道教の神々:保生大帝

中国では地域に貢献した人物を顕彰し、神として祀る風習が受け継がれてきました。そのため、特に治水や開墾、インフラ整備等に活躍した人物が神様として信仰されることが多いです。

三皇五帝の一柱・禹もまた、治水に力を尽くした古代の実在の王が神格化されたものかもしれません。そして、それら中国各地で祀られていた民間信仰の神々のうち、特に知名度が高い神は後に道教の中にも取り入れられていきます。

民間信仰出身の道教神の中には医神も見られます。中国では『黄帝内経』に見られるように古代より体系的な医学が発展していました。しかし、そうした高度な医学・医術の恩恵に浴することができたのは、王侯貴族や士大夫などごく一部の上級国民に過ぎません。庶民のほとんどは、病気になったら神頼みをするしかなかったのです。高名な医師を神格化した医神はそうした需要から生まれたのだろうと想像できます。

そうした医神の中でも、特に福建や福建からの移民が多い台湾、シンガポール、マレーシアなどの国々で人気なのが保生大帝です。

庶民の医師・呉夲

保生大帝は北宋のころ閩南=現在の福建省で活躍した医師・呉夲(ごとう、呉本ではない。ただし本当は呉本だったという説もあり)が神格化された神です。『慈済宮碑』などいくつかの記録に名前が記されることから、実在の人物だったようです。

それらの記録によれば、呉夲は閩南の漁師の子として生まれ、両親を相次いで病気で亡くしたことから医学を志したとか。

薬草の採取から始まり、鍼灸や湯液(日本で言う漢方薬)を学びました。

一説には養真老人と号する道士について学んだともいいます。道教成立以降、道術とともに医術を修める道士もいました。『本草経集注』を著した陶弘景、『千金方』を著した孫思邈は医師でもあり道士でもありました。養真老人もあるいはそうした医学に通じる道士だったのかもしれません。漁師の子として生まれながら両親を亡くした呉夲が医学を学べたのは、医学も修めた道士の弟子か小間使にでもなったからだと考えれば現実味があります。

医学を学んだ後の呉夲は、身分の隔てなく治療を施したため、地域で慕われ、尊敬されていました。しかし、急病人のための薬草を摂るために山に登り、崖から滑落して58歳の若さで命を落としたといいます。

人々は呉夲の徳を顕彰して「医霊真人」として祀りました。

ただ、薬草採りをしていた若い頃ならともかく、すでに名を為していた呉夲がいくら有徳の人とはいえ自ら山に薬草を採りに行ったというのは疑問が残ります。危険な高山にしか生えない貴重な薬草を採りに行くなどというのはあまりにも作られたような話なので、神として祀られる呉夲の功績を盛ったものじゃないかという気もします。

とはいえ神として祀られるぐらいだったのだから、呉夲が医師として大きな貢献をした人物だったのは間違いないのでしょう。

明代に保生大帝に封じられる

死後に「医霊真人」として祀られるようになった呉夲。その百数十年後には朝廷から「大道真人」の追封を受けています。こういうのはおそらく地方から朝廷に上奏があり、地方の信仰を管理する目的もあって行われるのでしょう。南宋代だけでも13回追封が行われています。ただしこれは全て真人号や真君号でした。神というよりはその道を極めて仙人に至った人といったイメージです。

もっとも、民間ではすでに神として祀られており、医霊真人の廟に参拝しただけで病気が治ったなどという御利益が喧伝されていたようです。宋代ぐらいだともう仙人と神の区別はあいまいです。

元を挟んで明になると、初代皇帝太祖朱元璋が昊天御史医霊真君の称号を与えています。民間での「医霊真人」を受け、そこに昊天つまり天帝より使わされた御史=監察官という役目をつけました。これは朝廷が呉夲を天帝に仕える仙人もしくは神と認めたことになります。

さらに明朝3代皇帝永楽帝は、まず呉夲を萬寿無極大帝に封じ、その10年後には恩主昊天医霊妙恵真君萬寿無極保生大帝に封じています。大帝号が付けばこれは明確に神だと認めたことになります。「保生大帝」という医神はこの時点で生まれました。

では保生大帝がいつ道教に取り入れられたのか?それははっきりしません。そもそも民間信仰自体「道教的」信仰で、民間信仰と道教の明確な線引きは難しいですから民間で祀られた時点ですでにとりいれられていたとも言えるし、保生大帝に封じられる以前から閩南の道教が人気にあやかって取り入れていた可能性もあります。ただ、少なくとも台湾の道教廟では保生大帝という神号以外は本名をもとにした「呉真人」ぐらいしか別称が見られないため、明朝が保生大帝に封じた以後に取り入れた可能性も高いと思います。

後に盛られた呉夲の伝説

実在の人物が神様になると、後付けでいろいろ伝説が盛られます。呉夲もまた後の時代にいろいろ盛られました。

例えば呉夲は崑崙山で西王母に医術を授かったなどという伝説があります。ここらへんは道士について医学を学んだというのが飛躍して作られたのかもしれません。

あるいは、虎さんの口からかんざしを抜いてあげたという話があります。


台北市大龍峒保安宮

ある時呉夲のもとに虎さんが訪ねてきました。虎さんが言うには、人間の女を食べたら頭に挿していたかんざしが喉に刺さって抜けなくなってしまったとか。そこで呉夲はかんざしを抜いてやり、これからは人間を食べてはいけないよと諭しました。感謝した虎さんは呉夲の守護獣となりましたとさ。

