巡や日巡平安繞境は、神様による街の巡視です。これは、靈安尊王が疫病退散の験を現したことから、台湾では本来瘟神や悪霊を征伐する王爺千歳に与えられている「代天巡狩」の職能も付与されていることを意味します。
靈安尊王の誕生日である10月23日には、青山宮に信徒や関係者一同が集まり、誕生日を祝う式典が行われます。
今年の艋舺青山王祭は、武漢肺炎の影響もあり、パレードの規模は例年より縮小して行われました。
昨日の青山宮からの出駕には台湾の国家元首である蔡英文総統も参加してお神輿を担いでいます。
私は2016年、2017年の艋舺青山王祭について回ったので、一部そのときの画像を載せておきます。
2016年??青山王祭
2016年農暦10月20日

パレードが行く先々には祭壇が設けられて、その前で礼拝や獅子舞などが行われます。その前には魔除けの爆竹が鳴らされます。


パレードではこのような大仙翁仔と呼ばれる、中に人が入って操る神像が多数歩いています。
2016年農暦10月21日

暗訪夜巡の2日目。午後に青山宮からお神輿や大仙翁仔が出駕します。


火事ではなく爆竹の煙です。青山宮付近では特に念入りに鳴らされるようです。

これだけの量の爆竹が鳴らされました。

もちろん爆竹はお祭りの運営側が掃除します。

爆竹で清められた道をパレードが通ります。

青山宮の横では歌仔戲(コアヒー)と呼ばれる台湾の伝統歌劇が行われていました。

ここは龍山寺前から続く梧州街。日本人にも有名な夜市が開かれる通りです。

これも爆竹の煙。

ファミマの前にも祭壇が設けられていました。
2016年農暦10月22日
この年の日巡平安繞境の日。

昼には行けなかったので夜から参加です。
艋舺青山王祭では、パレードの順路にある各廟に神様の挨拶が行われます。特に台北で最も古い龍山寺に対しては、非常に丁重な挨拶が行われるようです。

町中ですが打ち上げ花火が上げられます。

歩き疲れて屋台で食事をとっていると、その前を通っていきました。
2017年??青山王祭
2017年農暦10月20日
この年の暗訪夜巡初日は雨でした。

道に設置される爆竹の箱。

この後ろにいるのが、靈安尊王の神像を乗せたお神輿。
この後希望者に線香が渡され、神像に対して跪いての礼拝が行われました。
私も混ざって雨に濡れた道に跪きました。

こちらが靈安尊王の神像とお神輿。
2017年農暦10月21日
暗訪夜巡2日目。

龍山寺での挨拶を済ませた陰陽司。
陰陽司は本来は城隍爺配下の神様です。しかし台湾では靈安尊王に城隍爺と同じ職能が与えられており、陰陽司の他八家將など城隍爺の部下たちが下につけられています。

陰陽司に扮していたのは小学生ぐらいの男の子。





パレードには靈安尊王の巡察という意味がありますから、こうした狭い路地ももらさず通ります。
2017年農暦10月22日

このときはこの日が帰国日だったので、出駕前に青山宮で待機するお神輿を見るだけにとどまりました。






