女神の尊称「娘娘」

漢字伝来以前に日本には「神代文字」があったなどというヨタ話はおいといて、日本語は古代より表記を漢字に頼ってきました。ひらがなもカタカナも、もともとは日本語の音に当て字した漢字の一部を変形させて作られたいわば日本式の簡体字です。
さらに最新文化を中国からの輸入に頼ったため、非常に多くの語彙を漢語から導入して利用してきました。近年はコンプライアンスやらエビデンスやら、やたらと英単語を使うことに批判があったりするけれど、日本語は古代から漢語という外来語の単語に頼らなければならなかった不完全な言語なので、むしろ無批判に英単語を混ぜて使うことこそ日本の伝統だと言っていいでしょう。
韓国が漢字を完全に廃止してハングル表記だけにしたら同音異義語の区別がつかなくなってややこしいなんて話を聞くと、かな漢字混じりの文章を維持しているのは賢明だと思いますが、逆に日本語は漢字なしには成り立ちません。
そこで日本も中国も「同じ漢字」を使っているから例え中国語を知らなくても漢字で文章を書けば中国人と筆談できるなんていう大いなる勘違いをする日本人も出てくるわけです。これが妄言であることは少しでも中国語を学んだことがあればわかるはず。なんで妄言かって言うと、「同じ漢字」でも意味が同じとは限らないからです。
例えば「告訴」は日本語では法に訴えることだけれど、中国語では「告げる」という意味。「昨日何が起こったのか教えて?」は「请告诉我昨天发生了什么事?」になります。
「手紙」は中国語だとトイレットペーパーという意味。「私」は中国語だと私的なという意味で自分自身を示す一人称としては使われません。だから中国人に「手紙を下さい」と言うつもりで例えば「私欲手紙」と書いて中国人に見せても意味は通じません。「私欲手紙」を中国語として訳すと「私的にトイレットペーパーを欲する」という意味になります。もっとも現代中国語で「ほしい」は「要」で「欲」などとは言いませんが。ちなみに「手紙を下さい」は中国語では「请寄给我你的信」とか「请你给我写封信」とかになります。
「娘」は中国語だとお母さんという意味。以前台南出身の台湾人の若い女性に「台南のお嬢さん」というつもりで「台南娘」と書いて見せて微妙な雰囲気になったというアホな日本人がいました。「台南娘」は「台南のおっかさん」というニュアンスになりますから微妙になって当然です。
さてこの「娘」重ねて「娘娘」と書くと女性に対する尊称となります。
「娘娘」は貴人の女性と女神の尊称
「娘娘」は、中国の一部地域では年長の女性への尊称となりますが、一般的には、あるいは歴史的には、皇后や後宮の妃嬪に対する尊称であり、また女神への尊称として使われてきました。
日本では『十二国記』や『ふしぎ遊戯』など、現実の中国ではないけれど文化やキャラの名称が中国風のフィクションが一つのジャンルとして確立しています。
2022年の秋アニメの一作『後宮の烏』も、現実の中国とは違う中国風ファンタジーの一つです。主人公で「烏妃」という特別な妃嬪である柳寿雪が「娘娘」と呼ばれ、また寿雪がその身に宿す妖鳥シレーヌを黒くして鳥成分を強くしたような妖怪が「烏漣娘娘」という神として祀られています。

烏漣娘娘:YouTubeアニプレックスチャンネルTVアニメ「後宮の烏」ノンクレジットムービー オープニング・テーマ「MYSTERIOUS」:女王蜂より
蛇足を付け加えると、現実の中国では伏羲や女娲、西王母など最初期には半人半獣だった神も信仰対象になると人型に修正されますから、こういう人面の妖怪がそのままの姿で神として祀られているという点でも現実の中国とは異なる世界なのがわかります。
ただ、後宮の妃嬪と女神を「娘娘」という尊称で呼ぶ文化は取り入れられています。
道教の女神の尊称
「娘娘」は現代では道教の女神に対する尊称としてのみに使われる言葉です。
「娘娘」と言えばそのものズバリ「註生娘娘」という神名に「娘娘」が使われている女神がいます。註生娘娘は妊娠から出産まで司る女性の守り神です。
ただ正式名称に「娘娘」がつかない女神でも、例えば西王母は王母娘娘、后土は后土娘娘、媽祖は聖母娘娘と、信仰心が篤い人はちゃんと尊称をつけて呼んでいます。
歴史上、後宮の貴婦人に「娘娘」という尊称をつけるようになったのは、記録の上では宋代のようです。しかし女神の尊称として使われるようになったのはいつかなのかはわかりません。観世音菩薩が民間信仰に取り入れられてとき「観音娘娘」と呼ばれるようになったのが最初という説があるものの、それも確たる証拠はありません。
皇后や妃嬪の尊称として使われるようになったために、天上の貴婦人である女神にも娘娘とつけるようになったのか、はたまた女神の尊称として娘娘が使われていたために現実の後宮でも貴婦人の尊称として使われるようになったのかはまったく不明。おそらくは前者だろうとは思われるものの、後者である可能性も完全には否定できません。
ただ、中華民国以降は後宮はなくなったので、現実の女性を「娘娘」と呼ぶことはなくなりました。現代では女性に対する尊称は「女士」です。そして「娘娘」は女神に対する尊称としてのみ使われるようになりました。