かんざしではなく人間の骨が刺さっていたというバージョンもあるようです。虎だから人間を食べることもあるよね、でもこれに懲りたらもう人間を食べてはいけないよ。人間を食べたということには怒らずそう諭した呉夲の優しさ(?)は日本人の感覚からしたらちょっとやべーやつの気質も感じるけど、でもまあ虎さんだからしかたないよね。

虎さんと来れば龍だよねということで、龍を治療した話もあります。


台北市大龍峒保安宮

ある時目の病気を患った龍が人に化けて呉夲のもとを訪れました。山中で出会った眼病の木こりが実は龍だったというバージョンもあります。ともかく呉夲はそれが龍なのを一目で見破り、龍に合った薬を処方して目を治してあげました。

この2つのお話は「治龍眼 医虎喉」として伝えられているので最初から対の物語として作られたのかもしれません。

さてそうした数々の呉夲伝説の中でも、特に有名なのが糸で脈診をしたというお話。

呉夲は医師として高名になり、ついに北宋4代皇帝・仁宗に召し出され、皇太后の病気の治療を命じられました。

治療の前に仁宗は呉夲の能力を確かめるためあるテストをしました。そのテストとは、呉夲を別室に置いて糸で脈診をさせるというもの。まず仁宗は猫ちゃんのおててに糸を結んで別室の呉夲に渡しました。呉夲は即座にこれが猫ちゃんだと見破りました。次に仁宗はベッドの足に糸を結ぶと、これもまたベッドだと見破りました。そうして呉夲の能力を信用した仁宗は、皇太后の手首に糸を結び脈をとらせると、見事病気を見分けて薬を出し、皇太后の病気が治りました。

というツッコミどころしかないお話です。まず、皇室には当然御典医がいますから、いくら有名でも閩南の民間医を召し出すはずがない。また、中医学の脈診は現代で主流の脈状診にしても、この時代に行われていたであろう三部九候診にしても、脈動だけではなく脈の深浅、硬軟、太いか細いかなど様々な観察ポイントがありますから、糸を通して脈診するなどありえません。できるできないではなく、行為として無意味です。これは医学を知らないど素人が考えた話です。

ちなみにこの糸の脈診の話を日本でパクった「おえん様の糸脈」という話があります。

江戸時代に土佐藩にいたという女医の野中婉は、障子越しに患者に糸を結んで脈をとり、その結果処方した薬がたいそうよく効くと評判でした。ある時いたずら者が猫ちゃんのおててに糸を結んで婉に診させ、帰宅後に処方された薬を診てみるときざんだかつお節だったというもの。

日本と中国で偶然似た話が作られたという可能性は限りなく低く、呉夲の逸話は宋代、日本で言えば平安時代末期から鎌倉時代以降に作られたのに対して、野中婉の逸話は江戸時代以降に作られたというところからも、まず間違いなく呉夲の伝説をパクったものだと思われます。

ちなみにこの伝説は明の永楽帝の皇后バージョンもあります。そちらのバージョンではすでに神になっていた保生大帝が人間に化けて自ら永楽帝のもとを訪れ、同じように糸で脈診をしたのち皇后の病気を治して去っていきます。

保生大帝、玄天上帝に神剣を借りパクされる

神格化後の後付け伝説の中でも、上記はあくまで医師・呉夲の能力を盛ったものでした。しかし、医師としてはまったく関係ない神としての伝説も作られています。

例えば、南宋初代皇帝・高宗が拉致されていた金から逃げた時、保生大帝の加護によって金から無事逃げ切ることができた。漳州が旱魃の時保生大帝に雨乞いしたところ雨が降って救われた。同じく漳州のある村が盗賊団に襲われた時、保生大帝麾下の神兵が現れて追い返した等々。

そうした中でも面白いのが、保生大帝が玄天上帝に神剣を借りパクされているという話です。

台湾の保生大帝の廟に行くと三十六神将(三十六官将)がともに祀られています。


新北市蘆洲保和宮

三十六神将は本来北極玄天上帝に仕える神の兵団です。そのメンバーには様々な設定があり、中でも最もよく見られる設定では哪吒三太子や顕聖二郎真君、武財神趙公明など超有名な神々が入れられています。

その三十六神将がなぜ保生大帝とともに祀られているのか。実は彼らはいわば「質草」として置かれているのです。

北方を守護する玄天上帝は、天に仇なす魔物を討伐することになりました。この魔物は蛇と亀の精だという設定もあります。蛇と亀は玄天上帝の元ネタである玄武を構成する生き物です。

しかし強い魔物を前に玄天上帝は強力な武器を持ちません。困った玄天上帝は、保生大帝が天帝より賜った神剣を借りに行きます。ところが保生大帝はなかなか神剣を借してくれません。そこで玄天上帝は、配下の三十六神将を置いていくと申し出ました。三十六神将という質草を受け取り、保生大帝はやっと神剣を貸しました。

顕聖二郎真君ほどの強い武将を含む軍団を預けてまで借りたかった神剣とはどれだけ強力だったんでしょうか?ともあれ玄天上帝は無事に魔物を討伐できました。

しかしですよ。保生大帝の廟には三十六神将が祀られています。これはつまり玄天上帝は剣を返していないってことです。玄天上帝神剣を借りパクしています。

一応玄天上帝の名誉のために加えておくと、玄天上帝の廟にも三十六神将が祀られていますから、玄天上帝側の信仰では借りパクはありません。

客観的に見ると、保生大帝の信者の方が玄天上帝の三十六神将をパクって、玄天上帝の借りパクエピソードをでっちあげたのではないかという疑惑が浮かび上がりますね。保生大帝の信者の側に、玄天上帝の評判を落としたい意図でもあったのでしょうか?

道教の神々

Posted by 森 玄通