民衆道教と成立道教

道教に興味を持っていろいろ調べるようになったとき、一番最初に読んだのは講談社学術文庫の『道教の神々』(窪徳忠著)でした。この本で、窪は日本の道教研究者は道教を「民衆道教」と「成立道教」に分けていると紹介しています。
大雑把に言うと民衆道教とは民間で信仰されている民間信仰も含めた「道教的」な宗教であり、成立道教とは道観で道士が信仰し実践するものといった分け方です。
今回はこの民衆道教と成立道教について考えていこうと思います。
「道教」という統一された宗教はない
まず最初に指摘しておくと「道教」とは神仙道を中核とした仙人になるための技術体系と、天地の神々や仙人への信仰を包括した総称です。
仏教に初期仏教に近い上座部仏教からバラモン教に回帰してお釈迦様が否定した呪術を行う密教まで様々な宗派があるように、道教にも様々な宗派があって、宗派ごとに共通項もあれば違いもあります。
だから、「道教」の中でも差異が生まれるのは当然で、「道教」というくくりの端と端を並べたら本当に同じ宗教なのかと思われるのもあたりまえのことです。
「民衆道教」と「成立道教」という分け方はその端と端を見て、同じ道教なのに別物だという浅い受け取り方をした人によるものではないかと思います。
道教は「民衆道教」と「成立道教」に分裂しない。
『道教の神々』で著者の窪は、これらの分け方は研究グループによって内容が違うと指摘してこう批判します。
説く人びとによって「民衆道教」の内容や性格、範囲がまちまちだから、まことに始末が悪いわけである。
『道教の神々』講談社学術文庫/窪徳忠著
そして、こうした状況について窪自身はこう述べます。
私自身の約二十年におよぶ経験からすれば、調査をすればするほど両者の境目がわからなくなった。だから、そんなことをいうのは調査経験のない人で、いわば机上の空論にすぎないわけである。
『道教の神々』講談社学術文庫/窪徳忠著
同じ物を勝手な脳内定義で分けて別の物だと言い張る現象は日本ではよく見られます。同じ物に個々の脳内定義を勝手に当てはめるものだから、個々で境界線があっちこっちに移動して「定義のための定義」に堕しているのもまたよくあること。
道教を俯瞰して見ると、確かに民間で信仰される道教と道士たちが修行する道士は別物に思えます。しかし上から覗き込んでわかったつもりになるのではなく、現実の道教信仰に触れてみれば、違った光景が見えてくるでしょう。
道教研究の泰斗たる窪徳忠と自分の経験を重ねるのはおこがましいことではありますが、私自身の中国や台湾での見聞をもとにしても、民衆道教と成立道教なんていう分け方はまさに無駄な机上の空論だと実感できます。
民間では財運や健康、商売繁盛など現世利益を求める信仰が行われています。
一方、道士は羽化登仙を求めて内丹や導引などの修行を行います。特に禅宗の影響を受けて出家主義をとる全真教ではそうです。
民間の信徒は羽化登仙なんか求めていないし、道士は成仙の妨げとなる現世利益など求めません。
しかし、実際のところこの両者は分裂していません。
台湾の道教廟では、道士がお祓いの儀式やお祭り、占い等を行って現世利益を求める信徒の需要に応えています。台湾の道士はほとんどが兼業で、商売として廟を開き、占いやお祓いを請け負う日本で言う拝み屋のような商売人も数多く見受けられますから、本当に羽化登仙を目指しているのか怪しいところではあるとはいえ、民間信徒の信仰は道士によって支えられているし、道士は民間信徒がいればこそ廟を維持することができます。
一方国が変わって中国では、改革開放以降宗教も許されるようになったものの(当然共産党に逆らわない範囲内で)、一般人が寺廟に入るためには入場料を支払わなければならなくなりました。参拝するためにもまず入場料を払わなければならない時点で制限されているようなもので、宗教が共産党の管理下にある点で民主国家の台湾とは異なります。とはいえ、道観や道教廟での道士の活動は許されているし、民間信徒もわざわざ入場料を支払ってでも参拝したり、お祓いを受けたりしています。台湾より入場料分壁があっても、道士が門戸を閉ざして民間信徒の参拝を受け入れないということはありません。
出家主義の全真教であってもこの点は同様です。そもそも禅宗は悟りを得た先に衆生を救済するのを最終目的としていますから、その影響を受けた全真教が民間信徒に対して壁をつくって拒絶することはないわけです。
こうした状況は日本人にとっては仏教に置き換えればわかりやすいと思います。
一般日本人にとって仏教とは葬式を行うもので、墓参り以外で寺に参拝するのは現世利益を求めてのことがほとんどでしょう。現世利益を求めて行くから寺と神社の違いも気にしないし、寺と神社の違いすらわかっていない日本人も大勢います。
日本の僧侶の大部分は出家とは名ばかりの僧侶のコスプレをした葬式・墓地管理業者か、もしくは観光スポットの職員だけれど、ごく一部には本当に出家して本当に成仏を目指して修行する本当の意味での仏僧もちゃんと存在します。
「仏」の意味すら知らずに、寺で葬式をやったり墓や位牌を拝むという儒教由来の先祖祭祀を行っているだけで自分が仏教徒だと思っているアホから本物の仏僧まで、その層のギャップは激しいけれど「日本で仏教と呼ばれている宗教」の端と端を「民衆仏教」と「成立仏教」に分けることはありません。
道教もそれと同じことで、信仰における多重の層はあっても分裂はしていません。
道教の層を分ける分類
中国の研究家・葛兆光は『道教と中国文化』(東方書店)の中で道教を「士大夫道教」と「民間道教」に分けました。
