TVアニメ『天官賜福』第5話解説

TVアニメ『天官賜福』第5話より
與君山の鬼花婿事件を解決した太子殿下謝憐。
その結果判明したのは、事件を起こした宣姫は「四大害」の一人青鬼戚容の配下だったということ。
そして與君山に住んでいた包帯少年が、どうやら800年前の仙楽国滅亡のころから生きているらしいということ。
そんなこんなを天界に丸投げした太子殿下は、法力の源となる信仰を得るため、地上に自らを主祭神とした道観をつくり、人間の道士のふりをして住み着きました。
そんなある日、ヒッチハイクした牛車の荷台で、太子殿下はイケメンの青年と相まみえました。
明らかに與君山に現れた血雨探花花城です。
『天官賜福』第5話あらすじ
紅く色づいたもみじが舞う紅葉の森を進む牛車。日本にはなぜか四季の変化は日本にしかないと思っている知障がいるけれど、温帯の国ならだいたい四季はあるし、紅葉もいろんな国々で見られますわな。
なんていう客観的事実を突きつけると、今度は「日本の四季の変化が一番美しい」「日本の紅葉が世界で一番美しい」と、主観を持ち出して話をそらそうとするのでやっかいです。
太子殿下は神々について造詣が深い青年に、では鬼はどうかと話をふり、血雨探花花城について訪ねます。
作中で少年と言っているし、原作でも少年となっているけど、日本人の感覚だと少年には入らない見た目。
青年が花城だと気づいた上でのカマかけのようです。
血雨探花という二つ名は、ある鬼のアジトを滅ぼした時に血の雨に濡れる白い花に傘を差し出してそれ以上血に染まるのを防いだから。中国語の「探」には体を前に乗り出させるとか前に伸ばすという意味があります。
まるで自分のことのように花城について語る青年。花城の弱点が本人の骨灰で、それが消えると鬼も消えること、そしてその弱点の骨灰を認めた相手に託すこともあることまで教えました。
名を尋ねられた青年は三番目に生まれたからと「三郎」と名乗ります。三郎というのは日本語にすると三男という意味です。
しばらく進むと突然牛さんが歩みを止め、後ずさりをしだしました。
その向こうの暗い森から現れたのは、提灯を持ち、胸に「囚」と書かれた服を来て頭巾をかぶった集団。それは鬼の集団でした。
太子殿下は結界を張り鬼たちをやりすごしました。
しかしほどなく結界が見破られ、鬼たちに行く手を遮られ、太子殿下は袖の中に隠し持った符で戦いの準備。
そこで三郎が後ろから鬼をひと睨みすると、鬼たちは恐れて逃げていきました。
太子殿下は三郎に手相占いをしてやると持ちかけます。それは鬼は人間に化けても手相は再現できないから。
三郎の手にははっきりした手相。太子殿下はもしここまで再現できるとすれば絶か凶レベルしかいないけれど、鬼の王がこんなところにいるはずがないと疑うのでした。って、花城だと確信していたわけではないんかい。
村に着き、野宿するという三郎を太子殿下は自宅に誘いました。
三郎は、村人たちが聞いたこともなかったマイナー神仙楽太子、つまり太子殿下が、天界から2度追放されたことまで知っていて、そしてそれがどうも気に入らない様子です。
目覚めると道観には三郎が描いた仙楽太子の絵。
太子殿下はその礼と称し、三郎の髪を整えてあげますが、それは鬼かどうかを確認するため。でも傍目にはいちゃついているだけに見えます。腐ったみなさんが大喜びする場面です。
しばし道観を離れた三郎はどこからか丸太を持ってきて板にし、道観を修繕しました。
そして、牛車の御者のおじいさんが太子殿下が鬼から守ってくれたと吹聴し、にわかに信者が集まるようになりました。
三郎の運気のよさに感謝する太子殿下。そんな太子殿下に三郎は「ぼくの運気が役に立つなら全部あげる」とつぶやくものの、太子殿下はラノベ主人公らしく突然の難聴を発症し聞こえなかったようです。
そこへ、行き倒れの老人がかつぎこまれ…
『天官賜福』第5話の解説
『天官賜福』は、恋愛関係にはならないけれど男同士の強い絆が描かれる「ブロマンス」らしいのだけれど、中国ではBLだと言われているようですね。
第5話は確かに謝憐と三郎の距離が変に近づくシーンが多かったです。
百合オタだけどBLもいけます。大丈夫です。
さて、鬼が現れたとき、謝憐に「今日は何の日だ?」と聞かれた三郎は「今日は中元節」と答えます。そして、二俣に別れた道の前で謝憐は「中元節には人と鬼の道が重なる」と言います。
この中元節は農暦7月15日で、道教では三官大帝の一柱・中元地官大帝の誕生日とされます。その恩赦として地獄の釜の蓋が開き、鬼、つまり亡霊が地上に戻ることを許されるのです。
その鬼たちと出くわしたわけです。「囚」と書かれた服を着ているのは、彼らが地獄に送られた囚人だからです。
日本の「お中元」は中元節が跡形もなく変形した結果で、外来文化が日本でその本質を完璧に失うのはまあいつものことでしょう。
5話で太子殿下は筮竹を投げる吉凶占いと手相占いを行いました。現実でも道士にとっては占いは重要な仕事の一つです。
日本では占いを信じるかどうかが問題になることが多くて「いい結果だけ信じる」と臆面もなく言い切るアホも多いです。
しかし本来の占いは道を指し示すもので、悪い結果であれば自重して良い結果であれば迷いを捨てて進むというもの。いい結果しか信じないなら占いなど最初から受けなければいいだけのこと。
もっとも李世民と李靖が問答する設定の兵書『李衛公問対』では、凡庸な将は陰陽術数に拘るとしながらも、陰陽術数を廃すべきかという問いには占いによって兵の戦意を高めるなど人を動かすために有用だから廃すべきではないと、占いに対して非常にドライな見方をしており、インテリ層には占いとは自分が信じるものではなく他人を操るためのものであると考える人がいたこともうかがわれます。






