道教の神々:天上聖母 媽祖

天上聖母 媽祖は東シナ海周辺地域、特に台湾や中国の福建省、広東省などで非常に人気が高い神様です。
本来中国南方沿岸で航海の守護神として信仰されていた土着神であり、道教とは関係ない存在でした。
航海の守護神であるゆえに、その航路にあたる地域に信仰が広がって、最初は福建の一部地域の信仰だったものが、福建から広東にまで伝わって行きます。
さらに、福建からの移民によって、台湾、シンガポール、マレーシア、ベトナム、そして日本など中国以外の国々にも伝わり、信仰を集めています。

横浜中華街:横濱媽祖廟
媽祖は道教とは関係ない神だった
媽祖を記した史料の中で最も古いのは、1150年に著されたとされる『聖墩祖廟重建順濟廟記』です。
南宋の中期ごろ、日本では平安時代の後期ごろにあたります。
ただし、信仰自体は北宋のころからあったと考えられています。
『聖墩祖廟重建順濟廟記』にはこうあります。
獨為女神人壯者尤靈 世傳通天神女也 姓林氏 湄洲嶼人 初以巫祝為事 能預知人禍福 既歿?為立廟於本嶼
「独り女神を為す盛んなる人は特別な霊で、世に天に通じる神女だと伝わる。姓は林氏、福建の莆田県湄州島の人、はじめは巫祝をなりわいとし、人の禍福を知ることができた。亡くなった後人々がこの島に廟を建てた。」
最初の部分は文意はとれるけれど日本語でどう表現すればいいかよくわからないので適当訳です。
とにかく林さんといういわばシャーマンのような女性が生前は人の禍福をよく言い当てて、死んだ後に地元の人達によって祀られたというわけです。
日本で言えば卑弥呼が死後に神として祀られ、後の時代に天照大御神になった(諸説あり)ようなものでしょう。
ただし、本当に存在した人物かどうかは不明。モデルになったシャーマンはいたかもしれません。
宋代の記録では一貫して「林氏」とだけ記されています。
古い中国の記録では基本的に女性の名前は記されません。
南宋の高宗はこの林氏を「靈惠夫人」に封じました。
南宋の首都・東京開封府にもすでにその信仰が伝わっていたことがうかがわれます。
元代になると、媽祖は世祖フビライによって「護国明著天妃」に封じられました。
元の首都・大都は今の北京にほぼ重なります。そんな北方にまで媽祖信仰を伝えたのは、おそらくは福建や広東の商人ではないかと思われます。
大都でフビライに重用されていたマルコ・ポーロに日本の存在を伝えたのも南方商人だと考えられています。例えば福州語では日本は「ジップン」、呉語が元になっていると考えられる上海語では「ザパン」です。
皇帝にまで号を賜るぐらいですから、元代には相当な人気の神様になっていたのではないでしょうか?
明代になり媽祖信仰はより強固になります。
その立役者となったのが鄭和です。
永楽帝の命を受け、生涯にわたり7度、東南アジアからインド、スリランカ更にはアフリカまでの航海を行った鄭和は、航海の守護神として船に媽祖を祀っていました。
そして帰朝のおりには朝廷に媽祖の加護があったと奏上しています。
鄭和が南シナ海のあたりを航海中に嵐に遭遇し、媽祖に祈ったところその加護により助かったと奏上したところ、永楽帝は媽祖を「護國庇民妙靈昭應弘仁普濟天妃」に封じました。

廣州救鄭和:新北市板橋慈恵宮
鄭和より100年以上後の福建の学者張燮は
天妃世居莆之湄洲嶼 五代閩王林愿之第六女 母王氏 妃生於宋建隆元年三月二十三日 始生而變紫 有祥光異香 幼時有異能 通悟秘法 預談休咎無不奇中 雍熙四年九月九日升化
「天妃は生前は莆之湄洲嶼に住み、五代の閩王林愿の六女である。母は王氏。天妃は宋の建隆元年三月二十三日に生まれた。生まれてから紫になり、祥光を発して異なる香りがした。幼いころから異能があって、秘法に通じたので人の禍福を言い当てるのも不思議ではなかった。雍熙四年九月九日に羽化登仙した。」
と記します。
閩は五代十国の一つです。ただし、本当の閩王は王氏、林愿は都巡検だったといいます。都巡検はいわば沿岸警備隊で、海賊退治などをやっていました。
永楽帝より神号を賜ったため、少しずつ細かい設定が作られていった様子がうかがわれます。
紫は高貴を象徴するいろ、異香は臭いということではなくこの世のものとは思えない芳香を発していたという意味で。信仰が広まるにつれて神性も高められていきました。
おそらくはそのあたりから、出生時に泣き声をあげなかったという設定が作られ、「黙」という名前がつけられたものと思われます。
清代になると媽祖には康煕帝より「護國庇民妙靈昭應仁慈天后」の号が贈られました。
「天后」は武周皇帝・武則天が、唐高宗の皇后であったときに名乗った位でもあります。神号として「天后」を賜ったのは後にも先にも媽祖だけです。
それで媽祖は事実上最高位の女神となり「天上聖母」とも称されるようになりました。
清代は人気がある神様の神号はどんどん盛られていく時代です。
媽祖の神号は、代々盛られていき、最終的には「護國庇民妙靈昭應宏仁普濟福佑群生誠感咸孚顯神贊順垂慈篤祜安瀾利運澤覃海宇恬波宣惠導流衍慶靖洋錫祉恩周德溥衛漕保泰振武綏疆嘉佑天后」になっています。こうなるともう寿限無です。
明代に作られた設定では、林黙は建隆元年=西暦960年に生まれ、雍熙四年=西暦987年にわずか28歳という若さで亡くなったことになりました。
清代にはその補足として、漁に出た父親の船が転覆して、それを助けようとして溺死し、昇天したという話も作られました。
ただ、明代に作られた設定だと父親は閩の都巡検ですからそんな人が漁に出るってことはないでしょう。
媽祖の名前の変遷
媽祖は最初「林氏」とのみ記録されていました。
後に生まれてから泣かなかったという設定が作られ、そこから「黙」という名前が作られています。
また、その「黙」に女性への尊称「娘」がついて黙娘と呼ばれるようになりました。
さらに、例えば台湾の西門町にご当地キャラの林黙娘ちゃんがいるように、尊称も含めて名前のように林黙娘とも呼ばれます。

