道教の芸術:天井

道教の発祥地・中国では、現在宗教施設に入るには基本的には入場料を支払う必要があります。だからもし中国に行くことがあったとしても、入場料を払ってまで道教の廟に行くという人はあまりいないと思います。しかし、中国以外の、台湾やシンガポール、マレーシアなど歴史的に中国、特に福建からの移民が多かった国々の廟にはだいたい無料で入れます。

道教の廟に行ったら天井を見上げてみてください。廟の天井もまた、道教芸術の鑑賞ポイントになっているのです。

藻井

藻井とは、すり鉢状に押し上げられるように空間が空いた天井のことです。「天井」とは、もともと北京の四合院のように、門+コの字状の家屋を建てて中庭ができる建築様式において、その中庭の上の四方を囲まれた空が見える空間のことを言いました。だから天の井です。後に藻井が作られると、これも天井と呼ばれるようになりました。どちらにしろ天に向けて井戸のような空間が開くので天井というわけです。だから日本家屋の平面の天井は天井とは呼べないはずです。

藻井は、もともと中国の宮殿や寺院建築などに用いられた天井の様式で、すでに漢代には作られだしたと言います。東漢の張衡が著した『西京賦』に長安の宮殿の様子を描写した部分があります。

正紫宮於未央 表嶢闕於?闔 ?龍首以抗殿 ?巍峩以岌? 亙雄虹之長梁 結??以相接 蔕倒茄於藻井 披紅葩之狎獵

皇帝の居城たる未央宮を天の紫微宮と相対させ、その表玄関は天の門のごとくそびえていた。前殿は龍首山を開いて建て、その様子は高く壮麗であった。長い梁が色鮮やかな虹のごとく渡されて、棟や垂木とつながっている。蓮の花托を逆さまにしたような藻井は、生い茂る紅花をまとったようであった

未央宮は劉邦の右腕蕭何が、新たな国の中心となる宮殿を建てるにあたり、周や秦など前代の国の宮殿に見劣りしないようにかなり張り切って豪華に作らせました。その当時から藻井と呼んでいたかは不明ではあるものの、遅くとも『西京賦』が書かれた東漢のころには藻井と呼ばれる天井の様式があったわけです。

調べると井は二十八宿の「井宿」を象徴するなんて説もあるようだけれど、そんなものを持ち出さなくても井戸は水の象徴です。その井戸が天井を覆っていることで、火気を防ごうという、おまじない的な防火設備として意図されていたようです。ではなぜ"藻"井なのか?古くは藻=水生植物の図柄が描かれていたために藻井と呼ばれるようになり、藻の図柄がなくなって様々な彫刻が刻まれるようになった今日でも藻井の名称が残っているためです。

木造建築にとって火事ほど恐ろしいものはない。現代ですら火事で焼けてしまう建物があるのですから、せめておまじないに頼ってでも火事を防ぎたいという気持ちがあったのでしょう。

藻井は漢代には仏教寺院に取り入れられて、後に道教が興隆し、布教施設としての廟が作られたときにも藻井が作られるようになりました。

ただし、元々は宮殿の建築様式として始まったため、ある程度の制限は設けられていました。例えば『宋史』輿服志にはこんな決まりが記録されています。

凡民庶家 不得施重?藻井及五色文采為飾 仍不得四鋪飛簷

庶民の家には、重?や藻井、五色の鮮やかな装飾もいけなかった。それに屋根の四隅の飛簷も許されなかった

??(ときょう)とは、柱の最上部や、軸部の上に設置され、軒桁を支える部位の名称です。
基本構造は、斗(ます)と呼ばれる部品と、肘木(ひじき)と呼ばれる部品で構成されます。

株式会社カナメwebサイトより
https://www.caname-jisha.jp/cms/?p=1228

この??が二重以上になっているのが重?です。

飛簷は、屋根の先端がぴょんと跳ね上がっている様式。


台北市??龍山寺の飛簷

庶民といっても現代日本でイメージされる庶民ではなく、わりと裕福な商家などを指していると思われますが、いくら金があっても一般人はそういう家は作っちゃだめよという規制があったのですね。

ただ、道教廟のような宗教施設には、ある程度許される部分もあったはずです。

現在の道教廟では、いくつかの様式の藻井が見られます。

まず、天井の四角い枠に丸くすり鉢状のドームが作られているもの。

台北市郊外の關渡宮の藻井は頂点の部分に龍の意匠が見られます。龍も水を司る霊獣なので、火事よけのおまじないが二重にかけられていることになります。

埼玉県坂戸市の聖天宮は、色鮮やかならせん状の藻井です。

高雄市左営の元帝廟の藻井は、四角い枠の中のドームが二重構造で、上部はらせん状になっています。

台北市の恩主信仰系の廟・松山慈恵堂の藻井は特に壮麗。丸いドームの上部が、八卦を意味する八角形に切り取られ、その上にまたドームが乗っています。頂点は八卦と太極を描きます。

