仙人になる方法:外丹法から内丹法への過渡期

以前述べたように、道教とは中国で発生した土着信仰から発展したもので、様々な宗派があるため「これが道教だ」と明言できることはあまりありません。
ただ、非常に大雑把に最大公約数的に見た場合の共通項は羽化登仙、つまり仙人になることだと言っていいかもしれません。
秦の始皇帝のころは、仙人からもらった仙薬を飲むのが不老不死になる方法だと考えられていました。
ただ、厳密に言えばこれは現世で不老不死になるものであって、仙人になるためではありませんでした。
それが、三国時代を経て晋に入る頃には、自ら仙薬を作って不老不死になるのが仙人になることだという思想が生まれました。
外丹はやばいので内丹にうつりかわる
自分で不老不死の薬=金丹を作る方法は外丹法と呼ばれます。
しかし外丹法には大きな欠点がありました。水銀を使うことです。
随から唐のころには、実際に水銀を使った薬を飲む人が出ました。
水銀はもちろん人体には毒ですから、死亡事故が相次ぎます。
それで外丹はダメだよねということになり、その代わりに行われるようになっていったのが内丹法です。
内丹法は、体の修練によって体の中に丹つまり仙薬の代わりになるものを作りだし、それによって長寿を得て仙人になろうというものです。
内丹の原型
もともと中国には古代から服気や導引など、現代の気功につながる健康法がありました。
服気は呼吸法によって、導引は体操によって気血を巡らせる方法です。
『荘子』には、後の仙人の原型となる「真人」が語られます。
真人とはどんな存在かを説明する内篇大宗師には
真人之息以踵 眾人之息以喉
真人は踵で息をし、凡人は喉で息をするとあります。この一文はあまりにも有名です。
もちろん真人になると踵に呼吸器ができるというバカな話ではなく、まるで踵から大地の気を吸い上げるかのように深い呼吸をするという意味です。
また、内篇より後世の漢代に成立したと考えられている外篇刻意にはこんな一文があります。
吹呴呼吸 吐故納新 熊經鳥申 為壽而已矣
吐故納新は、古い気を吐き出して新しい気を取り入れる呼吸法、熊經鳥申は動物の動作を真似る導引の一種です。
戦国時代から漢代のころにはすでに気功の原型が発生していました。
特に吐故納新は後の内丹法の原型と言ってもいいでしょう。
ただし、外篇の編者にはこうした技法は「為壽而已矣」寿命を伸ばすものに過ぎないと否定的に見られていました。
道家にとっては天地の法則である「道」に従い一体となることこそ本道であり、人の作為的な技術で寿命を伸ばすのは本道から外れた「その程度のこと」なわけです。
この呼吸法や導引の否定は、真人が踵でするような深い呼吸をするというのとは矛盾しません。
なぜなら真人は「道」と一体となった存在で、真人となれば意図せずに自ずから深い呼吸になるからです。
呼吸法は外丹の補助だった
内丹の原型となる呼吸法や気を運行する技法は、外丹の研究に重きを置かれていた時代から行われていました。
『後漢書』方術列伝には、胎息を行い100歳でも若々しい外見を保った王真なる方士が記録されています。
同じ方術列伝に御婦人術つまり房中術を行ったと記録される甘始は、『典論』には行気をよくすると記されています。
胎息も行気も呼吸法を伴う気のコントロール技術です。
『抱朴子』には
仙經曰 服丹守一 與天相畢 還精胎息 延壽無極
仙経に曰く、金丹を服用し守一を行えば天とともに終わる。還精胎息を行えば寿命は無限に延びるとあります。
天とともに終わるというのは事実上不死であることを意味します。
守一は意守丹田–呼吸を行いながら丹田に意識を集中する–のこと、還精胎息は、精気を循環させ胎児のような呼吸を行うこと。
ここに引かれる仙経がなにかは不明ですが、葛洪の時代にすでに金丹とともに気のコントロールを行えば寿命が延びるという認識があったことがわかります。
しかし葛洪自身はこう言います。
雖呼吸道引 及服草木之藥 可得延年 不免於死也 服神丹令人壽無窮已 與天地相畢
呼吸法や導引、植物原料の薬でも寿命は延ばせるが死は免れ得ない。神丹こそ寿命を無窮にするのだ。
有吳普者 從華陀受五禽之戲 以代導引 猶得百餘歲 此皆藥術之至淺