台北市西門町林黙娘ちゃん
道教では天上聖母という神名で呼ばれることが多いです。

新北市淡水福佑宮
そうした一般的に呼ばれる名前とは別に、歴代皇帝が封じた神号もあります。
宋:13
元:7
明:2
清:5
宋代が飛び抜けて多いのは、南宋第5代皇帝理宗が5つも神号をつけているからです。
では、最も広く使われる「媽祖」はいつごろから呼ばれるようになったのか?
これがよくわかりません。
そもそも「媽祖」は福建周辺で女性の先祖に対する尊称だったといいます。
それが単一の女神の名前として使われるようになったのは、少なくとも福建周辺で広く信仰されるようになってからではないかと思われます。
地方神から道教の神へ
福建沿岸部のローカルな神様だった媽祖。
本来道教と関係なかった神様が道教の中に取り込まれていくことは珍しいことではないです。
とはいえ、道教に組み入れられていったのはいつごろかは不明です。
ただすでに、明代始めのころには『太上老君說天妃救苦靈驗經』という道教経典が作られています。
太上老君が天界から地上を見ると、海や川などに妖怪が出没し民を苦しめている。そこで太乙救苦天尊の化身である廣救真人が、妙行玉女という仙女を地上に生まれ変わらせて民を救わせた。それが天妃、つまり媽祖であるという内容です。
明代にはすでに道教の神として取り入れられていたようです。
また、媽祖が父親を助けるために溺れたのではなく、自ら願って湄洲島の山上に登り羽化登仙したという伝説も作られました。
『太上老君?天妃救苦靈驗經』に「上聖天妃功護國 勑封靈惠衛朝廷」という部分があります。
上聖の天妃は護国に功があり、霊恵として勅封され朝廷を守ったという意味。
霊恵は主に宋代に封じられた号です。
この一文から、時の権力者が神号を与えた神様だったら道教の中に取り入れない手はないという意図が見えます。
しかし、それが後に困ったことになります。
清代になって朝廷から「天后」付きの神号が与えられてしまったからです。
道教には古来、西王母や九天玄女といった高位の女神がいます。
西王母も九天玄女も、道教と呼ばれるようになる宗教ができる以前から登場する女神です。
西王母は道教に取り込まれ、最上位の女神とされました。後の玉皇大帝の皇后という設定まで作られています。
西王母は崑崙山に住み、天界の女神・女仙を統括します。『西遊記』では、孫悟空が西王母が育てる不老不死の仙桃をつまみ食いしているように、不老不死を司るという職能も与えられています。
九天玄女は西王母の補佐役で、女神であるにもかかわらず、黄帝に蚩尤を破る兵法を授けた軍神でもあります。
ところが、前述の通り朝廷から「天后」を賜った女神は媽祖ただ一柱のみ。権力者の気まぐれでぽっと出の地方神が最高の女神にされてしまったわけです。
台湾の媽祖廟に行くと、西王母や九天玄女はまず祀られていません。
媽祖が最上の女神だという立場からすると、西王母や九天玄女は都合が悪いのでしょう。
一方、西王母が祀られる廟では、媽祖がともに祀られる場合もあります。その場合、媽祖は西王母より一段下の扱いとなっています。
道教と言っても宗派は一つではないので、その信仰によって神々のヒエラルキーは変わります。
媽祖を最上とする媽祖廟は福建由来の民間信仰の要素が強く、西王母が上にされる廟は媽祖を後から取り入れた立場だと思われます。
現在では万能神の媽祖
媽祖は本来東シナ海周辺地域の航海の守り神でした。
それが道教に取り入れられると、水神を統べるような地位に押し上げられました。
媽祖廟の中には、水仙尊王や龍王などの水神が媽祖に配される形で祀られていることも少なくありません。
また、中国では朝廷が護国の神としたため、水に限らず国を守る神様ということにもなりました。
民間では人気が高まりすぎて、万能神のような扱いになっています。
これは関聖帝君も似たようなものなので、人気がある神様はそうなる運命なのでしょう。