もう一つの様式は、四角い枠に八角形の枠があり、その中に丸いドームがあるものです。

台北市大稻?の法主公廟です。四角形→八角形→丸の構造となっています。頂点部には龍、その周りに國泰民安、順雨調風とあります。

新北市の三峡祖師廟は、四角い枠に八角形の枠、その上にらせん状のドームという構造の藻井。

四角い枠+八角形の様式もあります。

台北市の??青山宮の藻井は、四角の中に八角形のドームが作られています。

新竹市の内天后宮にも八角形の藻井が見られます。しかし、周囲を彫刻で埋める一般的な藻井とは異なり、道教故事などを描いた絵画で囲んでいます。

内天后宮の創建は清代の乾隆13年(1748年)と非常に古いものの、日本時代に道路拡張を理由に取り壊されました。台湾総督府は道路拡張等の名目で数多くの廟を破壊しています。補償もせずにただ取り壊すだけですから、宗教弾圧と言っていいでしょう。

内天后宮は1962年になってやっと再建がかないました。近代になってからの再建のため、電灯をつける位置も計算された形で設計されています。

台中市の関帝廟・霊聖宮の藻井。一見平面に見えますが、中央の太極の文字の部分は上にせり上がっており、八卦の三爻をかたどった壁の周りにガラスがはめ込まれています。しかしこれ、先天八卦のつもりでしょうが離卦と坎卦の位置が逆ですね。

高雄市の豊穀宮。中央の陰陽魚に向かって壁を作る八枚の板に八仙が描かれています。比較的新しく建てられた廟の中には、採光や電灯なども織り込んで新しい意匠を加えた藻井もあります。

台北市最大の夜市・饒河街観光夜市の入り口にある松山慈祐宮後殿では、八角形と丸形の藻井が並んでいる様子が見られます。

天井の絵画・彫刻

道教廟の天井に見られる芸術は藻井だけではありません。天花板、つまり平面の天井にも、絵画や彫刻があしらわれている廟も多いです。

松山慈祐宮太歳殿。中央の陰陽魚の周囲に精緻な彫刻が施されています。

新北市の先嗇宮。鳳凰の天井彫刻です。

新北市の湧蓮寺。こちらは龍と鳳凰の彫刻です。

次に天井の絵画。

基隆の媽祖廟・基隆慶安宮内太歳殿の天井です。太歳と対処された周囲に様々なアイテムが配されています。ひょうたんと杖は李鉄拐、笛は韓湘子、芭蕉扇は鍾離権とそれぞれ八仙を象徴している気がしますが、太歳と八仙は関連性がないので違うかもしれません。

道教廟の天井絵画は、道教や道教に関わる民間故事などが題にとられていることも多いです。

高雄市左営の仙樹三山宮。財神送宝は、正月5日に外界に降りてくる財神を財宝を下賜してもらうためにお迎えする「接財神」という風習が元ネタの絵です。

麻姑獻瑞、麻姑獻寿とも言います。麻姑という少数民族の少女が、針仕事をしに行った先で高価な桃をもらいました。しかし、その帰路で道にうずくまるおばあさんを発見します。麻姑がおばあさんに桃を食べさせると、おばあさんはすこし元気を取り戻し、粥も食べさせてほしいと言います。そこで麻姑が家に帰って粥を作ろうとすると、妻を失って人格が歪んだ父親にそんなことはするなと家に閉じ込められてしまいます。夜になって家を抜け出したものの、おばあさんの姿はそこになく、桃の種だけが落ちていました。

麻姑がその種を植えると桃の木がぐんぐん育ち、たくさんの実をつけるようになったので、麻姑はその桃を貧しい人たちに配るようになりました。その桃を食べると飢えが消え、病気も治ったので、人々は麻姑が地上に降りてきた仙女だと称えるようになりました。というお話。麻姑が助けたおばあさんは神仙で、麻姑もおばあさんの力で本当に仙女になるという、ありがちな結末があります。

高雄市の城邑慈済宮。ここの天井には、主祭神保生大帝の物語を描いた絵画がいくつかあります。医虎喉は、人間の女性を食べたらかんざしが喉に刺さって困っていた虎さんを保生大帝が抜いてあげる様子です。

王母伝法。保生大帝になる以前の人間時代の呉夲が西王母から医術を授かるという伝説が描かれています。

とまあこんな感じで道教の廟は天井もまた見どころの一つとなっていますから、ふと上を見上げてみるのもおすすめです。