これについて葛兆光は
庶民-文化の修養程度が比較的低い社会の階層にあっては同じではなかった。自覚的に人格の完全さを追求し、倫理や三綱五常を厳守するという文化意識と閑適高雅な生活方式とは、ただ士大夫にだけあてはまるものであって、庶民にとってはむしろ時宜に合わないものであった。このため、儒、道、仏も、この庶民の文化階層の中でたがいに結びつき、儒学の原則は仏教の「因果応報」と道教の神や鬼神の系譜を加えて、新しい半強制的な力をうまく作りだしたのである。
『道教と中国文化』東方書店/葛兆光著/坂出祥伸監訳/大杉徹・戸崎哲彦・山本敏雄訳
と、非常にわかりやすい説明をしています。
これは道教を2つに分裂させた「民衆道教」と「成立道教」とは違って、一つの道教のくくりの中の層を言い表した分類です。
どう違うのか、同じではないかと思う人もいるかもしれません。しかし「民衆道教」と「成立道教」は、民衆と道士ではそれぞれまったく違うものを信仰しているという分け方です。
それに対して「士大夫道教」と「民間道教」はそれぞれに道士が関わります。教養がある士大夫に対しては存思や坐忘といった高度な瞑想、あるいは道教的に解釈した老荘思想などを提示し、文字も読めないような庶民に対しては、神から与えられる現世利益と、よいことをすれば善果が得られるという単純な勧善の教化などを行ったわけです。道士を中心として、社会階層の需要に応じた信仰を提供したのが「士大夫道教」と「民間道教」です。
晋代から南北朝にかけて、中国は三国鼎立などぬるく思えるほどの分裂と戦乱の世の中になりました。そんな中で観念的な理想論と固定的なヒエラルキーを説く儒教の権威は失墜し、インテリ層である士大夫もある意味現実逃避の思想と言える道教に興味を持つようになりました。皇室が内部抗争を繰り返したり、北方が異民族に支配されていく流動的な社会状況では、儒教が掲げる枠組みの中で栄達を求めるよりも、世俗とは一線を引いて昇仙を夢見るほうが魅力的だったのかもしれません。
当時神仙道を中核として老荘思想やそれまでの方士の術、古代からの信仰などを取り入れながら形作られていった道教は、仏教や儒教の思想も取り入れつつ、士大夫にも受け入れられるような体系を作り上げていきます。寇謙之による戒律の制定や道教教団の綱紀粛正などもプラスに働いたはずです。寇謙之は北魏の朝廷に取り入って、自ら立てた新天師道を国教にまで押し上げました。
さらには士大夫層からも新たな道教の形が示されるようになっていきました。『抱朴子』の著者・葛洪、茅山宗の陶弘景も士大夫階層です。
唐代には道教が国教化されることでより理論や思想面などが発展しました。五代十国を経て宋代になると天師道が隆盛を極めていきます。
唐以降歴代の王朝では、国の統治システムとして儒教を使いつつ、皇帝が道教の神々に追号を送ることで国家の加護や自分自身の権威の担保とするため、あるいは長寿を得るために祈願するという形も見られるようになります。
一方で道教は下層の庶民への布教、あるいは浸透も欠かしてはいませんでした。
日本だとよく玉皇大帝は民間信仰の神で、道教本来の最高神は三清道祖であるなんて言ったりします。これは要するに民衆道教と成立道教は別物だという思い込みから来ているのだと思います。
しかし、玉皇大帝は別に民間で独自に作られた神格ではありません。もともと道教の側が作った三清道祖を補佐する四御の中の一柱でした。それがどういうわけか民間での人気がやたら高まって、皇帝が天帝としての神号を贈ったために天帝ということになりました。すると道教はこれを受け入れます。道教の側から、玉皇大帝はただの補佐役で天帝ではないなどと否定することはありませんでした。
『西遊記』などの小説を見れば、明代には玉皇大帝=天帝という認識が広く受け入れられていたことがわかります。
また、もともと道教神だった玉皇大帝の地位向上を受け入れるのみならず、道教は民間の地方神もどんどん道教神として取り入れていきました。
こうした例からもわかるように、道教は民間の信仰を否定せず、積極的に民間信仰に迎合していくことで勢力を拡大していきました。
朝廷もまた関聖帝君や天上聖母など、民間で人気の神に封号を与えています。朝廷も民間の信仰を無視できなかったことの表れだろうと思います。
さらに言えば、「士大夫道教」に「民間道教」の影響がまったくなかったわけもありません。現代のインテリ層でも例えば神道が主張する厄年なんていうバカな集金システムを真に受けて高い金を払ってお祓いを受けるような人がいるのと同様、士大夫といえど、全てが道教が道家からパクったような高尚な哲学思想ばかりを求めていたのではなく、現世利益を求めることもあったのです。
こうして、道教、皇帝や士大夫層、一般庶民は断裂することなく有機的に影響しあっていました。
このような歴史から鑑みても、「民衆道教」「成立道教」という分け方は妥当ではないと言えます。窪徳忠が指摘する通り、両者に境目などはないのです。
一方、士大夫といういわば上級国民の階層がなくなり、中国共産党による独裁が行われている現在でも、実際のところ中国は一部のインテリ層とアホな一般庶民との階層に分かれます。これは愚民教育が中国の伝統だからです。ゆえに葛兆光による「士大夫道教」「民間道教」という分け方は現在でも有効です。ただし、士大夫も道教を信仰した時代とは異なって、現在のインテリ層では道教はそれほど信仰されていませんから、今では一般庶民に向けた民間道教の要素のほうが強いかもしれません。






