風水

古代中国で生まれた、土地を見て気の流れや吉凶を判定する技術を風水と言います。

風水は何十年か前に日本でも風水師を名乗るドクター某によって広められました。しかし、件のドクターが広めた風水は、風水とは名ばかりの、よくわからん開運インテリア術のたぐいで、外国の文化は日本に来るとなんでも歪められるものだなあと再認識させられます。

ドクター某の風水術で笑ってしまったのは、室内に黄色の財布だかなんだかを飾っておくと金運が高まるというもの。黄色は五行で土に属し、土は金を生むからというのがその根拠らしいのですが、それでああこいつやっぱりインチキかと確認できました。

確かに黄色は五行で土に属し、五行相生では土は金を生み出します。でもこの金っていうのは、金属とか鉱物のことでして、お金、中国語で言えば銭のことではありません。そもそも五行=木火土金水は自然界に存在する物体や現象を5つのエレメントにしたものです。木、火、土、水の中にお金が混ざってるはずがないでしょうが。

こういうインチキが通用するのも、大部分の日本人が中国文化に対するリテラシーが低いからで、情報を正しく知ることは大切です。

そもそも風水が作られた時代に黄色はそう簡単に使ってはいけなかったわけでして、趙匡胤が宋の皇帝に祭り上げられたエピソードでも知っていれば、黄色がとか言い出した時点でこりゃインチキだなと気づきます。

ということで今回は、日本で一般的に言われている風水ではなく、正しい意味での風水と道教のかかわりについて見ていこうと思います。

風水とは

そもそも、土地を見る術として「風水」なる言葉が初めて使われたのは、晋代の尚書郎で方士でもあった郭璞が著したとされる『葬書』だと言われます。ただ、『葬書』が本当に郭璞の著作かどうかは定かではりません。とはいえ日本だと弥生時代から古墳時代ごろに作られた書物の本当の作者なんてわかるはずがねえんで、郭璞著としておきます。

『葬書』内篇にこうあります。

經曰氣乘風則散 界水則止 古人聚之使不散 行之使有止 故謂之風水

経典に曰く気は風に乗って散り、界水はそれを止める。古人はこの術で気を集めて散らせず、気の行く道によってこれを止めた。故に風水と言う。

とでも訳せばいいんですかね。

万物は陰陽の気が交わることで生み出されます。気が散じてしまえば何も生まれません。

そのため、家を栄えさせる、村を栄えさせる、そして都市や国を栄えさせるためには、地形を見て気が散らず集まって止めなければならない。

そのための学問が風水です。

『葬書』はその書名が示すように、亡くなった方をどこに葬るのが風水理論として正しいかを解説しています。

夫氣行乎地中 其行也因地之勢 其聚也因勢之止 葬者原其起 乘其止

気は地の中を進む。その行き先は地の勢いにより、気が集まるのは勢いが留まるからである。人を葬る場所はそうした地の勢いの起点や気を止める場所である。

どこに葬るか、つまりどこに墓をつくるかで気の流れがコントロールできるというわけです。現代風水でもお墓の場所は非常に重視されます。

またここで言われているような地面の中を通る気の道筋は後に「龍脈」と呼ばれるようになりました。

では風水の技術自体が『葬書』で作られたかといえばそうではありません。度々「經曰」と言っているように『葬書』が参照している書物がすでにあった。つまり風水の技術は晋代以前から伝わっていたし、「風水」の語を記したのが『葬書』が初めてであっても、言葉としてはすでに使われていた可能性も高いです。

あくまで私個人の推測として言うと、『後漢書』に記される「風角」なる占いが風水の原点の一つではなかろうかと思います。

『後漢書』方術伝には任文公、李南、段翳、樊英など「風角」に通じたとされる方士が何人も記録されています。

任文公の段にはこうあります。

後為治中從事 時天大旱 白刺史曰五月一日當有大水其變已至不可防救宜令吏人豫為其備 刺史不聽 文公獨儲大船 百姓或聞 頗有為防者 到其日旱烈 文公急命促載 使白刺史 刺史笑之 日將中天北雲起須臾大雨 至晡時湔水涌起十餘丈 突壞廬舍所害數千人

