道教における魂魄

ある日本の僧侶がブータンでチベット仏教の勉強をしていたおり、お父君の何回忌かで一時帰国したいと師匠に申し出たところ、あなたのお父さんはどんな悪いことをしたのかと言われたというのを読んだことがあります。
チベット仏教の師匠がなんでそんなことを言ったのか、仏教徒ならば、あるいは仏教を学んだことがあるならば理解できるはずです。しかし、単にただ仏式の葬式をして寺に墓があるだけで仏教徒だと思っているような人には理解できないでしょう。「なんてひどいことを言うんだ」と憤る人もいるかもしれません。
まあ、本当に仏教徒だと言うならどうしてだかわかるはずなので答えは書かないんですけどね。
さてそれに対して道教では「魂魄」の存在を認めます。今回は道教では魂魄をどう扱っているかについて考えてみようと思います。
古代中国の死生観
道教が魂魄をどう扱うか考える前に、まず道教が生まれる以前の古代中国では魂魄はどういう扱いだったのかを見てみたいと思います。
古代中国では魂魄をどう考えていたか。そのヒントが『礼記』にあります。
及其死也 升屋而號告曰 皋某復 然後飯腥而苴孰 故天望而地藏也 體魄則降 知氣在上
誰かが死んだときは屋根に登って泣きながら「死んだ○○さん帰ってこい」と叫び、死体の口に食べ物を含ませる。そうやって天を望んでから遺体を地に葬るのは、体魄は地に降りて知気=魂は天に登るゆえだ。
人が生きているときは魂魄はともに体にあります。死ぬと分離して魂は天に登り、魄は地に沈みゆく、なぜなら魂は陽で魄は陰だからです。
『礼記』では天に登っていく魂に帰ってこいと呼びかけるのは、呼んでも戻ってきてくれない魂に別れを告げたくない悲しみが表れているように感じます。つまり呼んでも戻ってくてくれないのはわかっているけれど、それでも帰ってきておくれと呼びかけずにいられないということなのでしょう。これは現代人にも理解できる心情ではないでしょうか?
その一方魂は呼べば戻ってくるはずだという考え方もありました。
西漢のころに戦国時代の楚の詩歌を集めてまとめられた『楚辞』に『招䰟(招魂)』という詩があります。これは屈原作と伝えられているけれど、屈原が実在したかどうかは定かではありません。
『招䰟』ではまずどの帝かはよくわからないけれど、とにかく帝がこう語りかけます。
帝告巫陽曰 有人在下 我欲輔之 魂魄離散 汝筮予之
帝が女シャーマンの陽に言った「ある人が地下の世界におり、私はそれを助けたい。だが魂魄はすでに離散してしまっている。汝は祈りの力でこれをもとに戻せるか?」
巫は女性のシャーマンのこと。男性のシャーマンは覡といいます。筮は本来筮竹を使った占いのことなんですが、後に続く文脈から祈りと解釈しました。
そうして陽は招魂の祈りを捧げます。招魂の祈りでは「魂兮歸來=魂よ帰りたまえ」と何度も呼びかけるフレーズが繰り返されます。
魂兮歸來 君無下此幽都些
魂よ帰ってきたまえ。君はその幽都に降りていってはいけない。
幽都はおそらく死後の地下世界。そこに降りずに戻ってきなさいと呼びかけています。ここでは『礼記』とは異なり、死後の魂は地下に降りていくと考えられているわけです。
古代中国では死生観は地域によってばらばらで、比較的南寄りの楚ではそう考えられていたのでしょう。死者の魂が地下に降りていくという認識は後に道教にも取り入れられていきます。
まあ呼んでも戻ってくるわきゃあないんだけど、呼べば戻ってくると期待する信仰はあったことが伺われます。
漢代に入ると、体を保存し魄を保って、子孫が祭祀を絶やさなければ、いずれ魂は戻ってきて体に入り、死んだ人が復活できるという思想が生まれました。そのための祭祀を整理したのが儒教です。
漢代に、貴人が死んだ時に金縷玉衣という、玉つまり翡翠で作った衣を着せて葬るのが流行しました。
これはなにも富貴を自慢するためではなく、玉には死体を腐らせない力があると信じられていたからです。死体を玉で包むと、死体が腐らず魄も地下に潜らないで保たれると考えられたのです。
そして魂は天に登っていってしまわないように位牌に封じ込めることにしました。多くの日本人が仏教の祭具だと思っている位牌は、中国仏教が儒教からパクったものです。このあたりの知識は加地伸行先生の本からの受け売りです。