呉普の者は華陀より五禽戯を受け継ぎ導引の代わりに行って100歳を超える。だが薬の術は浅い。
華陀は曹操を治療したと記録される名医です。その華陀が虎鹿熊猿鳥の動作から創出したとされるのが五禽戯。
五禽戯は本当に華陀が作ったのか、本当に古代からのものなのかは別として現代にも伝わっています。
現代では導引の一つに分類されている五禽戯が、葛洪の時代には導引とはまた別のものと認識されていたようです。
しかしこれでも得られるのは100歳程度の寿命で、それは仙薬の術が浅いからだとしています。
ゆえに、
服藥雖為長生之本
長生の本道は仙薬なのだというのが葛洪の立場です。
若不能得藥 但行氣而盡其理者 亦得數百歲
もし仙薬を得られなくても、行気の理を極めれば数百歳にはなれると、呼吸法や導引の効用を認めてはいても、最終目標である不老不死の仙人になるには金丹を飲むのが絶対だという考えは譲る気はなかったようです。
外丹法から内丹法へ
『周易参同契』や『抱朴子』では丹砂を用いた金丹の作り方が解説されています。丹砂を用いた薬は実際に作られました。
丹砂は水銀を含みます。飲めば当然水銀中毒を起こします。
清代の学者趙翼が著した『廿二史箚記』「唐諸帝多餌丹藥」の段では、唐の太宗、憲宗、穆宗、敬宗、武宗、宣宗の6名が丹薬のために崩じており、それは生を貪る心が甚だしかったからだと評しています。
そんなこんなで、丹薬はやべえぞという認識が広がっていきました。
ある意味「生を貪る」人たちを使った人体実験だったとも言えます。
金丹やべえなというところから内丹法が注目されるようになっていきました。
唐代は内丹法興隆の時代と言われます。
初唐から盛唐に移り変わるころ、司馬承禎という道士が出現します。
司馬承禎は上清派茅山宗に属する道士です。
上清派は4世紀中頃に中国南方で天師道から分かれて起こったとされる道教宗派で『黄庭経』を重んじます。
『黄庭経』では「呼吸廬間入丹田」など後の内丹法の根本になる呼吸とイメージトレーニングが提唱されました。
5世紀に茅山宗の祖となった陶弘景が、体内各部に宿る神をイメージする「存思」の基礎となる『真誥』をまとめました。
司馬承禎は、外丹が主流のころはマイナーだった薬に頼らず呼吸法やイメージトレーニングによって成仙を目指す技法の伝承者です。
司馬承禎が記した『天隱子』では
神仙之道 以長生為本 長生之要 以養氣為先
と、気を養うことが神仙の根本であるという思想を打ち出し、体の神々をイメージする「存想」、存想を経て禅で言う無我の境地に至る「坐忘」を説きました。
『坐忘論』では俗世と縁を断つことも説いています。
「坐忘」についてはすでに『荘子』に記述があります。
仲尼蹴然曰 何謂坐忘 顏回曰 墮肢體 黜聰明 離形去知 同於大通 此謂坐忘
孔丘が身を正して「坐忘とはなにか?」と問うと、顔回は「肢体を脱落させ、聡明さを退け、形から離れて知に向かい道と通じて一体となる。これが坐忘です」と答えた。
とあります。
つまり、体の感覚を捨て、頭であれこれ理屈を考えず、真なる知つまり天地の真理である「道」と一体化することと解釈すればいいでしょうか?
存想という意図的なイメージトレーニングを重ねることで逆にそんなイメージも必要ない境地に至れば道と一体になれる。それは『荘子』で真人と呼ばれる存在であり、後に真人は仙人と同一視されるようになります。
司馬承禎はこの坐忘を敷衍し、取り入れたのでしょう。
加えて、司馬承禎は禅宗の六祖慧能と同時代人で禅が広まっていく時代の人でもあり、禅宗の影響も受けていると思われます。
自らが説いたように、智顗が天台宗を開いたことでも知られる天台山に隠棲していたところ、玄宗に召し出されて法籙を授けたといいますから、かなり有名な人だったのでしょう。
法籙を授けるとはその人を弟子にするということです。皇帝の師ともなればその世界の最高峰です。
そうして盛唐のころから少しずつ内丹法が整理され、広まっていきました。
もっとも、水銀のために亡くなった憲宗、穆宗、敬宗、武宗、宣宗は玄宗の後代の皇帝ですから、司馬承禎らによって内丹法が広まりつつあったとはいえまだまだ薬を飲むだけで楽して長寿を得たいという人、それに取り入って毒薬を売りつけるような連中も多かったことがわかります。