任文公が治中の官位にあったとき、旱魃が起きた。そんなときに文公は刺史に「5月1日は洪水が起こり、それが収まるまで防ぎようがありませんから命令を出して備えてください」と申し出た。しかし刺史は聞き入れなかった。そこで文公は私財で大船を用意した。民衆の中にはそれを聞いて従う者もあった。5月1日になったがその日も旱魃が続いていた。文公は急いで命令を出すように刺史に求めたが、刺史は笑うばかり。だが昼頃に北から雲が起こり一瞬で大雨になった。午後には水深が10丈あまりとなって、家は壊れ数千人の被災者が出た。

10丈は30メートルほど。だいぶ盛ってるしそもそもこの洪水自体あったのか不明ですが、ともかく風角とは風を読み天候の変化を読み取る技術のようです。またそこから吉凶を占ったりもしました。

同じく方術伝の李南の段にはこうあります。

太守の馬棱が盗賊に逃げられたかなんかして罰を受けていました。そこに李南が訪れて祝賀するものだから、馬棱はなんでこんなときに祝うのだと文句を言います。そこで李南はこう答えました。

南曰 旦有善風 明日中時應有吉問 故來稱慶

李南が言った。明け方に良い風がありました。明日の日中には良い知らせがあるでしょう。故にお慶び申し上げたのです。

漢代ごろにはこうした風読みをする方士がたくさんおり、そこから発展して風を生んだり風を止めたりする地形の研究もされるようになった。それがやがて風水になったというのが私の推測です。素人の推測ですから眉に唾をつけながら読んでください。

方術伝の冒頭には、同じ時期に遁甲の術も行われていたと書いてあります。遁甲は土地の方角から吉凶を見る占いで、これも風水が生まれる要素の一つと言えるでしょう。

風水は、風角や遁甲といった方術の発展形と言ってもそれほど的外れではないと思います。

医学と風邪

私が思うに、古代中国人は「風」という現象に非常に強い感心を寄せていました。

伝統医学の分野でも「風」は非常に重要になります。

中国伝統医学では、人が病気になる原因は大きく分けて内因、外因、不内外因の3つがあると考えます。これは伝統医学を集大成した現代の中医学でも同様です。

主に自分の感情の変化が病気の原因となるのが内因、外の気候変化の影響を受けて病気になる原因が外因、働きすぎや食べ過ぎ、房事過多などといった内因にも外因にも入らないのが不内外因です。

このうち外因は風邪、暑邪、火邪、湿邪、燥邪、寒邪の六淫邪気に分けられます。淫は現代語にすると過多、邪気は体に害を為す気という意味です。日本の鍼灸師には「邪気」を悪霊の類と混同して宗教じみた方向に走ったり、逆に宗教的だからと否定するアホもいるんですが、医学分野で言う「邪気」に宗教的要素は一切含まれません。

さて、六淫邪気の中でも特に古代の医学書で強く注目されるのが風邪です。これは「かぜ」ではなく、風が病気の原因となった外因を意味します。

風という自然現象が病気の原因になるものかと考える人がいるかもしれません。でも風は体の熱を奪ったり細菌やウイルスなどを運んでくるなど病気の原因となることもあるのです。

また、体の中で生じる症状のうち、痛みをあちこちに感じるなど、まるで風のように移動性があるものを「風邪」と表現することもあります。例えば、怒りの感情で肝気の働きが亢進し、体内で風邪が生まれるのを「肝風内動」と言います。風邪は上昇性を持つので、体内で生まれた肝の風邪はしばしば急激に上昇して脳の経絡の働きを阻害します。これを現代医学で説明するなら、怒りの感情による急激な血圧上昇と、それに伴う脳卒中です。

『黄帝内経』素問にこうあります。

黃帝問曰 余聞風者百病之始也 以鍼治之奈何
歧伯對曰 風從外入 令人振寒 汗出頭痛 身重惡寒 治在風府 調其陰陽 不足則補 有餘則寫

黄帝が聞いた「余は風邪は百病の始めだと聞いた。鍼でこれを治療するにはどうすればいいのか」
岐伯がそれに答えた「風邪は外から侵入し、ふるえを起こしたり、汗をださせたり、頭痛を起こしたり、倦怠感や寒気を感じさせます。これを治すには風府穴を用いて陰陽を調節します。気が不足する虚証ならば補法を施し、気が過剰な実証ならば瀉法で過剰分を取り除くのです。

風者百病之始はパッと見日本語の「かぜは百病のもと」に似ているけれど、意味合いはまったく違います。

ではなぜ風者百病之始なのか?