なんで先祖を墓に葬り、位牌も祀るのか。それは先祖がいつの日か復活するためであり、いつか自分が死んだ時に同じように子孫に祭祀してもらって自分も復活するためでした。
それを国家論にまで昇華したのが孔丘です。王は先祖祭祀を欠かしてはならない。そのためには代々王統が続いていかねばならない。そのためには固定されたヒエラルキーにより国が安定して運営されていかなければならない。というのが儒教で、その根本に先祖祭祀があるからこそ儒教は宗教なのです。儒教の都合のいいところだけつまんで利用した日本の儒学とは一線を画します。
なぜ伍子胥は死者を鞭打ったのか
「死体に鞭打つ」は伍子胥に由来します。
頭の悪いネトウヨのたぐいは「中国人は死体に鞭打つようなひどい連中だ」などと批判したりするのだけれど、無知を根拠にイキるのは恥ずかしいのでやめたほうがよかろうと思いますね。
伍子胥は春秋時代、楚平王の王子に仕えた太傅・伍奢の息子です。伍奢と伍子胥の兄・伍尚は佞臣・費無忌の讒言によって処刑されます。伍子胥も同時に討たれるはずだったところ、逃亡して後に呉王闔閭に仕えました。兵法家の孫武を闔閭に推挙したのも伍子胥です。
闔閭の国家戦略と伍子胥の復讐が合致していたため、呉は楚を攻めて呉の首都を落としました。しかし、伍子胥の復讐の対象であった平王はすでに死んでいました。
そこで伍子胥は平王の墓を暴いて、鞭で死体を300回も打ち据えたのです。
それを知った伍子胥の友人で楚の臣下であった申包胥はこう非難します。
子之報讎 其以甚乎 吾聞之人?者勝天天定亦能破人 今子故平王之臣 親北面而事之 今至於僇死人 此豈其無天道之極乎
君の復讐はやりすぎだ。人が多く集まれば天にも勝つことはあっても、天が定まれば結局破れるのだと言うではないか。君はかつては平王の臣下で、平王の御前に望んだこともあったろう。それがすでに死んだ人を辱めるとは無道の極みではないか。
それに対し伍子胥はこう答えました。
為我謝申包胥曰 吾日莫途遠 吾故倒行而逆施之
申包胥に謝して申し上げる。私はすでに老いつつあるが目指す道はまだ遠い。だから私は急がねばならず、天に逆らう行いもせざるをえないのだ。
死体に鞭打つ。この鞭は日本人がイメージするこういうやつではありません。

こういうので打っても生身だったら大きなダメージを受けるし、とても痛いけれど、死体を打っても骨までは砕けないでしょう。
しかし、中国で鞭といえば実際には木や金属の棒のことです。硬い棒で300回も打ったら多分遺骨は破壊されます。
それが天道に反する行為だということは伍子胥もわかっていました。
では、復讐のためとはいえなんで死体を掘り出してまで破壊しなければならなかったのか?それは例え魂が戻ってきても帰る器をなくすためです。
伍子胥の目的はただ平王の死体を辱めて自己満足することではなく、憎き平王が永遠に復活できないようにすることでした。
だからこそ死体に鞭打つのは天道に逆らう行いであり、そして亡き父と兄の無念を晴らすためには天道に逆らってまで死体を破壊せねばならなかったのです。
ここを理解していなければ、伍子胥の悲壮な決意の意味はわかりません。
伝統医学での魂魄
話は変わって、中国の伝統医学では魂魄をどう考えたかを見てみましょう。
現存する中では中国最古の医学書である『黄帝内経』に、魂魄について触れた部分がいくつかあります。
例えば五臓と五行の関係を解説した素問・宣明五氣では
五藏所藏 心藏神 肺藏魄 肝藏魂 脾藏意 腎藏志 是謂五藏所藏
五臓が蔵するものとしては、心は神を蔵し、肺は魄を蔵し、肝は魂を蔵し、脾は意を蔵し、腎は志を蔵する。
としています。「神」は神様ではありません。現代中医学では神は広義では全ての人体の生命活動そのもの、狭義では精神の働きと定義します。
霊枢・天年では「神」をこう説明します。
黃帝曰 何者為神
歧伯曰 血氣已和 營衛已通 五藏已成 神氣舍心 魂魄畢具 乃成為人
黄帝が訪ねた「何をもって神と言うのか?」
岐伯が答えた「気血がすでに和し、営気と衛気が通じ、五臓が完成して、神気が心臓に宿って、魂魄がともに供えられ、つまり人をなした者のことです」
これは人こそ神だと言っているのではなく、人として生命活動を始めた状態を神と呼ぶのだと言っています。現代中医学における神は生命活動そのものを表現したのだという解釈とも一致しています。
