符籙

昭和の末期に日本でも公開されて一大ブームを引き起こした香港映画『霊幻道士』(原題:僵尸先生)。

僵尸は日本では僵尸の広東語読み(無理やりカタカナにすると「ゲォンシー」という感じ)を適当カタカナ化した「キョンシー」と知られる死後に意思は持たないものの動き回るというゾンビのようでゾンビでない少しゾンビっぽい死体のことです。

映画ではキョンシーはそのままだと人を襲うので、道士によって制御され、葬られるべき故郷に連れて行かれます。そのキョンシーを制御するためのアイテムが御札です。

こうした御札を道教の世界では符籙と呼びます。

符籙の成立

符籙とは符と籙が合わさって作られた言葉です。

符は符咒、符篆などとも言って、紙や布などに文字を記したもの。本来命令書などが伝えられるときに、それが本物だと証明するための割符のことを言ったので、それが鬼神を使役するための命令書という意味に転じたのでしょう。

籙はもともと皇帝が天より皇帝位を賜ったことを記したとする秘密の文書のことでした。皇帝は天子とも呼ばれるように、天から授かった位であるということを権威の拠り所とします。それが後に神名や方術を記した天からもたらされた秘伝書ということになりました。また、神名や祈願などが書かれた紙のことも指します。日本の神社などで売られているお守りは籙の一種と言えるかもしれません。

もっとも今では符と籙はあまり区別がなくなって「符籙」という一つの言葉として使われるようになっています。

古代中国では、文字は黄帝に仕える倉頡という聖人が作ったものだと信じられていました。倉頡は神話に出てくる人なので、神様に近い存在と言っていいでしょう。

そして倉頡が作り出した漢字という文字には力があると信じられていました。シンケンジャー的に言えばモヂカラです。

符とはそうしたいわば文字信仰から生み出されたのではないかと思われます。まだ紙がなかった時代には、木や竹の板、布などに書いて使っていたはずです。

符籙は道教が形成される以前からすでにあり、特に初期道教では重要な役割を果たします。

符は主に巫覡が用いる呪術道具でした。

黄巾の乱を起こした張角が、燃やした符を混ぜた符水を飲ませる呪術を行ったのも巫覡の技だと言えます。

晋代に著された『抱朴子』には、符の活用法がいくつか紹介されています。

例えば「登涉篇」では、葛洪は仙薬を作ろうとするもの、世を避け隠居するものは山に入るべきだが、しかし山に入る方法を知らないといろんなトラブルに遭うとしてこう説きます。

凡人入山 皆當先齋潔七日 不經污穢 帶昇山符出門 作週身三五法

人が山に入るときは、まず7日間身を清め、穢れをなくしてから、昇山符を持って家を出て体中に三五法を行う。

この三五法っていうのは奇門遁甲にも通じるおまじないのようです。

『後漢書』方術伝の費長房の部分にこんな一節があります。

長房辭歸 翁與一竹杖 曰騎此任所之則自至矣 既至可以杖投葛陂中也 又為作一符 曰以此主地上鬼神

汝南の費長房という役人が、街で薬売りをしているおじいさんが壺の中に入っていくのを見て、おじいさんにそのことを聞きに行ったところ、壺の中の屋敷に招かれて、私は神仙であると告げられました。そこで長房は弟子入りを願い出て、死んだふりをして家を出奔します。

深山に連れて行かれ、虎がいる茨の中に一人残されたり、蛇の群れが食いちぎろうとしている朽ちた縄に寝るなどといった試練に耐えたものの、最後に虫がわいたうんこを食べろと言われて、あっ無理っすわとなりました。

そこで長房は辭歸、おうち帰ると言うと、おじいさんは残念がるでもなく一本の竹の杖を出し、この杖に乗ればどこでも行きたいところへ行けると言ってよこして、地上の鬼神を統べることができるという符を選別代わりにくれました。挫折したとはいっても途中までは試練を耐えたということで、特別にアイテムをもらえたのでしょう。

長房は神仙のおじいさんと過ごしたのは10日ばかりと思っていました。しかし、家に帰ってみると10年以上が経っていました。

とまあこんな感じで、このお話はともかく、『後漢書』が記された南北朝のころにはすでに道教は広まっていましたから、符?が神仙の術だというのは一般的な認識になっていたのだと思われます。

符籙派道教

道教には大きくわけて2つの派閥があります。1つは金丹派、もう1つは符籙派です。

金丹派には、葛洪のように様々な材料を集めて仙薬を作り出そうとする外丹派、全真教のように内功を練って自らの中に金丹を作り出そうとする内丹派に分かれます。いずれにしても金丹=神丹の力を得て羽化登仙しようとするのが金丹派です。

一方、道教成立以前の呪術から取り入れた符籙の術をもって儀式を行ったり布教をするのが符籙派です。五斗米道の流れを引く正一道などが符籙派に入ります。

もっとも、外丹派の葛洪も符籙の効果を記しているし、符籙派道教にも存思法のような内丹術に通じる技法もあるので、くっきり明確に分かれているわけではありません。

符籙ははじめのころは単純な文字の組み合わせで書かれていました。短い文章の文字を組み合わせて、一つか二つの文字のようにしていたのです。

しかし符籙が広く行われるようにつれ、その文字や書式は複雑化していきます。そして、符籙は特殊な方法で鬼神と通じることができる道士のみが書けるものだということになります。

誰でも書けるものだと信者も金も集まらないので、道士は符籙を既得権益にしたのです。

日本の神社が厄年なんていう無意味なものを作り出して厄払いを既得権益にしたり、日本の仏教が本来仏教とは関係ない葬儀と墓地経営を既得権益にしているのと同じことです。

もっとも、符籙は現代では廃れているようです。中国の状況はわからないけれど、少なくとも台湾では符籙を見ることはほとんどありません。現在の台湾道教では、お祓いや占いが主流となっているようです。