道教の神々:太陰星君

本日は農暦8月15日の中秋節です。中秋節は同時に道教の月神・太陰星君の誕生日でもあります。

中秋節や月の女神嫦娥については昨年すでに解説する記事を書いてあります。

なので、今年はその嫦娥と同一神だとされる道教神・太陰星君について見ていこうと思います。

太陰星君の成立

日本の月読尊やセーラームン、ギリシア神話のセレーネなど、洋の東西を問わず、月、あるいは月そのものではなくても、月に関連付けられている神は様々作られてきました。

中国でも、『楚辞』に歌われる月を車のように乗りこなす神望舒、太陽神だとも月神だとも言われる東君など、古代より月に神の存在を見ていました。

嫦娥の原型と言われる常羲は『山海経』に帝俊の妻として登場します。常羲は『山海経』では月の光を浴びるだけでした。それが『淮南子』では月に昇ったと記されており、西漢中頃にはすでに月に住む女神になっていたことがわかります。

道教が生まれるはるか以前から、中国でも月は信仰と関連付けられていました。ところが、道教には月そのものや、月と関連付けられた神はしばらく存在しませんでした。

南北朝のころに陶弘景が作った『真霊位業図』には、月に関連する神の名はありません。

太陰星君という神名が道教経典に現れるようになったのは宋代になったからです。

『太上洞真五星秘授經』は唐から宋に至る間のどこかで作られたとは言うものの、こういうのはだいたい宋代、早くても間をとって五代ぐらいのころに作られたものでしょう。この経典に

太陰真君 主肅靜八荒 明明輝盛 如世人運炁逢遇多有慘慘之憂 宜弘善以迎之

太陰真君は八方を静まらせて盛んに明るく照らす力を持つ。それはまるで世の人が惨惨な憂いに遭遇する運気を持ちつつも、善をもって迎えるかのようである。

いや自分で訳しててよくわからなかったので間違ってるかもしれません。まあとにかく世界を明るく照らすみたいなことです。

ここには明確には月とは書いていませんが、『淮南子』に「月者陰之宗也」とあるように、月は陽の気である太陽に対応する陰の気であると考えられてたので、月のことだと考えてもいいと思います。

世の中を明るく照らすというわけですから、これは月そのものの神格化ではないかと思います。

北宋の半ば頃、道士の李思聡が作ったとされる『洞淵集』にも、「月者太陰之精」とあります。その『洞淵集』では、

月宮太陰帝君 下管五嶽 四瀆 五湖 四海 十二溪水府 並酆都羅山

月の宮殿にある太陰帝君は、五嶽、四瀆、五湖、四海、十二溪水府と酆都羅山を掌管する。

とあります。

四瀆ってのは黄河、長江、淮河、済水のこと。酆都羅山は道教での地獄的なものです。

太陰真君は月そのもの、それに対して太陰帝君は月にある宮殿を統べる帝王といったイメージです。真君、帝君ですから、これはおそらく女神ではなく男神という想定だったように思います。

南宋になって作られた『道門定制』には、

・月宫黄華素曜元精聖后太隂元君
・月宫太隂眞君
・太陰星君

の神名が見られます。現在に伝わる「太陰星君」という神名は『道門定制』、もしくはこれが作られた南宋にできたと見てよさそうです。

また「元君」号は女神を意味するので、ここで女神の要素も作られたことになります。もっとも「月?太?眞君」も見られるため、太陰元君は月?太?眞君の「聖后」という立場かもしれません。

宋から元ぐらいの間に作られたという『高上月宮太陰元君孝道仙王靈寶淨明黃素書』は、

五藏各有神 神各有形 形各有炁

五臓にはそれぞれ神がおり、神にはそれぞれの形がある。その形にはそれぞれの気がある。

と説いており、内容的には存思と内丹を融合させた修行法の解説になっています。ただ、タイトルに「月宮太陰元君」とついているように、宋末か元のころには、すでに女神としてのイメージが固まっていたのではないかと思います。

しかし元代に作られた『新編連相捜神広記』、その増補版として明代に作られた『三教源流捜神大全』には太陰星君やそれに類する神は記されていません。

清代に作られた『懺法大觀』には「天人大悲大願大聖大慈月府太陰結璘皇君寶光幽照如來妙果素月天尊」の神名が見られます。クッソ長い神名ですが、明代以降清にかけて神名を盛り盛りにするのが流行っていたようです。

他に「天宫聖月蘇摩太陰皇君」や「天宮聖月靈暉太陰皇君」など様々な太陰皇君が記されます。他に「月華天女太素結璘皇君」ともあるので、明らかに女神としてイメージされていたのでしょう。

嫦娥=太陰星君?

さて嫦娥と太陰星君が同一神だと書きました。しかし、実際には違う、同じ神ではないとも考えられているようです。

嫦娥について今一度簡単に紹介すると、古代中国の弓の名手として知られる羿(后羿)の奥さんで、羿が西王母から賜った不死の薬を飲んで月に昇った女神です。

一方太陰星君は月という天体そのものを神格化した神として考えられ、初期は男神として想定されていたようですから、嫦娥とはまったく違う存在です。

またこれまでに挙げてきた道教経典には、太陰星君と嫦娥を結びつけるような記述はありません。

とはいえ想定男神だった太陰星君が女体化したのは、月に住む神=嫦娥という古代からのイメージが影響していると考えるのは決して的外れではないと思います。

『封神演義』では「太陰星 姜氏(紂后)」となっていて、月の神として紂王の王妃・姜氏が封じられたことになっています。『封神演義』は道教の設定とは異なる独自設定が多いことで知られているので、これも『封神演義』オリジナル設定かもしれません。

ただ、『封神演義』以降逆に『封神演義』から道教に取り入れられた設定もあります。例えば顕聖二郎真君=楊戬だったり、九天応元雷声普化天尊=聞太師だったりという設定は現実の道教にも取り入れられています。

しかし太陰星君については姜氏とはなっていません。これは、作中で姜氏がまったく活躍することなくただ惨殺されてしまったことや、月といえば嫦娥というイメージがあまりにも強かったせいではないかと思います。

冒頭に書いたように、農暦8月15日の中秋節は太陰星君の誕生日となっています。中秋節は古来嫦娥と関連付けられてきた節日ですから、これは道教が太陰星君=嫦娥という民間の認識に迎合した結果だと思われます。

つまり結果的に嫦娥は太陰星君と融合させられ、今日に至るのです。

道教の神々

Posted by 森 玄通