霊枢・本神にも説明があります。
故生之來謂之精 兩精相搏謂之神 隨神往來者謂之魂 並精而出入者謂之魄
故に生命の源は精です。陰陽の精気が相争ったものが神です。神に從って往来するのが魂、精とともに出入りするのが魄です。
生命の源である精は例えば原油のようなものです。原油が精製して灯油やガソリンにしなければ燃料として利用できないのと同様、精も気に変換されてからでなければ生命を働かせることができません。
兩精相搏とは陰陽の精が交わり錬成されることで神、つまり生命活動として利用されることを表しています。
その生命活動に從ってあっちこっち行ったり来たりするのが魂、精とともに出たり入ったりするのが魄だと言っていますがこれだとまだなんのこっちゃって感じです。
だいぶ時代が下って清代にまとめられた『四聖心源』ではこの霊枢の一節をこう解釈します。
蓋陽氣方升 未能化神 先化其魂 陽氣全升 則魂變而為神 魂者 神之初氣 故隨神而往來
陰氣方降 未能生精 先生其魄 陰氣全降 則魄變而為精 魄者 精之始基,故並精而出入也
陽気が上昇すると、まず神にはならずに先に魂になる。陽気が全て上昇したときに、魂は神に変じる。魂は神の初めの気であるから神に從って往来する。陰気が下に降りていくと、まず精にならずに先に魄となる。陰気が全て降りると魄は精に変じる。魄は精の基礎となる物質だ。だから精とともに出入りするのだ。
同じく清代の『雜病會心錄』ではより明確でわかりやすい魂魄の説明をしています。
人之形骸 魄也 形骸而能運動亦魄也 夢寐變幻 魂也 聰慧靈通神也 分而言之 氣足則生魂 魂為陽神 精足則生魄 魄為陰神 合而言之 精氣交
人の体が魄である。体を動かしているのもまた魄である。夢が変化したのが魂である。魂は知性を神と通じさせる。分けて言えば、気が足りれば魂となる。魂は陽の神だ。精が足りれば魄となる。魄は陰の神だ。魂魄が合わさると精と気が交わる。
『四聖心源』は魄が精の元と解釈しており、『雜病會心錄』では精が満ち足りた時に魄が生まれると解釈しています。私個人の判断では『雜病會心錄』の方が正しい解釈ではないかと思います。
この解釈から類推すると、魂は精神活動の働きであり、魄は人体そのものと体を動かす根本だとなります。実はこの考え方は「殭屍」日本では「キョンシー」と適当に名付けられた中国版ゾンビにも影響しています。
とにかく、伝統医学ではあくまで人体の活動に付随した物質的、機能的概念を魂魄という言葉を使って説明しただけで、そこに宗教的な、あるいはオカルト的な意味は含まれません。
道教での魂魄
なぜ長々と古代中国における死生観や、儒教や中医学での魂魄の認識を説明してきたのかというと、道教における魂魄の考え方はこれらの認識をごちゃあとごちゃまぜにしたものだからです。
なんでも節操なく吸収してきた道教らしさが魂魄の認識にも現れています。
晋代はそれまでに生まれた思想や方士の術などがまとめられ、少しずつ道教が形作られていく時期です。その時代にすでに道教では魂魄を扱っていました。
『黄庭外景経』ではこう言っています。
內養三陰可長生還魂返魄
体内で三陰を養えば長生し魂を還し魄を返せる。
三陰は少陰・太陰・厥陰のこと。『黄庭外景経』では当時の医学から身体の働きを取り入れつつも、体内に神々をイメージする存思によって体を養う方法を説きます。
還魂返魄についてはこう説明します。
魂欲上天魄入泉 還魂返魄道自然
魂は天に登ろうとし、魄は黄泉に入る。魂を還し魄を返せば道は自ずからなる。
死後の世界としての黄泉は中国発祥で、日本神話にある黄泉の国は古代日本にあった死後の世界に黄泉の字を当てたものです。
道自然は道教的に解釈するならば、道と一体となって不老不死となる、つまり仙人になるということです。
この部分は天師道の熱心な信者として知られる王羲之が
魂欲上天魄入淵 還魂反魄道自然
と書いているので、元々はこちらが正しかったと思われます。
『黄庭内景経』では
和制魂魄津液平
魂魄を和して制すれば津液が安定すると医学的な説明をしつつも
垂絕念神死復生 攝魂還魄永無傾
死に際して神を念じれば生き返り、魂を取って魄を還せば永遠に命が傾くことはない。