風者百病之長也至其變化乃為他病也

風邪は百病の長です。その変化によって他の病を引き起こします。

風は季節ごとに異なる性質を持ち、時には冷やし、時には熱し、時には伝染病を起こす。様々な変化を起こすから気をつけなければならないのです。

そうした様々なタイプの風は「八風」と呼ばれます。

黃帝問曰 天有八風 經有五風 何謂
歧伯對曰 八風發邪 以為經風觸五藏 邪氣發病

黄帝が聞いた「天には八風があり、経絡には五風があるがこれはどういうことか」
岐伯が答えた「八風は経絡を通じて五臓に触れることで邪気となり発病するのです」

風邪とは言っても、風が必ず邪気になるわけではありません。表皮の防衛機能を突破して体内に入った風が経絡を伝って五臓に至ったときに邪気となって病気を起こすというのです。

『黄帝内経』霊枢に

審察衛氣 為百病母 調其虛實

衛気を観察し、百病の元となる風邪の虚実を調節する。

と言うのも、体表の防衛機能である衛気が正常に機能していなければ、百病の元である風邪が容易に侵入してくるからです。体表には皮膚常在菌が存在し、代謝物によって表皮を弱酸性に保って病原性細菌の侵入を防いでいます。古代中国人は皮膚常在菌という存在自体は知らなくても、体表を守るシステムがあることを見抜いてそれを体を防衛する気「衛気」と名付けました。

もちろん実際風が皮膚を通して体の中に入ったりはしません。しかし、例えば強く風が吹くところに長くいて、体が冷えて体調を崩すことはあります。そうした現象を「風が邪気となって病気を起こした」と表現しているのです。

とにかく、こうして見たように医学分野でも「風」という現象は非常に強く意識されていました。それが町や都市に当てはめて考えられたのもまた当然の帰結だったのでしょうね。

道教と風水

台湾で実際に道士の修行をされた 三多道長氏によると、道士の仕事の中には風水を見ることも含まれるとか。

漢代以降占いは方士がよくするところで、それら方士の術は勃興した道教の中に取り入れられていきますから、道士が風水占いを行うのはまったく意外ではありません。

風水は『葬書』にあるように、墓場をその地域のどこに作るかから始まって、墓場の位置によって風の気をコントロールし、家だとか村だとかの運気を高める技術として発展していったのでしょう。それは最終的には都市の設計計画にまで用いられるようになります。

日本の平安京も風水的に見て優れた土地だといいますから、日本にも風水を用いた都市計画を作る技術を持った渡来人がいたのかもしれません。

もっとも、唐の長安や日本の平安京など、国の首都となるべき都市は防衛や陸運・水運、第一次産業の生産性など総合的に考えて建設しなければなりませんから、風水の観点のみで建設されたとは言えないでしょう。

風水は日本で思われているような室内インテリアや開運グッズがどうこういうものではなく、基本的には土地を見るものです。

中でも最も重視されるのが陰宅=墓の位置と陽宅=人間が住む家、そしてその双方の位置関係です。

現代の道士も、信徒から相談があると、陽宅に対して陰宅の位置がよろしくないので位置を動かしなさいなどといったアドバイスをするようですね。

本当の風水でも、室内の水道の位置やらテーブルの配置やらを気にすることもあるようです。ただ、それはあくまで付属的なもので、はやりその土地のどんな位置に家があるのかが問題になります。

墓についても、墓の向きがどうこうとか墓がある土地の高低がどうだとかでいろいろ変わるようです。

我が家のように、自宅と先祖代々の墓の場所が車で数時間かかるぐらい離れていたらどうなるんだという疑問もありますが、基本墓と自宅が同じ地域にあることが当然という時代に作られたものなので、そこらへんはあまり深く考えられてはいないのかもしれません。

日本にはそういうのを正しく見られる道士はほとんどいませんから、あまり気にしないでおくのがいいでしょう。

気になるなら日本式のインチキな開運インテリア術でも取り入れてみればいいと思います。鰯の頭も信心から的に、心理的な安心感ぐらいは得られるかもしれません。