と不老不死に結びつけています。神に念じるとは、天上にいる神様にお願いするということではなく、自分の体内に神を存思して生命力を高め、死から逃れるという意味です。
『黄庭経』は内外どちらも体内の至るところに神をイメージする存思の方法を説く経典です。
また『黄庭内景経』には
琳條萬尋可蔭仗 三魂自寧帝書命
と、すでに「三魂」の概念が提示されています。
この部分ぶっちゃけ意味がよくわからないんですが、後に書かれた梁丘子による注釈書だと琳條萬尋可蔭仗は神が宿る体の外形的な比喩で、三魂自寧帝書命は真の道が成ったことだとしています。
同じく晋代に著された『抱朴子』では、さらに進んで「三魂七魄」が提示されました。
抱朴子曰 師言欲長生 當勤服大藥 欲得通神 當金水分形 形分則自見其身中之三魂七魄 而天靈地祇 皆可接見 山川之神 皆可使役也
抱朴子曰く、師はこう言った「長生きしたければ努めて大薬を服用し、神と通じたければ金水分形を行え、分形とは体内の三魂七魄を見ることで、天神地祇に見えることができ、山川の神を使役できるようになる。
ただし『抱朴子』では三魂七魄とは何かまでは書かれていません。
続く南北朝に成立したと考えられる『皇天上清金闕帝君靈書紫文上經』では三魂七魄の名称が設定されました。
其爽靈 胎光 幽精 三君是三魂之神名也
其第一魄名尸狗 第二魄名伏矢 第三魄名雀陰 第四魄名吞賊 第五魄名非毒 第六魄名除穢 第七魄名臭肺 此皆七魄之陰名也
『皇天上清金闕帝君靈書紫文上經』ではさらにこう説きます。
人一身有三元宮神 命門有玄關大君及三魂之神合七神 皆在形中 欲令人長生 仁慈大吉之君也
其七魄亦受生於一身 而與身為攻伐之賊 故當制之 道士徒知求仙之方 而不知制魄之道 亦不免於徒勞
人の体には三元宮神がいる。命門には玄関大君と三魂の神、合わせて七神が全て体の中にいる。人を長生きさせようとするのは仁慈大吉の君である。
七魄もまた体の中に生じて体を攻伐の賊にするのでこれを制御しなければならない。道士が徒に仙人になる方法を求めても、魄を制する道を知らなければ全てが徒労になる。
これを見ると、三魂は体を長生きさせようとする要素なので養うべきもの。七魄は体を病気にして寿命を奪うので制御しなければならないものという認識のようです。
まあ七魄のほうはいかにもい悪そうな名前がつけられています。七魄はさらに喜、怒、哀、懼、愛、悪、欲を象徴するものだと考えられるようになりました。これは仏教の影響もあるように思います。
しかし、隋から唐に移り変わる時期に成立したと考えられている『太上老君内観経』では、それとは別の三魂七魄に対する認識が提示されています。
父母和合人受其生 始一月為胞精血凝也 二月成胎形兆胚也 三月陽神為三魂動而生也 四月陰靈為七魄靜鎮形也
父母が和合して受精した後、最初の1ヶ月は精と血が作られていく「胞」である。2ヶ月目は体が形作られていく「胎」である。3ヶ月目には陽神が三魂となって動きが生まれる。4ヶ月目には陰霊が七魄となり体が安定する。
『太上老君内観経』は内丹が発展していく時期に作られた内丹の書ですから、ここで言っているのは実際の赤ん坊の成長過程ではなく、丹田で気を練りそれが体内で丹を形成していく様子が描かれているのだと見るべきです。
『皇天上清金闕帝君靈書紫文上經』では体を害するので制御すべきとされていた七魄が、こちらでは体を形作るという魄本来の認識に戻っています。
ただ
吹陰煦陽 制魄拘魂 億歲眷屬 千載子孫
陰気を吹き、陽気を温める。魄を制して魂をつかまえる。そうすれば億年眷属が続き永年子孫が栄えるだろう。
という一文もあります。魄は体を害するものではないけれど、その働きを制御しなければ長生を得られないという点では共通しています。
道教では死ぬと魂と魄が分離してしまうという古代からの認識の上に立ちつつも、シャーマンの呪術や子孫の祭祀による復活を願うのではなく、自ら魂を体の中に止め魄を制御することで死そのものを防ごうと考えられるようになったのです。
他に、三魂を天魂、地魂、命魂、七魄を天衝、霊慧、為気、為力、中枢、為精、為英とするともいいますが、いくら探しても出典が見つからなかったのでどのような系統の三魂七魄なのかは不明です。






